第60話 奴隷少年 VS チンピラ集団(2)
「外に出ろ。船長が掃除を済ませた部屋を、貴様らの汚い血で汚したくない」
普段の穏やかな様子はナリを潜め、奴隷少年の表情には暗い影が差していた。
ギラつく殺気は唸る狼のようである。
一方で、木剣を構える姿は大樹のように悠然としていた。
「次から次にガキばかり、いらんちゅうねん! オレらの用事あんのは、そっちの船長や。おーい、こら、聞いてるかぁ? てめぇがちゃんと積荷を寄越さんかったから、面倒なことになっとんねん!」
チンピラが相変わらず吠える。
ただし、吠えながら、ゆっくり一歩後ろに下がっていた。無意識の行動だったのかも知れない。奴隷少年はごく自然に、大きく一歩前に出ていた。チンピラたちの表情に焦りの色が浮かぶ。
奴隷少年が、さらに一步進む。
彼らは「うっ……!」と言葉に詰まり、また後ろに下がる。
騒がしいだけの野良犬たちが、無言の狼に圧倒されていた。
どうやら、格が違うね。
「あはは、イキリ散らした直後にビビるとは、傑作だねぇ!」
女船長が笑い飛ばしていた。
たたみ掛けるように、さらに怒鳴りつける。
「さっきから黙って聞いてれば、ずいぶんと好き勝手に吠えてくれるもんだ。わかってんのかねぇ? ボスを馬鹿にされて、黙っている手下はいねぇんだよ。あんたら、うちの社長にどれだけ舐めた口をきいてくれたか……。まあ、こっちのボウヤが小さくて弱っちく見えるのは事実だけど、てめえらにそれを云う権利はないさ。ドタマかち割ってやるから、あたしの忠告をちゃんと詰め込んでから帰りな。どうせ大した中身も入ってねえだろうから、いくらでもジャンジャン入るだろ、あたしからの、ありがたい言葉がよぉ!」
うーん、どっちがチンピラだ?
仲良くなって見過ごしがちだけど、女船長はやっぱり悪党寄りの人間である。
あと、地味に中盤あたりでボクをディスるのやめてください。
「な、なんやねん……。悪いのは、おのれちゃうんか。契約を守らんかったのは、そっちが――」
「あぁ? おいおい、何を云ってんだい? イチャモン付けているのは、そっちじゃないか。あたしの仕事は、奴隷船で安全安心に海を渡ることさ。船の積み荷は奴隷だけど、どこの誰に売るだとか、そんなことは知らないねぇ」
「そ、それがおかしいやろ? こっちはそもそも、奴隷商人と取引しとんねん。商人は、オレらに奴隷を売ると約束しとった。商人は、自分とこの商品である奴隷たちをおのれに預けた。おのれの仕事は、この街まで奴隷を運んで来ることやった。ほら見ぃや! 奴隷たちを引き渡せや! なんで自分のもんにしとんねん、おかしいやろがぁ!」
ややこしいので、整理しよう。
奴隷船に乗せられていたボクを含めた奴隷たちは全員、奴隷商人の商品である。女船長はあくまで運搬を請け負っているに過ぎない。奴隷商人から代金を頂戴し、奴隷たちを砂漠の街まで運び、このチンピラが所属する集団に引き渡すという契約を結んだ。事実として、女船長は契約不履行の状態である。
「バーカ」
女船長は、舌を出しながら笑う。
「そんなことは承知の上だよ。奴隷を運ぶ仕事なんて、完璧にできるもんじゃない。長い航海だと、商品である奴隷たちに死人が出ることも珍しくない。魔物に襲われて、船が沈んで何もかも海の藻屑ってのも、よくある話だろ? よくあるから、契約に織り込み済みだ。あたしと奴隷商人の間には、奴隷を届けられなかった場合の違約金の支払いについて、ちゃんと取り決めがある。今回は、預かった商品の奴隷百人を、残念ながら一人も無事に届けられなかった……ああ、本当に残念だねぇ。その分の違約金は、ちゃんと奴隷商人に支払わなければいけない。あたしは、大損さぁ……。むしろ、優しく慰めて欲しいぐらいだけどねぇ。あんたらに怒鳴られる筋合いは、何も無いだろう?」
「……いや、おかしい。やっぱ、おかしいやろ」
チンピラはしばらく黙って考え込んでいた様子だが、詭弁と罵りはじめた。
「奴隷たちが全員死んだら、そりゃそうやろ。オレらに引き渡すもんが無いんやったら、そりゃ諦めるわ。……でも、ちゃうやろ! ここにも二人おるやんけ! 奴隷たちは全員、百人ともピンピン生きとるやんけ! じゃあ、引き渡せやっ!」
女船長が答える。
「ああ、奴隷たちは生きている。だが、関係ない。商品を預かっている間に管理する立場の者として、この奴隷たちは売り物にならないと判断した。例えば、流行り病に罹っている奴隷をそのまま引き渡したら、あんたら、ブチ切れるだろ? それと理屈は同じだよ。あたしなりの判断基準で、こいつらは商品にならない……だから、引き渡せないと判断した。奴隷商人には、あたしから金を払う。あんたらも、まだ奴隷商人に金を支払ったわけでもないはずだ。奴隷という商品が届かなかっただけで、懐が痛んだわけじゃない。だから、あきらめなよ」
チンピラたちは云い返そうとするが、なかなか言葉が出て来ない。
こちらの主張は、実際の所、法的には問題ないはずだ。ボク自身、女船長の交わした契約書の内容には目を通している。というか、そうした書類を色々とチェックする中で、今回のやり口を考えたのは他でもないボクなのだから。
問題があるとすれば――。
理屈ではない部分。
仁義に欠いていると、ボクでも感じている。
思い出すのは、欲望の街に根を張っている暴力的な組織たち。末端の構成員に至るまで、彼らは、理屈抜きの感情に由来するものに重きを置いた。果たして、砂漠の街はどうだろうか? 目の前にいるチンピラたち、そして、彼らが所属する大組織はどのような考え方をするだろうか。
「地下闘技場が、商売に使う奴隷たちを見過ごせると思ってんのか……」
頭を抱えながら、ぼやかれる。
地下闘技場。
大交易地の観光名所として知られる、奴隷たちの闘技場。
このチンピラたちが何者かと云えば、闘技場の使い走りだろう。……いや。それだけでは言葉が足りないか。地下闘技場を運営している上部組織が、ボクらに本気で喧嘩を売ってくる可能性はさすがに無いと思うけれど。
それでも、一応は触れておこう。
地下闘技場の運営母体は、底なしの財力を有する商会である。
「こちらの主張はすべて伝えましたね。それでは、お帰りください」
奴隷少年が、涼しい声で終わりを告げる。
次の瞬間、稲妻のような突きがチンピラの一人を吹き飛ばした。
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