間章

第51話 勇者の独り言(2)

 神。


 そう名乗った者がいる。


 スキル『勇者』を授かった事が周囲に伝わって、私自身よりも周りのみんなが狂喜乱舞する中で、彼女はいつの間にか目の前に浮かんでいた。不思議と顔は覚えておらず、小柄な少女という印象だけ記憶に残っている。彼女は、白昼夢でも見ているのかと熱っぽい頭でボーッとする私に対して、屈託のない笑顔を向けてきた。


 愛情だとか、慈悲だとか。


 この世界を創り上げたという二柱の女神様について、教会が喧伝するイメージからは、そうした優しさや温かさが込められた笑顔であって欲しかったけれど。


 まるで、無邪気に蟻を踏み潰している幼子。


 虫を見るような眼。


 べったり、と。


 なんだか嫌らしい笑い方だった。


 あれは、幻だったのだろうか。


 現実逃避する私が、垣間見た夢?


 あるいは。


 もしも、本物であったならば――。


 二柱の女神様のどちらであったのだろうか?


 スキルは、神様からのプレゼント。私に与えられたスキル『勇者』もそうであるならば、神様は何を思っていたのだろうか。世界にたったひとつだけの大切なスキルを、大したこともない田舎の小娘に与える理由が、私にはわからない。


 神様に選ばれたと、みんなは云う。


 それは栄誉であると、みんなは称賛する。


 みんなは、栄誉のために生きられるのだろうか?


 形のない、目に見えない、よくわからない他人からの評価というもののため、人生を捧げても惜しくないのだろうか?


 私が神様ならば、私を勇者には選ばないだろう。


 例えば、親友だからの贔屓目ではないけれど、女モンクの方が世界を救うにふさわしい資質と人格を持っているはずだ。私は臆病者である。私は、いつでも迷い続ける。世界のため、そう胸の内で繰り返していないと、自分のため、スキル『勇者』の宿命から逃げ出したくなってしまう。


 勇者はなんのために存在するか?


 世界のため、である。


 世界のため、悪を打ち倒す。


 悪とは、魔王である。


 私は、魔王を殺す。


 そのために人生を捧げる。


 勇者として振る舞う時、私はいつも、自分で自分の背中を押している。運命、宿命、責任、責務……そうしたご題目はむしろ足枷にしかならないので、前に進む理由のない私は、無理矢理に自分を突き飛ばして前に進んで行く。


 思えば、スキル『勇者』を授かり、王都で勇者としての剣技や礼儀作法を叩き込まれた後、自分のため……いや、自分の抑えようのない感情のため、剣を振るうなんて初めてだったかも知れない。


 今、目の前には腰を抜かした奴隷商人。


 ガタガタと震えるその娘、女冒険者もへたり込んでおり、私は何も云わずに殺気と敵意だけを津波のように押し付けながら、剣を構えていた。


 奴隷商人が命乞いする。


「たた、たすけて……。し、しらなかった。勇者パーティーの一員なんて、そ、そそ、そんなの想像できるわけがない。わ、わかっていたら、奴隷船に乗せるなんて考えなかった」 


 勇者パーティーの旅の途中で、ある朝、あそび人が突如として姿を消した。書き置きの類は無く、旅の荷物はそのまま残されていた。


 まさか、失踪?


 パーティーメンバーとしての日々に嫌気が差して、夜の内にこっそり逃げ出した? ……などとは、私はもちろん、女モンクも女アーチャーも、女賢者もまったく考えなかった。


 それは例えば、女モンクが同じように消え去ったとして、ひとつの相談もなく無責任に立ち去るなんて絶対ありえないと、そう信じられるのと一緒だ。女アーチャーが見当たらない場合は、たぶんどこかの酒場で酔い潰れたまま帰って来てないだけ……まあ、それもまた、ある種の「信じている」という事かも知れない。


