第12話 感動

「止めないんですね……。意外です」


「私としては……。そうですね、お客様は最初から奥様の後ろで暗い顔をされていましたから。結婚式を挙げることに前向きではないのではないか、と以前より感じておりましたので。……奥様とは、結婚式に対して温度差があるのでしょうか?」


「そうなんです。実は、妻は派手に結婚披露宴けっこんひろうえんを行いたいそうなのですが……。私は結婚後の貯金が兎に角、心配でして。挙式きょしきだけでも良いんじゃないかと、当初から……。甲斐性なしと言われても仕方がないのですが……」


「成る程、それは当然のお悩みです。決して甲斐性なしではありません。私どもの責任です」


「え?」


「挙式だけであれば、35万円でご案内差し上げられますが……。披露宴があると、どうしても高くなりますからね。まして以前のプランだと、400万円近くなってしまいますので。それだけの金額差ですから……。将来の2人の幸せな生活への貯えにとお考えになるのも、至極当然かと思います」


「そうなんですよ!……唯、僕の意見は結局、通らないので。こうして妻に隠れて、キャンセルが出来ないかと……。それで、披露宴はもっとお金が貯まってから、とか……」


 男性が辛そうな表情で俯くと、川口雪華さんは何度か頷いた後に、冊子を取り出した。


「こちらが先日、奥様がいらした時に立案されていたプランのお見積もりでございます。――そして、こちらが奥様からお伺いしていた内容から、私がご提案させて頂く秘密の最安値プランです」


「……え!? こんな、一気に100万円近くも安くなるんですか!?」


 な、100万円、だと!?

 長辺を下にすれば、札束が机に立つ程の大金じゃあないか!?

 それだけの値引きを、この一瞬で成すというのか!?


「先ほどお伝えしたように、私もかねてよりご事情を察していたと申しますか……。関係各所へかなり頭を下げ、交渉させて頂きました。ご希望に沿った上であくまで最安値の選択肢でございます」


「それでも、ここまで安く出来るんですね……」


「勿論、削っている部分には奥様が妥協出来ない点や流れもあるかと存じます。ですので、更にご夫婦や私を交えてのお話し合いが必要にはなりますが……」


「……そう、ですね。絶対に、そうなると思います」


「とは申しましても、以前のプランより旦那様にもご納得頂けるプランではないでしょうか?」


「ん~……。しかし妻を説得出来るかどうか……。人よりも高級思考が強いので……」


「――そこで今回は、特別に無料の宿泊プランをご用意させて頂きました。是非、こちらを説得材料に奥様と改めて計画されるのは如何でしょうか?」


「無料の宿泊プラン、ですか?」


「はい。当ウェディング会場は、ホテルに併設されております。その為、宿泊面でかなり融通ゆうづうが利くのです。ウェディング当日は、終わった後に疲れてしまうと思われます。そこで特別とくべつな夜の締めくくりに相応しく、夜景を見ながらフルーツやケーキ、そしてシャンパンが楽しめる格別なお部屋とプランをご用意させて頂きます。今回に関しては、無料むりょうでサービスさせて頂きますので。ご安心ください」


