第59話 奴隷少年 VS チンピラ集団(1)

 ボクは椅子から立ち上がり、真正面にズズズと虚空の穴を開いた。


「ダメですよ、ご主人様!」


「ちゃんと話し合ったこと、思い出しなっ!」


 次の瞬間、奴隷少年と女船長から怒られた。


 怒られたというか、女船長からは頭にゲンコツまで落とされた。


 ポンッとか、コツンとかではなく。


 ドゴッ! である。


 うずくまる。


 チョー痛い。


 夜のベッドでは盛りの付いたアホアホ駄犬みたいになるのに、通常モードは雌ライオンみたいに獰猛な女船長である。快楽堕ちしているのに、ボクに対しても基本的に容赦ない。怒るし、叱るし、ボコボコ殴って来る。く、悔しい。クソ―、やられっ放しでなるものか。今晩、覚えていろよ……。ひさしぶりに本気を出して、泣いて謝るまでいじめてあげようじゃないか(……あれ、もしかして逆にご褒美かも?)。


 足元では、先っぽだけオハヨーしかけていたポチが、「えええ、お呼びでない?」と、ガーンとショックを受けながら穴の中へ引っ込んだ。うん、ゴメンね。怒りに身を任せて雑魚敵を薙ぎ倒す主人公に憧れてみたけれど、ボクにはまだ早かったみたいです。大人しく、椅子に座り直した。


 もちろん、やってやれない事はないよ。


 乳首だけでなく、急所のすべてを同時にドリル攻めすることも可能だ。


 もしもスキル『エロ触手』をいつも通り発動させていたら、ボクの怒りがポチのテンションを高めて、礼儀のなっていないチンピラたちは、おそらく丸一日は立ち上がれない状態(意味深)になっていただろう。荒っぽく啖呵を切ってやるとすれば、「尻の穴から触手突っ込んで奥歯ガタガタ云わせてやろうかぁ?」という所である。なお、これは脅し文句ではない。繰り返す、脅し文句ではない。文字通りのプレイが実行される可能性に注意されたし。


 とはいえ、やっぱりボクは手出しできないのだ。


「てめえ、なんやねん! やらへんのか、腰抜けがぁ!」


 チンピラが騒いで煽って来るものの、ここはガマン……。


「チビ! おいこら、チビ! 無視すんなや、チビ、チビ、チビィィッ!」


 ふぐぬおおぉぉー……ガマン、ガマンヌヌゥゥ……。


 椅子に座ったまま耐え抜くボク、行儀よく膝に置いた両手の拳がプルプルしていた。


 冷静に。


 必死に。


 約束を思い出していた。


 奴隷少年と女船長と事前に話し合い、砂漠の街での振る舞いにはルールを設けている。


 スキル『エロ触手』を大っぴらに使用しないことも、そのひとつである。


 理由は、三愚姫。


 奴隷船でクラーケンを相手にエロ触手が大立ち回りを演じようとも、その場所であれば仲間内の目に入るだけで済む。砂漠の街では、そうは行かない。


 奴隷少年に至極冷静に云われてしまったものだ。「ご主人様のスキルは目立ちすぎます」なんて、ちょっと呆れたような流し目で――。


 まあ、ねぇ……。正直、その点は反論できなかったボクである。以前にも奴隷少年から指摘された事だけど、スキル『エロ触手』はユニークスキルだと思われる。博識博学の奴隷少年でも前例は聞いたことがないのだから、まあ、そうなんだろう。


 ユニークスキルは、世界にひとつだけのスキル。ボク以外にスキル『エロ触手』を授けられた人間は存在しないのであれば、エロいことする触手というUMA以上の珍生物は、そのままボクの居場所を知らせる最大の目印になってしまう。


 砂漠の街は世界最大の交易地である。


 それゆえ、大量の物と、無数の人々が集い、さらに嘘か誠か知れない情報が日夜飛び交う。金になる物事に対しての嗅覚が鋭い土地なのだ。このような所で無闇にスキル『エロ触手』を披露すれば、噂はあっという間に広まる。それこそ見つけてくださいと云っているようなものだろう。


 三愚姫はたぶん、「いたいた、ここにいた、愛しの帝王さま! エロ触手さま! イヤッフッフー!」なんてテンション高く飛び跳ねながら、その凶悪な魔手を伸ばして来る。いやまあ、ボクは三愚姫の正体に心当たりも無いので、頭がパッパラパーなキャラクターはあくまで想像に過ぎないけれど。


