第八話

 真っ白なお皿に乗せられた、鮮やかな色合いのサラダにフォークを刺す。かかっているソースは乳白色で、フレンチドレッシングのようにも見えるが酸味はなく、柔らかな甘さがあった。


「サラダは一つ一つ野菜を指定して出すと大変だったから“公爵令嬢は炎の皇帝の求愛を無視して薬師になります~皇帝が近づくと植物が枯れるのでこっち来ないでください~”の主人公ファミルちゃんの菜園から拝借したわ。食事に使う用の野菜として育ててるもので、特に薬としての効果はないんだけど、お味はどう?」

「どれも新鮮で、シャキシャキしていて美味しいです。このドレッシングも、俺実は酸味のあるものが苦手なんですけど、全然酸っぱくなくて良いですね」

「それはきっと、レモンの違いね。“砂粒の流星群”に出てくる“エモリア”は果物みたいなほのかな甘さがあるのよ」


 薄いピンク色の花にドレッシングを絡め、口に運ぶ。

 オレンジのような爽やかな香りが鼻に抜け、噛むごとに微かな苦みが舌を刺激するが、ドレッシングの甘みがすぐにとってかわる。

 濃い緑の葉は思いのほか柔らかく、春キャベツのような味だった。

 普段はあまり生野菜を食べない十夜だったが、あっという間に完食してしまった。お皿に残った小さな葉の欠片までも器用にフォークですくいあげ、わずかに残っていたドレッシングと共に口に入れる。


「十夜君は、コーンスープとコンソメスープ、どっちが好き?」

「どちらかと言えば、コーンスープですかね」


 コンソメも好きなのだが、今はコッテリと濃厚なコーンスープが飲みたい気分だった。


【王国がルカの町を見捨てたとしても、あそこには冬をしのぐのに十分な量のウーロがある】

【たった一杯の牛乳が、女の子の命を救ったのだ】


 男性が指を回せば、七色のトウモロコシ“ウーロ”が液状になり、牛乳と混ざった。


「味の調整と調理は“旅カワウソのモフモフ朝ごはん”のマチェーロシェフにお任せしようかしら」


【マチェーロが手際よくトマトを切り、続いてゆであがったばかりのパスタを水で締めると、透明なガラスの上に盛り付けた】


 マチェーロの文字を、男性が人差し指でそっと撫でる。すぐに文字は形を変え、真っ青な二本の手になった。

 手首から上はどこにもなく、やたらと長い十本の指は力を入れてしまえばポキリと折れてしまいそうなほどに細い。


「あ、あの……な、何ですかこの……手?」

「マチェーロシェフよ」

「いや、シェフよではなくて。シェフ本体は?」

「だから、この方がマチェーロシェフ本体よ」

「手が?」

「手が! マチェーロシェフはね、昔は魔王城の調理人をしていたんだけど、魔王の嫌いなピーマンを刻んでハンバーグに混ぜていたところを見つかってしまってね。不興を買って、邪悪な魔女に手首から先以外を消されてしまったのよ。ピーマンは体に良いからって、魔王のためを思ってのことだったのにね」


 分からないように細かく刻んでハンバーグに入れようとしたのに酷いわよねと男性が憤慨しているが、十夜が気になったのはその部分ではなかった。


「マチェーロシェフが出てる話って、何てタイトルでしたっけ?」

「“旅カワウソのモフモフ朝ごはん”だけど?」


 そのタイトルで、どんなストーリーをしていたら、どう見てもホラーな姿のシェフや魔王が出るのだろうか。話の内容が気になって仕方がない。


「食材以外のものもコピペ出来るんですね」

「もちろん。でも、色々と気を付けないといけないこともあるし、かなりのお金がかかるから、普段はあまりやらないわね。せいぜい、精霊や妖精にちょっとしたお願いをするくらいかしら。今回は料金を気にしないで良いから、シェフをお呼びしちゃったけど」