 私たちはすぐに、より悪い方向性で考えた。


 あそび人が、なんらかの事件や事故に巻き込まれたのではないかと――。何と云っても、世界一の大歓楽街、欲望の街で帝王として畏怖された程の存在である。


 本人はなぜか、己を異常に過小評価しているけれど。


 ただの通行人Aみたいな立場を取りがちだけど。


 その秘めた影響力たるや。


 馬鹿馬鹿しいぐらい。


 恐ろしいぐらい。


 三愚姫。


 欲望の街で現在進行系で燻り続けている騒動の種に関して、本人には知られぬように(不必要に思い悩まないように)、私はこっそり情報収集を行っている。


 無法者の楽園都市を土足でズカズカと踏み荒らし、波風立てることを厭わず、むしろ敵対者を返り討ちにすることで「帝王はどこだ?」と探りを入れている。そんな無茶ができるだけの実働部隊を放り込める権力と財力を持つ者たち。


 熱狂的であり、偏執的であり。


 信仰心すら感じ取れる三人の大馬鹿者。


 実は。


 私は、その内の一人に心当たりがあるのだ。


 ただし、これは誰にも云えない。


 云えるわけがない。


 墓場まで持って行くぐらいのトップシークレット。


 秘密を知ってしまった原因まで含めて、すべてがアホらしさの極みなので、本当に、本当に、本当に、ここで明かすのは躊躇されるのだけど。


 語らないわけには、いくまい。


 私が、欲望の街で人生初のストレス発散方法(触手プレイ)にドハマリして、勇者としての冒険で手に入れてきた秘宝の数々を質屋に預け入れてまで毎晩、毎晩、毎晩、ひたすら足繁く店に通っていた時の出来事だ。


 通い始めて、三日目のことだったか。


 色々と不慣れだった私は入店の後、本来ならば案内の店員が来るまで待つべきところを、ソワソワ、ウキウキと浮き足だった気分のまま、店内の複雑な通路を勝手にどんどん進んでしまった。


 そして、思いっきり道を間違えた。


 VIP御用達の超高級店だから、プライバシーを守るため、客同士が顔を合わせることのないように徹底されている。本来は、そのために仰々しく案内が付いたりするのだ。


 盛大にやらかした私は、なんと、意図せず他の客がいる待合室に踏み込んでしまった。


「……あら? ……あらあら、まさか、勇者さま?」


 思い返せば、出禁でも不思議ではないトラブル。


 相手が騒ぎ立てなかったから良かったけれど。


 ギャー、と。


 普通は、悲鳴でも上がる場面だろう。


 ふふふ、と。


 そこにいた人は、超然と笑い続けていた。


「勇者拝命の儀で祝福させていただいた時から、ご立派に成長されたようで……。創生神の御心を伝える者として、大変喜ばしい限りです。それに、この場でお会いするということは、異端の趣味に身と心を捧げているということになりましょうか。私たち、同好の士というわけで、なんとも喜ばしいと思いませんか?」


 三愚姫の一人。


 彼女ならば、すべて、たやすい。


 神殿騎士でも、武装審問官でも、理由のひとつ付けること無く、思うがままに動かせる立場なのだから。黒でも、彼女が云えば、白。それはそうだろう、大陸に存在する権力機構の最大のひとつ、教会の頂点である。人間世界のルールは彼女が決定するに等しい。


 神の代弁者。


 清らかさの象徴。


 勇者ですら膝をつくべき存在。


「せ、聖女さま……?」


 夜の超高級店の待合室は、当然ながら贅を尽くしたように立派である。黒龍革のソファに腰掛けて、彼女自身を飾り立てるように、花火のような胡蝶蘭が咲き乱れている。


 それでも、聖女の存在感は別格だった。


 光を放っている。


 そう錯覚させるぐらいの神聖なオーラ。


 万人が、自然と頭を垂れていくというのも納得だろう。人間性は希薄で、その分だけ神秘性が強く感じられる。本当に人間かと、不敬にも疑ってしまいたくなる神々しさだった。


 ただし。


 私は、見逃さなかった。


 光の中に揺らめく、人間としてのサガ。


 澄み切った瞳の奥底には、ドロドロとマグマのように熱を帯びたハートマークが……。同好の士という言葉を否定する必要はないだろう。私がそうであるように、聖女と呼ばれるその人は、性の野獣である。疑いようもなく、それは堕ちた人である。


 たとえ、この世界をひっくり返してでも――。


 聖女は求めるだろう。


 エロ触手を!

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