 なお、三愚姫に対しての危機感が、ボクはどうやら足りていなかったらしい。


 奴隷少年と女船長に約束した日のことを、さらに思い返してみよう。


 あれは、砂漠の街に到着してから、最初の夜のこと――。


 航海が無事に終わったことを、奮発した高級ワインで乾杯しながら、ボクと奴隷少年、女船長という妙に気の合うようになったメンツは、歌ったり踊ったりのドンチャン騒ぎを終えた後で、今後の計画を改めて煮詰め合っていた。三愚姫について、警戒と対策を熱心に主張したのは女船長だった。結局は、その意見が認められたことで、スキル『エロ触手』はしばらく使用禁止という結論になってしまうのだけど。


 ボクは最初、反論した。


「いやいや、三愚姫なんて……。ご大層なニックネームが付いていますけれど、風俗店のヤバい常連客ってだけでしょう? 厄介オタクの三段進化バージョンというか。三愚姫に見つかっても、チョイチョイとエロ触手で嬲ってやればスッキリ和解できるのでは?」


 まあ、ボクだって馬鹿ではない。


 欲望の街を荒らし回っている三愚姫が、そんな無茶苦茶ができるぐらいのヤバい権力者たちであることは、ちゃんと理解している。その上で、女船長の警戒っぷりは過剰ではないだろうかと、敢えて必要以上にふざけて見せていた。


 甘い考えには、女船長がさらに厳しく意見を述べた。


「あたしだから、わかる」


 この場合の『あたしだから』は、『快楽堕ちしている、あたしだから』の意味である。


「チョイチョイなんて、気軽にボウヤは云うけれど……。違うんだよ。男女がベッドで絡み合う楽しみ方と、本質的にアレは別物なんだよ。三文小説なんかで、『天国に逝かせる』なんて手垢の付いた表現があるけれど、それがまあ人間の限界だろうさ。アレは『地獄に絡め堕とす』。絶対に逃れられない底なし沼に、頭まで漬かっているような気分さ。終わらない終わらない、永遠を感じるような快楽で、ああ……。頭の中にズブズブと沁み込んで来て、気が付いたら自分の一部みたいになってる。だから、忘れられない。一夜で満足することなんて無いね。居なくなるという悲しみを一度経験しちまったから、今度こそ一生、自分の手元に置いておかなければ気が済まない。安心できないって類のもんだよ」


 女船長はそんな風にキッパリ云いつつ、説明の途中から、ボクにクネクネと身を寄せて来ていた。


 おおぅ、このメスブタ船長め……。


 自分自身の言葉で、やる気スイッチがオンしている。エロ触手を語るために、じっくりねっとり夜のアレコレを頭の中で振り返っていたら、そちら側に少しずつ意識を持って行かれたらしい。深淵を覗く者は、深淵に……って、おい、こら。デカい胸でスリスリとマッサージを始めるなっ!


 奴隷少年も見ている前で、脱ぎ始めるんじゃない!


 口移しでワインを飲ませっ……ん、ぐっ……。


 ……。


 と、とにかく、女船長の痴女っぷりは放っておこう。


 話題が取っ散らかる。


 回想シーン、終わり!


「おーい、チビ! 威勢よく立ち上がったクセに、ビビッたんか? おおん?」


 そして、チンピラが鳴きやまない。


 あー、もー。


 チワワか、こいつら。


 会社の事務所を兼ねているこの屋敷に、名乗りもせずに上がり込んで来て、キャンキャンと騒ぐばかり。もっとスマートに用事を済ませられないものか。……まあ、無理だろうな。交渉能力なんて欠片も無さそうな下っ端である。深読みすれば、こいつらは無駄にトラブルを引き起こすことも仕事の内なのだろう。


 さて、どうしたものか。


「ご主人様」


 罵倒されて、侮蔑されて、ボクは怒りに震えていた。


 やっぱり、激情に身を任せるのは良くないね。


 視野が狭くなる。


 だから、気づいていなかった。


 ボクが怒っている以上に、それよりも遥か、ずっと――。


 静かに、されど深く、怒りをメラメラ燃やしている人物がいるってことに。


「ここは、僕にお任せください」


 訓練用の木剣を取り出してきた奴隷少年が、チンピラたちの前に立ちふさがる。

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