「安くして頂いただけでなく、ここまで……。この価格なら、貯金もなんとか……。これなら妻を説得出来るかもしれません!」


「良かったです。旦那様も、初めて私の提示させて頂くプランで笑顔になってくださいましたね」


 本当に嬉しそうに、川口雪華さんは笑みを浮かべた。

 いや、入ってきた時には暗い顔をしていた男も、だ。


 大したもんだ……。

 キャンセルの話をなくし、ぼったくりではなく、説明した上で納得が出来るプランを提示した。

 それも自身が頭を下げて調整したと言う。

 本当にそんなことをしたのか、とも思うが……。


 男の顔が立つよう、様々な配慮をしたというのが重大なのだろう。

 これが仕事に誇りを持つプロフェッショナルの仕事の一端、という訳か。


 医療も接客業と言われるが、相手が笑顔になることなど、ほぼない。


 それはそうだ。

 元気の対義語が病気なのだから。


 暗い世界から脱却する可能性や方法を提供するのが、医者の仕事だ。

 笑顔や笑い声など皆無の空間で、だ。


 この絢爛豪華けんらんごうかなホテルで、彼女は幸福と元気を提供する仕事をしている。


 眩し過ぎて、俺が知らなかった世界だ。

 本来なら知ることさえ出来なかった、美しく素晴らしい世界……。


「……メッセージ、返すとするか」


 もう、十分だろう。

 もはや彼女が俺を騙して事件を起こすなどとは疑っていない。


 これ程に格式の高いホテルへ従業員を装い、実際に従事している姿を俺に見せつけるなど不可能だ。


 事前に日時を指定して訪れると言っていれば、まだ可能性はある。

 だが突如として来訪した俺に見せつけるなど、出来ようはずもない。


 俺は仕事に対する熱意を見抜く目は確かなつもりだ。

 金の為に仕方なしに取り繕いながら働く人間を腐るほど目にして来た。


 その俺が、確信している。


 彼女は間違いなく、この仕事に誇りを持ち、続けたいという一心から偽装同棲を提案したのだ。

 男性の笑顔に釣られ、自らも心から輝く笑顔を浮かべている姿。

 こんな素晴らしく鮮やかな仕事ぶりを見ては、わだかまりも霧散するというものだ。


「家のセキュリティについて再考せねばな……。俺の責任ではない、同居での事故を防ぐ為に……」


 彼女の仕事ぶり――用意周到さは、練達していた。


 あれだけ幸せそうで、キビキビと丁寧な仕事をする人間なんて……見たことがない。

 一朝一夕の努力で辿り着けるような領域ではない。

 きっと今のように業務をこなせるようになるまで、想像が付かないほどの苦労を重ね、それでも折れずに仕事へと邁進して来たのだろう。


「結婚の強要などと言う、個人の選択権を否定する同調圧力なんかで、今までの努力がにじられて良いはずがない。……決めたぞ。俺は彼女を信じ、応援すると約束する」


 川口雪華さんへ『必ず貴女が仕事を続けられるよう、出来る限りの協力をすると約束します』とメッセージを送る。


「……少し、セリフが臭いか? いや、だが仕方ない」


 胸に込み上げている感動を、これでも理性で抑えた方だ。

 知らなかった世界の魅力を垣間見て、プロフェッショナルの生き方に感銘を受けたのだ。


 俺と同じく恋愛などに現を抜かすより、仕事でやりたいことがあるプロフェッショナルの同志に。


 この感動を言葉にしようとすれば、酷く支離滅裂しりめつれつな上に長文となるだろう。


「俺の知らぬ明るい世界で、懸命かつ活き活きと働いているんだ。俺には手が届かない、縁遠い世界だが……。だからこそ、新鮮な感動を覚えてしまった」


 同じように仕事へ情熱を注ぐ者として、だ。

 働く世界、住む世界の明るさは天と地獄ぐらい違くても、仕事に目標を持ち輝いているのは変わらない。


 それなら、応援してやりたくもなる。


 良いものを見させて頂いた。

 これ程に深く感銘かんめいを受けたのは、ちょっと記憶にない。

 彼女ならば、互いのメリットを果たす契約を守ってくれる。

 そう信じられる仕事ぶりだ。


 気付かれないように立ち去ろうとして、多くの視線が集まっていることに気が付いた。


 カフェのスタッフに、客。

 立て看板に隠れている俺を、皆がいぶかしげに見つめている。


「す、すいませんね。今、帰りますんで」


 焦ってガンッと軽く立て看板に衝突しながら、俺は早足で立ち去った。


 沈み込む深い絨毯のせいで、足がもつれる。

 クソ、これだから機能性を考えていない造りは嫌いなんだ!


 胸中で悪態を吐きつつ、自転車に乗り自宅へと戻る。


 その夜、俺と川口雪華さんはシフト勤務カレンダーアプリを共有した。

 これにより、彼女の転居日程や互いの両親への挨拶日の摺り合わせなどは一気に進行した。


 彼女が転居してくる予定日は、約1ヶ月半後だ。


「しっかりと、彼女を迎える準備をしないとな……」


 医者がやる単発のアルバイト――スポットバイトを探す為、俺は知人の医師へと連絡を取った――。



―――――――――――

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