 マチェーロシェフが手早くコーンスープを作り上げ、十夜の前に提供される。

 淡い黄色のスープの上には、カラフルなコーンの粒と刻んだパセリが乗っていた。“ウーロ”は鮮やかな色をしていたが、スープの色自体は十夜の知っているコーンスープと同じだった。

 トロミの強いスープにスプーンの先を入れれば、ゆっくりと沈んだ。重みのあるそれを持ち上げ、音をたてないように注意しながら口に流し込む。

 濃厚なスープは、ねっとりと舌にまとわりついた。コーンのまろやかな甘さが広がり、それをパセリの爽やかな香りが緩和する。紫色の粒を噛めばプチリと良い音を立て、さらに強い甘みが舌を刺激した。

 粒の甘みがこれだけ強いと言うことは、牛乳がさっぱりとした味なのだろう。牛乳単品でも飲んでみたくなる。


【丸め終わったばかりの生地を並べ、ふかふかのそれに肉球のスタンプを押そうと様子をうかがっているマメルを手で牽制した】

【相棒のオーブンは、お師匠様の魔法がまだかかっているため、あとはノンビリ待つだけで良い】


 真っ白な生地が、レンガ造りのオーブンに吸い込まれる。ガラス窓の中で生地がみるみる黄金色に染まり、ふわりと小麦の良い香りが室内に充満した。

 オーブンの上部に取り付けられた時計がグルグルと回り、チーンと甲高い音を立ててパンが放出される。弧を描いて飛びあがったパンを男性が籐の籠でキャッチし、十夜の前に置いた。


「熱いから気を付けてね」


 そんな注意も、十夜には聞こえていなかった。

 手を伸ばせば、触れていないうちから熱を感じる。火傷をするほどの熱さだと分かっているのだが、焼き立てを食べたい気持ちには逆らえなかった。

 両手を駆使して何とか一口大にちぎり取れば、真っ白な湯気がホカホカと立ち上った。外はパリパリだが、中はふわふわだ。大きく口を開けてパンを放り込めば、熱々のそれが舌を焼いた。

 なんとか口の中に空気を循環させて冷ませば、最初に表面の香ばしい苦みが口中に広がり、すぐに小麦の甘さが追いかけてくる。

 噛めば噛むほど、小麦の味が強まっていく。そこにコーンスープを流し込めば、小麦の香ばしさにコーンのねっとりとした甘みが加わり、やがてスープの味だけが舌に残る。

 パンとスープの相性は完璧だった。

 スープの甘さに小麦の味が恋しくなり、再びコーンの甘さが欲しくなる。

 夢中で食べ進める十夜の視界の端で、男性が次なる料理の用意を始めているのが映った。

 何となく空中に浮かぶ文章を眺め、思わず二度見する。


【この一回のチャンスで、他の誰よりも大きなジンベエ鮭を吊り上げないことには、青薔薇の姫君たちとのお茶会に参加する資格すらないのだ】


「ジンベエ鮭!? なんですかそれ!?」

「ジンベエ鮭はジンベエ鮭よ。全長十二メートルほどの、赤味のお魚よ。鮭が川を登るさいに、熊に負けない力を得たのよ。この作者さん文章力がとても高くてね、鮭の遡上シーンがそれはもう圧倒的でね」


 十二メートルはある鮭の大群が川を登るなんて、圧倒されるどころの話ではない。川のほうが心配になってくるレベルだ。


「主人公のマーロットちゃんが鮭を釣り上げるシーンもハラハラドキドキしたわ」


 どれほど軽く見積もってもトンはある魚を釣り上げるシーンなど、ハラハラドキドキ以外の何物でもないだろう。マーロットちゃんと言う名の重機以外に想像ができない。


「ちなみに、そのお話のタイトルは……?」

「“もう一度あなたの隣に立つために”よ。記憶喪失になった王子と再び結ばれるために、青薔薇の園を追放されたマーロットちゃんが必死に頑張る、涙なしには読めない恋愛物よ」


 ギャグの間違いでは?

 十夜は何とかその一言を飲み込むと、男性が言うあらすじが真実か否かを確かめようと、記憶の片隅にタイトルを刻んだ。

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