第二話
穂乃果はなんでも、平均よりも少し下の子供だった。
勉強も運動も、全くできないわけではないのだが、平均には少し届かない、そんな子だった。
それに引き換え、三つ上の兄・
「仁科さん家の陵介君はお父さんとお母さんに似て優秀ね。でも、穂乃果ちゃんはねぇ……」
そう陰口をささやかれたことも、何度もある。子供にはわからないだろうからと、堂々と言われたことすらある。けれど穂乃果は、きちんと理解していた。
この家の中で、自分だけが足を引っ張るダメな存在なのだと。
両親はそんな穂乃果を愛してくれていたし、陵介も妹の不出来を笑ったりするような子ではなかった。穂乃果の悪口を言う人の前に果敢に立ちふさがり、言い負かしたことだって一度や二度ではない。
穂乃果は穂乃果で良いところがあるんだと、いつだってかばってくれた。
それが余計に、穂乃果を惨めにさせた。
なんとか優秀な家族の一員になろうと、一人で駆けっこの練習をしたり、遅い時間まで勉強をしたこともあった。努力は裏切らないという、大昔に聞いたテレビのセリフを鵜呑みにし、出来ないのは努力が足りないからだと、必死に頑張った。
しかし、その努力が穂乃果に報いることはなかった。
要領の悪い穂乃果が人の倍頑張ったところで、半分ほどしかできないのだ。まだまだ努力が足りないと自分に鞭を打って頑張り続けた結果、穂乃果は倒れてしまった。
無理をして陵介に心配をかけ、両親に迷惑をかけた。
頑張ることすらできない、ダメな子。
それならせめて、仁科家の恥にならないようにひっそりと息を殺して生きて行こう。著しく出来ないと目立つが、平均より少し下程度ならばあまり注目はされないのだから。
頑張ることを頑張らない。
そうして人の影に隠れ、目立たないように生きてきた。
小説を書き始めたのは、大学卒業後に入社した会社で人間関係をうまく作れずに退社し、やることが無かったからだ。
何かをしなければいけないという焦燥感から、物語の世界に逃げた。
昔から、空想は好きだった。読み終わった本の続きを考えて、頭の中で楽しんでいた。趣味らしい趣味のない穂乃果の、ささやかな楽しみだった。
Webに小説を上げるのは少なからず勇気が必要だったが、ネットの世界での穂乃果は仁科穂乃果ではなく
PVもほとんど伸びず、感想もあまりつかない。それでも、最新話を更新すれば読んでくれる人がいて、同じ物書き仲間との交流もあった。
即座に話さなくてはいけない対面とは違い、文字ならば悩みながらゆっくり書いても良い。一時間、二時間悩んでも、相手は気にしないのだから。
付かず離れずな距離感が心地良くて、現実から目をそらし続けた。また働きに出るだけの気力が、戻ってきていなかったのだ。
そんな穂乃果に転機が訪れたのは、一通のメッセージからだった。
「胡桃さん、今連載してる話、コンテストに出してみませんか?」
そう声をかけてくれたのは、
何やらコンテストがあるようだと言うのは聞いていたのだが、そう言ったこととは縁がないと思っていた穂乃果は突然の誘いに悩んだ。
「胡桃さんってもしかして、副業禁止のお仕事だったりします?」
「そう言うわけではないんですが、私の話なんかが応募しても良いのかなって」
「募集要項さえクリアしていれば、誰にでも参加資格はありますよ。それに僕、胡桃さんの話は良いところまで行くと思います。文章も読みやすいですし、話も面白くて、キャラクターだって生き生きとしてますし。どうしても嫌と言うわけでなければ、一緒に参加してみませんか?」
「猫教竜胆さんは参加されるんですね」
「はい。僕は毎年参加してますよ。万年一次選考通ってませんけど、もう一年の必須行事みたいになってます」
笑顔の顔文字に、つられて穂乃果の頬も緩む。猫教竜胆は、可愛らしい顔文字をたくさん知っている人だった。
「それなら、私も挑戦してみようかな。ただの賑やかしみたいな感じになっちゃうと思いますが」
「良いんですよ、それで。お祭りなんですから!」
コンテストへの応募は簡単で、穂乃果はあまり深く考えずに参加を決めた。他の人たちがお祭りで盛り上がるなか、一人取り残されるのが嫌だったという理由もあった。
一万を超える話の中から、穂乃果の話が選ばれることはないと思っていた。しかし、予想に反して”魔石から描く虹を越える“は一次選考を突破した。
にわかには信じられず、結果発表のページを何度も繰り返し更新して確認した。穂乃果だけが見ている幻で、更新したら消えてしまうのではないかと思ったのだ。
何度ページを読み込みなおしても、胡桃胡桃の名前は消えなかった。
本当に一次を通ったんだと実感し始めたとき、スマホが振動した。
「胡桃さん、おめでとうございます!」
キラキラとした顔文字と共に、猫教竜胆からお祝いのメッセージが届く。
そう言えば、彼の作品はどうだったのだろうかと検索してみたものの、該当なしとの無情な表記が出るだけだった。
この場合、何と返信したら良いのかと悩んでいると、再度スマホがメッセージの受信を知らせてきた。
「僕のは残念ながら突破できなかったんですが、でも今年は知り合いで通過した人が何人かいて興奮してます!」
鼻息荒くも喜んでいる様子の顔文字からは、自身の一次落選に落胆している様子は見られなかった。
「ありがとうございます。まさか一次通ると思わなくて、ちょっと混乱してます。猫教竜胆さんのお話、とっても素敵なのに残念です」
嫌味に聞こえないように、なおかつ無難な文章になるよう心掛けた。送信ボタンを悩みながら押し、すぐに返事が返ってくる。
「ありがとうございます、胡桃さんにそう言っていただけて嬉しいです! まぁ、来年ですよ来年! 絶対来年は通過するつもりですから!」
闘志みなぎる顔文字に、穂乃果は微笑んだ。猫教竜胆は、いつだって前向きで爽やかだ。
一次突破の報告を流し、次々とつく祝福コメントにお礼を告げる。その傍ら、他の仲間たちの通過状況を見ていくうちに、
「残念ながら落選してしまいましたが、来年はもっと良い話をぶつけて一次突破したいと思います!」
何かの間違いではないかと二度見し、自分でも念のため結果発表のページで南原朝日の名前を検索すが、該当なしの表記にショックを受けた。
穂乃果は、彼の話のファンだった。毎回更新を楽しみにしていて、読了後は必ず感想を入れているくらいにはのめり込んでいた。
(嘘でしょ、南原さんの話が一次通過できなかったなんて……)
大賞を射止めるなら、彼の話を置いて他にはないと思っていた。大賞を惜しくも逃しても、書籍化につながる賞を受賞すると思っていた。
あの重厚で濃密な物語を、紙の本として手元においておけるものだとばかり思っていた。
無情な現実を受け入れられずに呆然としていると、穂乃果の一次通過報告に南原からメッセージがついた。
「おめでとうございます!!!」
三連のエクスクラメーションマークの後ろには、クラッカーが弾けるキラキラとした絵文字が続いていた。
穂乃果は悲しみに放心状態になりながらも、何とか返信を打った。
「ありがとうございます! でも、南原さんの話なら一次通ると思ったのですが……。来年絶対通りますよ!」
それは希望を込めた、穂乃果の本心だった。
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