第52話 勇者の独り言(3)

 三愚姫の一人が、教会の象徴たる聖女であるとして、勇者パーティーの仲間であるあそび人の正体にたどり着いた時、実力行使に出るような可能性はあるか? 私は、十分にあり得ると思う。エロ触手にはそれだけの魅力がある。あれは、底なしの魔性である。


 私自身も虜だから、想像してみれば、三愚姫の愚かな振る舞いに共感はしないものの、理解することならばできる。


 帝王が、ある日、夜の街から消えた。


 いつでも、そこにあると思っていた快楽――それが手品のようにサッと消え去り、ああ、無情。エロ触手の快楽がもう二度と味わえないという残酷な事実を突き付けられた瞬間、ドハマリ常連客たちは何を思っただろうか。


 悲哀、衝撃、慟哭。


 ただ、絶望。


 それから、感情が空っぽになった後に止めどなく湧き出てくる、怒り。


 闘争心、あるいは、野心。


 奪われたものを、奪い返そうと、彼女らは戦闘を開始するだろう。


 あそび人が行方不明となった直後、私だけは一人、三愚姫の魔手が遂に伸びてきたのかと身構えたものだ。魔王と殺し合う運命は仕方なく受け入れているけれど、人間同士でぶつかり合う覚悟まで決めていない。仲間のためならば、一切迷うつもりは無いけれど、暗い気持ちを抱いたのは確かである。


 幸いにして、と云うべきか。


 今回の件に、三愚姫は関係ないようだ。


 女賢者のスキル『全魔法』はこんな時でも完璧に役立ち、探索・追跡に関係する魔法を駆使すれば、あそび人の足取りをそのまま追跡することが可能だった。


 どうやら単独行動で夜中に外出していたらしく、その動機については私たちも首を傾げたものの、街外れで魔物と戦闘になっていたことが判明した辺りで、細かい部分まで気にしている余裕はなくなった。


「……この痕跡は、リッチですね」


 街外れにある深い森の近く。


 私は女賢者と二人で、あそび人の足跡を追っていた。


 この場にたどり着いた瞬間、思わず顔をしかめた。


 魔法に精通している人間でなくとも、広範囲に草木の枯れ落ちた光景から、この場で高位の黒魔法が使用されたことは一目瞭然だった。 


 さらに残された魔力の残滓を感じ取ることで、女賢者はここで暴れただろう魔物をあっさり特定した。


 リッチは、アンデット系の最上位種の魔物である。そんな危険度の高い魔物が人里からの徒歩圏内に現れたことにも驚く。本来ならば、その原因も探らなくてはいけない所だが、それよりも今はあそび人の消息である。


 正直なところ、最悪の想像をしてしまった。


 リッチは、私たち勇者パーティーであれば恐れるに足りない相手であるけれど、平均的な冒険者パーティーであれば全滅必至の危険な魔物である。


 勇者パーティーの一員とは云え、あそび人は戦闘要員ではない。というか、戦闘力は皆無である。剣や魔法を扱えるかというレベルですらなく、一般人向けの体力測定で軒並み赤点ギリギリなのだから。


 リッチと一人で遭遇したら、どうなるか。


 それはたぶん、逃れられない死であり――。


「あれ……? このリッチ、討伐されていますね。魔力が霧散していますし……それにほら、この草むらにリッチの魔石が転がっていますよ」


「え?」


 女賢者が感知魔法による結論を出した時、私は安堵したり歓喜したりする前に、びっくりしてしまった。


「リッチが倒された? どうやって?」


「わかりません。でも、この魔力の残留感からは……おそらく、レジストの痕跡? ……え、レジスト? リッチの魔法がレジストされている? え、ええ、どうやって?」


 女賢者も調査を進めるほどに、混乱していった。


「スキル『全魔法』を持つ私は、僭越ながら他の方々よりも魔力総量に優れていますが、それでもレジストが発生するのは下級の魔物、下級の魔法に限られます。リッチのようなレベルの魔法は、こちらも防御魔法で抵抗しなければいけません。どんなに頑張っても、レジストするなんて不可能ですから」


「この場に、神でも降臨したか?」


「それはたぶん、たまたま隕石が降って来てリッチを吹き飛ばすなんて奇跡と、同じぐらいの確率でしょうね。ここで何が起きたのか、私にも想像が付きません」


 ひとまず、夜更け、自主的に街を抜け出したあそび人は、リッチと遭遇するという不運に見合ったが、そこからの最悪の結末は避けられたようだ。


 さて、私たちがリッチという予想外の魔物の痕跡に頭を悩ませている頃、別方面から調査を進めていた女モンクと女アーチャーも重要な手掛かりを得ていた。


 女モンクは普段ならば、貴きその身分を誇示するような事はしないけれど、いざという時には武器として振り回すことを躊躇しない。都市の自治隊、官憲の詰め所、議会所に乗り込んで行けば、最強の尋問官に早変わりである。王国の姫君に命令されて、ノーと云える民はそうそう存在しない。


 女アーチャーも、ベテランの元冒険者として顔は広い。冒険者ギルドに対しては、なにか弱みでも握っているのか、ひたすら高圧的に命令を下してみせる。あと、酒場に入り浸るオッサン連中とむやみやたらに仲が良いのも、こんな時は役立ってくれる。巷の噂というか、裏情報というか、女モンクとは別方面で情報収集が素早いのだ。


