第62話 奴隷少年 VS チンピラ集団(4)
奴隷少年は、スキル『格闘家』を所持するという大男に対して、無造作に間合いを詰めていた。近所を散歩するように、ゆっくり、まっすぐ――。剣の間合いをあっさり通り過ぎて、拳の届く距離まで近付いてしまう。
明らかに、不利な行動だろう。
奴隷少年は、冷めた瞳で大男を見上げる。
「怖くて手が出ないか?」
挑発。
大男が雄叫びと共に、拳を振り上げる。
ボディに一直線、フルスイングのパンチがめり込む。奴隷少年は回避する様子を見せなかった。というか、パンチが直撃した瞬間すら、ピクリとも動かなかった。まるで大樹でも殴り付けたかのようだ。奴隷少年は何事も無かったかのように、冷めた視線で大男を見つめ続けている。
「……は?」
ボクはもちろん、この場の全員が驚いていた。
誰の目にも明らかなぐらい、体格の差は歴然としていた。ボクに比べればマシな方だろうけれど、奴隷少年も平均より小柄だ。その上、宝石細工のように繊細な体躯である。大男の丸太みたいな腕と、奴隷少年の整った小顔は同じぐらいの大きさに見えてしまう。
フライ級が、ヘビー級に全力で殴られるようなもの。
身体付きだけで考えても、パンチが直撃すればKО確実に思える。
加えて、スキル。
スキル『格闘家』がチンピラたちのハッタリで無いならば、奴隷少年が拳の一撃を真正面から受け止めるのは異常事態である。ありえない。戦闘することに特化したスキルを、ちゃんと平均以上には成長させている様子なのに、まったく通用しないなんて。
女モンクのスキル『拳聖』、女アーチャーの『弓術』。
これらも、戦闘スキルである。
一方で、女船長のスキル『海越え』は違う。
クラーケンに真正面から挑んだように、スキル『海越え』も戦えるスキルではあるものの、あくまで特定の条件や状況などで強化効果を発揮するタイプだ。スキル『海越え』は、本人と船を結び付けることが本質であり、戦闘能力の向上はその結果である。戦いに関しては副次効果のひとつに過ぎない。
戦闘スキルというのは、それだけにシンプル。
戦うことしかできない。
特化している分だけ、当然、安定して強い。
一般的に、戦闘スキルは魔物相手に使用するものというイメージを持たれている。実際、スキル『格闘家』のパンチやキックは、トロールの分厚い腹部を衝撃で凹ませ、ブラッドウルフの爪や牙を叩き折り、岩石タートルの甲羅をぶち割る。
スキル『格闘家』は、人間の手足をハンマーや大砲と変わらない武器に変えてしまう。
奴隷少年は、スレッジハンマーで腹を殴られたのと変わらない。
痛いとか、そういうレベルではなく――。
死んでもおかしくない一撃だったということだ。
「て、てめぇ……」
大男の顔面には、だらだらと大量の脂汗が流れ出していた。
フルスイングの一撃を受け止められてしまったこと。
欠片ほどのダメージも与えられなかったこと。
そして。
今から、反撃が待っているということ。
すべてに、彼は恐怖していた。
「な、なにか、防御スキルだな……。そ、そうとしか考えられ――」
「違いますよ」
奴隷少年は答えながら、木剣を上段に振りかぶる。
「純粋に守りだけのスキルならば、この一撃は打てません」
奴隷少年の放った一撃は、お手本みたいな素振り。
雷鳴が落ちたかのように。
奴隷少年の振り下ろした木剣は、大男の鼻先だけをかすめていた。剣先がちょっと触れただけで、大男の鼻骨、軟骨はコナゴナのグシャグシャになったらしい。そのまま敢えて、威力を見せつけるように、奴隷少年は木剣で地面を打ち付けた。砕ける。文字通り、地面が砕け散った。
顔面を両手で覆いながら、泣き声を上げて、大男はうずくまる。
奴隷少年はもう一度剣を振り上げてから、ため息を漏らした。戦意喪失して防御の体勢も取れない大男に、さらに木剣で一撃を加えるのは躊躇われた様子。やれやれ仕方ないという顔で剣を下げると、代わりに、足元で丸まっている大男を蹴り上げた。他のチンピラたちの方に、大男は泣きながら転がされていく。
「次」
奴隷少年は、残り二人のチンピラに木剣を突き付ける。
ところで――。
うん。
良い所で、ごめんね。
小話を披露したい。
後々、奴隷少年とこの時の出来事を振り返った際には、「そう云えば、スキル『格闘家』のパンチをどんな裏技で防いだの?」と、ボクはワクワクしながら種明かしを求めた。スキルか、あるいは魔法か。それとも、奴隷少年の達人級と思しき剣術には、ダメージを和らげる身体操作のような奥義があるのかも知れない。期待のまなざしを向けるボクに対して、奴隷少年はいつも通りの澄ました表情で答えてくれた。
「我慢です」
「え?」
「あるいは、根性です」
奴隷少年は、自分語りをしない。
ここに至るまで、20万字近くを自分中心に語り続けるボクとは、やっぱり対照的である。ボクが己を語ろうとすればスキル『エロ触手』が外せないので、冒頭(というか、タイトル)からスキルの話で始まっているけれど、奴隷少年が主人公だった場合はそんな風にはならないのだろうね。
彼のスキルは相変わらず秘密のままだ。
ボクが、「ご主人様の命令なんだから教えてよ」と卑怯な云い方で迫っても、「ダメです」とキッパリ断ってくる。笑ってもくれない。ベロンベロンに酔っ払えば口を滑らせるのではないかと、「ほーら、ご主人様の酒が飲めないのか」なんてモラハラ上司みたいに振る舞ってみたこともあるけれど、奴隷少年は酒に強いのだ。ボクの方が先に潰れて、ただ介抱されて終わった。げろげろの片付けまでやってくれた後、むしろ笑顔を見せてくれる優しさが痛いぐらい胸にしみましたね(反省しています)。
ボクの予想に過ぎないけれど――。
戦闘スキルではない、と思う。
戦うだけのスキルではなく、どちらかと云えば、女船長のスキル『海越え』のようなタイプではないか。本質は別にあるけれど、何らかの条件・状況を満たせば戦うこともできるタイプ。ちなみに、戦闘スキルではないと予想する根拠は、奴隷船がクラーケンに襲撃された当初、ボクらが船長室に閉じ込められた際の出来事である。
ちゃんと書き記したけれど、諸兄は覚えているだろうか?
