第13話 転居日、そして――

 そうして、約1ヶ月半が経過した。


 桜の花弁は既に散り、青々とした若葉が芽を出し始めている。

 徐々に温かな日が当たり前になってきた。

 換気をすると、心地良い風が室内へと入ってきた。


 そんな今日。

 いよいよ川口雪華さんが転居してくる。


 教授にもその旨を伝えた為、今日は丸1日仕事がない。

 中々ない、丸1日の休みだ。

 安心して彼女を迎えることが出来る。


 時刻は午前10時。

 引っ越し業者は先に到着してマンションの前で待機しているが、本人である彼女が到着するまで荷物の搬入は待機している。


「おかしいな、予定では彼女もとっくに着いている時間だが……」


 スマホがポケットで震動する。

 川口雪華さんからメッセージで連絡が来た。『教えて頂いた住所に到着したのですが、迷っています』とのことだ。


 慣れない場所、それもマンションなら余計に分かりづらいのだろう。

 仕方ない、迎えに行くか。


 俺は靴を履き、マンションの外へと出る。

 すると直ぐに、戸惑った様子で引っ越し業者と会話している川口雪華さんが見えた。


 これだけ近くに居ても分からないとは……。

 東京の密集した集合住宅で建物を判別する難しさを物語っているな。


「川口さん」


「あ、南さん!」


 俺が声をかけると、川口さんが小走りに駆け寄ってくる。

 その表情は、どこか焦っているようにも見える。


「あの、どこから出ていらしたのですか? 近くにそれらしき建物が見当たらないのですが……」


「何を言ってるんですか。ちゃんと、ここに伝えておいたマンション名が書いてあるじゃないですか」


 マンションの外壁に小さく書かれた建物名を指さす。

 少しびているから、見えづらいか?


「……え?」


「本人も到着したことですし、搬入を始めてもらいましょう。業者さん、お待たせしました」


 待機していた引っ越し業者に声をかけると、弾かれたように動き出す。

 キビキビと建物に傷を付けないようブルーの保護材を貼り付け出す。

 あっという間に、壁中が青く染まった。

 無駄なく素早い仕事ぶりだ。

 見ていて気持ちが良い。


 隣で川口さんは「え、え?」と小さく漏らしながら、呆然としているが……。

 彼女も、引っ越し業者によってあっという間に壁が変わってゆく様に驚愕しているのか?

 そうだろうな、これだけ手早い仕事だ。

 同じプロフェッショナルの仕事人として、感嘆しないはずがない。


「さあ、我々は先に部屋へ行きましょう。搬入してくる荷物の指示は、本人が必要ですから」


「……え、あ、え?」


 業者と建物を交互に見比べている川口さんの腕を引き、自室まで案内する。


 6階だからな。

 結構階段を上る必要がある。

 慣れていない川口さんの表情からは、少々の疲労と戸惑いが見られた。

 体力がつけば、自ずと慣れるだろう。


「さあ、どうぞ」


 俺が扉を開くと、川口雪華さんは室内を目にして足を止めた。


「こ、ここ……ですか? 本当に?」


 念願の同棲生活、その新居だ。

 込み上げてくるものはあるのだろうが……。


 引っ越し業者が「すいません、保護材を張らせて下さい」と告げ、軽く頭を下げながら室内へと入ってゆく。


「壁や床を傷つけないように、お願いしますよ。念の為、作業前の壁や床は撮影してありますから」


 忠告するまでもないだろうが、引っ越し業者へと伝える。


 ほんの少し、業者の顔に緊張が増したような気がする。

 やはりキチンと証拠を残しておくことは大切だな。


 川口さんは邪魔にならないように配慮してか、ユニットバスに立っている。

 さすが仕事が出来る人は違うな。


 トイレや風呂には、家具を運び込むことはない。

 そこに立っていれば、引っ越し業者が搬送する導線どうせんにも引っかからないから、邪魔になることはない。

 オマケに少し顔を覗かせれば室内が一望出来る。

 指示出しだって容易だ。


「あの……南さん?」


「はい? どうしましたか?」


 力ない声で、川口さんが口を開いた。


 心なしか、肌がいつもより青白いような……。

 女性の月経と重なってしまったのか?

 貧血なら、キチンと休めるようにベッドも早く整えるべきだが……。



―――――――――――

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