第64話 砂の女王の独り言(1)
商会の代表代行が、今日もやって来る。
私は下女のように、室内を整えて回り、どうにか一言でも叱責を少なくできるように努めている。立派な部屋であるけれど、私物と呼べるものは少ない。豪奢な花瓶も、アンティークの小物入れも、プレゼントされたものだ。不意に思い出し、先週渡されたばかりのイヤリングを慌てて身に付けた。これもまた、プレゼント……でも、私の物ではない。ほんの少し間違えて、怒りを買えば、何もかも取り上げられてしまう。
私は、砂の女王。
砂の女王と呼ばれている、哀れな女である。
少しだけ、よろしいでしょうか。
どうか、この砂漠の街の歴史を語らせてください。
この辺り一帯の大砂漠は百年前まで、とても荒れた土地でした。雨は降らず、作物は育たず、自然環境だけでも世界で一番を争うぐらい過酷なのに、魔物は強くて多かった。わざわざこの地に流れて来る者と云えば、西方で居場所を失った犯罪者ぐらい。
古くからこの地に住まう遊牧民族は、いつも耐える暮らしを送っていました。自然の厳しさと恐ろしい魔物、さらに犯罪者たちが徒党を組んで出来上がった盗賊団……私たちは、ただ一方的に奪われるだけの弱者でした。
砂の王(あるいは、女王)は、遊牧民たちの代表として昔から存在していました。
王という称号は、まるで精一杯の虚勢に思えます。
弱者を束ねる王もまた、どうしようもなく弱者でした。
しかし、ちょうど百年前のことです。
この地は一度、救われました。
魔物たちを打ち倒し、盗賊団を追い払い、さらにオアシスを開放することで、砂漠の街のいしずえを築いた一人の放浪者。年若い少女でありながら、誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも優しかった……。史実でありながら、まるで神話か御伽噺のように語られ続ける救世主さまについて、残念ながら、その名前は後世に伝わっていません。
だからこそ、この地の人々が英雄や救世主という言葉を口にする時は、彼女を指し示します。
風のように現れて、風のように去って行った救世主さま。
尊き御方が平和をもたらした土地に、古くからの遊牧民たちが定住したことで、この砂漠の街は生まれました。幸いなことに、西方と東方を結ぶ交易の要所として栄えることになります。それから数世代は、幸福な時代が続きました。
栄華の終わりは、私の代でやって来ました。
正確に云うならば、私が子どもの頃にすべては終わりました。
私腹を肥やすようになった王家の跡目争い、百年前に滅んだはずの盗賊団の復活と復讐。運悪くこのふたつの凶事が重なったことで、王家の血筋はことごとく失われることになります。血筋の者同士で殺し合う泥沼の政争に、盗賊団の魔手が絡み付き、それはもう凄惨な悲劇が毎日のように続きました。
目の前で、母は腹を刺されて死にました。
父は、オアシスの底に沈んでいました。
兄は、盗賊団に果敢に挑んで返り討ちに遭いました。
妹と弟は、避難したはずの辺境の村で行方知れずとなりました。
叔父たち、叔母たち、いとこ、はとこ……王家の血に連なる者は、全員の名と顔を覚えきれないぐらい、たくさんいましたが、全員死にました。そして、吐き気がこみ上げるぐらいの最悪の顛末として、一時は、玉座に盗賊団の頭が座っていたこともありました。
伝説の救世主さまは……。
二度は、現れませんでした。
代わりに、砂漠の街の危機を鎮めてくれたのは、大交易地であることから密接な繋がりのあった商会でした。金があれば、なんでもできる……それを体現する彼らは、見事に盗賊団を玉座から退け、代わりに、王家唯一の生き残りであった私を傀儡として担ぎ上げました。
それから、十数年が経ち――。
商会に支配されるこの街は、とても栄えています。
砂の女王には、もはや実権などありません。私は、古くからの伝統や文化を象徴するだけの存在と成り果てています。建前として、商会の人々も敬う立場を取ってくれますが、影では嘲笑されていることぐらい知っています。
私自身も、王たる資格が無いのはわかっているのです。
スキル『砂漠を統べるもの』。
遊牧民だった時代から、私たちの一族の誰かに、神様が必ず授けて下さったスキルです。これを手にした者が、部族の代表として王を名乗って来ました。
私のスキルは違う。
珍しくもない、普通のスキルです。
本来は、王を名乗る立場にありません。
みんな、殺されてしまった。殺し合ってしまった。おそらく、死んでしまった血族の子どもたちの中に、スキル『砂漠を統べるもの』を授けられるはずの者がいたのではないでしょうか。もはや、取り返しはつきません。みんな、死んでしまった。
偽りの女王として、私は無様に生きています。
商会に、都合よく生かされています。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
こんな私を、笑うために――。
商会の代表代行が、今日もやって来る。
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