 二人は結局、事情を聴き取るために一番ふさわしいだろう男を見つけていた。


 街の出入り口で落ち合った私たち四人は、その男から経緯を聞き出す。


 奴隷商人に用心棒として雇われていた男は、実際に先ごろ、あそび人を目撃したということだ。勇者パーティーに敵対するつもりは無いと、身の潔白を証明するかのごとく洗いざらいを説明してくれた彼のおかげで、私たちは昨夜に何が起きたのか、ほとんどすべてを知ることができた。


「だが、しかし……」


 おおまかに時系列を把握した後、私は首をひねる。


「あそび人が、たった一人でリッチを倒した? 本人がそう語ったという事だけど、それは本当なのか? 仲間を疑うつもりはないけれど、これまでの旅でも、魔物との戦闘では後方待機だったのに……」


「俺は恐ろしいものを見たぞ」


 私たちの疑問を遮って、男用心棒は語った。


 恐ろしいもの。


 そう告げた通り、怪談でも語るかのように青ざめた表情で。


「俺は、スキル『鑑定』を持っている。人並外れた実力を持っているわけではないが、用心棒としてそこそこの実績があるのは、このスキルを上手く使いこなして来たからだ。敵の実力を瞬時に見抜くことに関しては、かなり自信がある」


 彼は、「ちょっと失礼」と断りを入れてから、私に対してスキル『鑑定』を発動させた。


「勇者さまは当然、所持しているのはスキル『勇者』……スキルレベルは、26だな」


「ああ、そうだ。レベルはその通り、合っている」


「そっちは……スキル『拳聖』で、レベル31。さすがは勇者パーティーだな。どんなスキルであれ、普通に生活しているだけの人間がたどり着けるのはレベル20前後。30に行き着くのは、まあ、エリートだな。40を超えるような人間は、その道では名の知られた存在だろうさ」


「なんの話だ? なにが云いたい?」


「……触手の化け物を召喚しながら、奴隷商人に与する俺たちを挑発してきたヤツは――いや、挑発ではなく、あれは最後通告だったのか。……どうでも良いか。俺は、いつものクセで、ほとんど反射的にヤツを『鑑定』していた。最初は見間違いかと思ったよ。スキル『エロ触手』というふざけたスキル名もそうだが、それ以上に目を疑ったのは、スキルレベル50という異常な数字だった」


 スキルレベル50。


 それは確かに、常識を越している。


「どんな人生を歩めば、ガキと大差ないぐらいの若造がレベル上限に達するんだ? そんなの聞いたこともない。伝説として名を残すような老練の達人が、悟りを開くような境地で至るのがレベル50だろう? どれだけの修練を積めば……どれだけの地獄の日々を歩めば、あれだけのレベルになるんだ?」


 私たちパーティーの四人、全員で顔を見合わせた。


 私と女モンク、女アーチャーは、スキル『エロ触手』の底知れないパワーに関して、自らの身体を捧げて十分に味わっている。あれは、もはや、理解不能というか理解無用なユニークスキルだと思考停止していたけれど……。なるほど、スキルレベル50。ただ触れられるだけでも、全身の神経にビビーンと雷鳴が走るのも納得である。


 というか。


 あそび人も、レベル50もあるならば、教えてくれれば良いのに。


 自分のことをほとんど語らない性格も、ここに極まれりだ。


 動揺の少ない女アーチャーが、男用心棒に尋ねた。


「スキルレベル50。それだけでも、普通の人間からすれば驚異なのかも知れないね。つまり、その一点だけにびっくり仰天して、あんたは窓ガラスを突き破ってまで必死に逃げ出したというわけか?」


「……」


 男用心棒は何かを思い出しているのか、ぶるぶると震えながらうずくまり、もう何も答えなくなった。


 私たちも、既に重要な部分は聞き終えている。あそび人の行方に関わっている奴隷商人の屋敷に、後はもう直接乗り込むだけだ。


 男用心棒は何やらトラウマでも抱えているようだけど、私たちが面倒を見てやる必要はないだろう。彼自身には怒りも恨みもない。ただし、あそび人が巻き込まれた一連の騒動に対して、私たち四人は目配せし合うだけで何も云わなかったけれど、たぶん、心の内では全員、ムカムカと腹を立てていた。


 白状すれば。


 マジ切れ五秒前だった。


 奴隷商人の屋敷を目指して立ち去っていく私たちの背後で、頭を抱えたままの男用心棒は、ぶつぶつと小声でつぶやいていた。もはや興味を失っていたので、途切れ途切れ、ほとんど聴き取れなかったものの、それはおおよそこんな風で――。


「いつものクセ……。召喚系のスキル……召喚されたもの、それ自体も『鑑定』できる……。だから……。思わず、いつもみたいに……。や、やるんじゃなかった。あんなもの……あんなもの……あんなもの……。目の前が、まっくらに……。まっくらに……。なにも。……なにも、見えない。う、ぐっ……。見えない。見えないんだ。だって……。あんなの……。信じられない。目の前が……まっくらに……まっくらになるぐらい……の、埋め尽くす数字、ケタ違いのレベル――」

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