第9話 私と――

「あの、失礼ですが……。お医者様になられてからは、何年ぐらいなのでしょうか?」


 どうやら、違ったらしい。

 川口雪華かわぐちせつかさんは、見た目こそ若いが相当にしっかりとした受け答えをしている。


 そうか、俺が医者としては若造に見えるのに、業界を語っているのが気になったのか?

 仕事に誇りを持ってそうだからな。

 軽い気持ちで仕事を語ることに嫌悪した、と。

 分かる、その気持ちも理解出来る。


「今、8年目ですよ。俺もこの歳にして……やっと目標に近づいて来ました」


「えっと、医学部は6年制ですから……。今は、32歳でいらっしゃいますか?」


「ああ、いえ。学費を稼ぐ為に3年間程、民間会社で期間工をしていましてね。今年で36歳です」


「まぁ! それでは、庶民――いえ、お金に関するご苦労も、されているんですね?」


「ええ、それはもう」


「それは……大変だったのですね。だからでしょうかね、貴方は価値観が私のような庶民と……かけ離れていないと感じるのです。正直、お医者様の中には経済観がかけ離れていて、お話が合わない方もいらっしゃるのですが……」


「ああ、それは間違いないですね。俺もそういった医者とは話が合わず、困っているんですよ。とは言え、上手く付き合っていかなければ、ですがね」


 思い出すだけでイヤになる。

 一晩に十万以上の金を、飲食などというものに平気な顔をして使うヤツらが多いことに……。


 それでも、医者同士の繋がりは大切だ。

 理解不能の経済観念だろうと、医者としてやるべきことをしっかりやっていて、議論が出来れば良い。

 それが円滑な仕事や、伝手で利益へと繋がるのだから。

 多少は我慢して、目を瞑るべきだ。


「……ゆとりある経済だけでなく、常識まで持っている、と。嘘がバレるリスクも少ない。仕事にプライドがあってイケメン、更に人の心情に寄り添う世渡りまで――」


「――は? 今、何か?」


「いえ、何でもありませんよ!………あの、つかぬことをお伺いしますが……お車も、お持ちで?」


「ええ、まぁ……。大したことはありませんが、持っていますよ」


「それは……とても素敵ですね! さすがです!」


 なんだ、妙に興奮しているな。

 自転車を持っているのが、さすが?


 ……いや、そうかもしれない。

 我ながら、よくやっていると思うからな。


 東京に暮らしていれば、電車と自転車で問題なく生きていける。

 それでも医者ってのは、財力を誇示するように高級な自動車を購入し、目と鼻の先ぐらいの距離でも自動車で移動することがある。


 俺は多少遠くても自転車で移動する。

 それは地球へのエコロジー的にも、経済的にも褒められるべき行為だろう。

 よく分かっている人だ。


「と、突然話が変わりますが……犯罪行為について、どう思われますか?」


「最低な行為ですな」


「即答、ですね」


「俺は犯罪が許せないんです。守るべき線引きがあるのに破るなど、もっての外。常に警戒しているぐらいですよ」


 家の有刺鉄線然ゆうしてっせんさしかり、しのがえしかり。

 空き巣やその他の犯罪行為、明確に線引きされた秩序を乱すようなことは、あり得ないと思っている。


 事故と違い、事件は起こすものだ。

 心から反省し、キチンと弁済していれば同情の余地はあるが。


「倫理観にも問題がない男の人……。何より、犯罪行為で失う物が大きい人は、安全……。これは、ありかな?」


 川口雪華さんは、小声で呟いた。


 俺の酔いが回っているせいだろうか。

 声は耳に入ってきても、意味を理解するのに時間がかかる。


 失う物が大きい人間の方が、犯罪を犯すリスクは少ないだろう。

 社会的制裁で、身分を失うのを怖れるからな。

 それは理解出来るが……。


 何がありなんだ?


「色々とハイステータスの貴方なら、見る目が厳しい私の両親でも納得してくれるかも……」


「ご両親、ですか?」


「……はい。実は私の親は、過保護で考えが古くて……。相応しい人と結婚をしないのなら、実家に帰り婿を取れと言っておりまして……」


「それは……由々しき問題ですな。今の仕事に全力を注ぎたい貴女からすれば、余計に」


「そうなんです。両親だけじゃなくて、同僚も……。結婚の話で圧をかけてきてばかりでして。安心して仕事に集中出来ないんです」


 なんだって?

 俺と、全く同じ境遇だと?

 こんなバカげた話、俺以外にないだろうと思っていたが……。


 世の中は狭いな。

 まさか同じ悩みを共有する同志と、こうも簡単に出会うとは。


「俺の両親や同僚も、同じです。どうしても結婚させたがって、仕事の弊害にまでなっている。結婚しないことは、変人の証とでも言うように」


「私も全く同じ状況に悩んでおりまして……。本当に悩んでいて、その……」


 川口雪華さんは、言い辛そうに口をまごつかせている。

 少し思い悩んでから、流し目を俺に向けながら、恐る恐る口を開いた。


「そこで提案なのですが――私と偽装同棲をしませんか?」


 自分の耳を疑った。


 アルコールで酔っていようと、確かに聞き取った言葉だが……理解出来ない。

 なんだ、それは。



―――――――――――

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