奴隷少年はあの時、鍵の掛かった扉をスキル効果で開けてみせた。
力任せに扉をぶち破ったという事であれば、戦闘スキルで問題ないけれど、鍵開けという効果からはイメージが難しい。戦闘スキルの中で可能性があるとすれば、スキル『盗賊』か、その派生形だろうか。奴隷少年の正面切っての戦い方からは、やはりピンと来ないけれど。
まあ、奴隷少年の秘密について、これ以上はアレコレ云わないでおく。
仲良くしておきたいからね。
腹の探り合いをするつもりはないのだ。
秘密を抱えているのは、お互い様である。
奴隷少年、それと女船長も――。信用している、信頼している。友情や愛情だって感じている。だからと云って、自分自身という人間の一から十まで、すべてを丸投げするみたいに曝け出すのは、なんだか逆に無責任にも思えてしまう。今はまだ、ボクだけが抱えておけば良い物事ってのは、ある。
ちょっと話がズレたね。
奴隷少年は戦闘スキルではない。
ボクの見立てでは、そうである。
戦闘スキルではないのに、奴隷少年はスキル『格闘家』のパンチを正面から受け止めた。我慢、あるいは、根性だけで……。あれ、もしかして……。そんなことは無いと思っていた。思いたかった。ボクにとっての奴隷少年というキャラクターは違うのだ。それでも、もしかして……。
ボクは思わず、云ってしまった。
「もしかして、バカなの?」
コメディリリーフはひとまず、ボクと女船長で間に合っているから。
お願いだ。
来るんじゃない。
君まで、こっちに来るんじゃない!
「失敬な」
奴隷少年は澄ました顔で、ため息を吐いた。
「ご主人様を馬鹿にされたからですよ。怒りに我を忘れそうになったのは、本当にひさしぶりの事でした。あの瞬間、僕はひとつの事だけしか考えられなくなっていました。どのようにして、最大の恐怖や後悔を与えてやれば良いのか……。あっさり倒すなんてダメです。徹底的に心をへし折ってやらなければ気が済まない」
思い返し、怒りが再燃したかのように話し続ける奴隷少年。
「だから、スキル『格闘家』のパンチを受けようと思いました」
「意味がわからない……」
「己の頼るべきもの――スキルというプライドを打ち壊してやりたかった。それだけです。スキルや魔法を使っていたわけではなく、何らかのテクニックを用いたわけでもなく、やってやるという気持ちだけで挑みました。正直に云えば、めちゃくちゃ痛かったですね。死ぬかと思いました。でも、我慢しました。根性で顔色ひとつ変えませんでした。結果として、彼らはとても良い表情を見せてくれたと思いますよ」
キリっとしたイケメン顔は、今日もまた美しい。
でも、ちょっと残念な空気も漂い出していた。
あー、奴隷少年。
あー、こっちに来ちゃった。
ウェルカムトゥーアンダーグラウンド。
コミカルな要素を醸し出すということが、どんな意味を持つのか、果たして君はわかっているのだろうか? うーん、残念ながら、わかっていない気がするね。シリアスなポジションに収まっていれば安泰だったかも知れないのに、こちら側に堕ちて来るということは、あれですよ、快楽堕ちの可能性がグッと高まるってことですよ。
エロ触手が、「呼んだ?」と、虚空の穴から問いかけて来る。
まだ、呼んでません。帰りなさい。
というか、勝手に穴をオープンするな。
もしかしたら、奴隷少年がエロ触手に襲われる展開を望む読者層が存在するかも知れない。今後もツッコミ所を見せるようであれば、いつかそんな日も来るだろう。せめて、ボクは祈ろう。奴隷少年が末永く、格好いい美少年で在り続けてくれることを。
さあ気を取り直して、奴隷少年の活躍シーンを続けよう。
たぶん、それが彼のためである。どうかシリアスであれ。
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