第50話 エロ触手 VS 女船長(4)

 ふたつ。


 このシーンで語り残したものがあった。


 果たして、語るべきか?


 語らないでおくべきか?


 なんてね。


 前置きした時点で、ボクはもう心の内では話の筋道を考え始めている。良い話と悪い話があるが、どちらから聞きたい? なんてセリフは見飽きたものだけど、それは別にどちらが先でも大差ない事が多く、詰まる所、面白い話があるから聞いて欲しいと云っているようなものだ。


 ぶっちゃけ、かまってちゃん。


 そう紐解くと、ボクの語り口も恥ずかしくなって来るね。


 まあまあ。気を取り直して、話を進めようか。

 

 ふたつ、語り残したエピソードがある。


 残念ながら、良い話と悪い話ではない。


 良くも悪くもない、普通の話がひとつ。


 もうひとつは、エロい話である。


 普通の話とエロい話があるんだけど、さて、どちらから聞きたい?


 ……なんて、アンケートを取るほどの事柄でもないか。


 ボクは、嫌いなものから先に食べて、好きなものは残しておくタイプだ。


 良くも悪くもない、普通の、くだらない話を先に済ませよう。


 奴隷少年について。


 ボクと女船長がメソメソしたり、イチャイチャしたり、二人だけの固有結界を張り巡らせている間の出来事である。つまり、前話で出番のなかった奴隷少年は、その時にどうしていたかということ。何ということはない。奴隷少年はすぐ近くに立っていた。


 まったく口を開かず、ボクらの会話に加わることは無かったけれど、その理由は、いつもの彼らしく控え目だとか、空気を読んでいたとか、そういうことではなかった。


 奴隷少年はその時、言葉を失っていた。


 ポカンと口を開いたまま、目を丸くして、思考を放棄したように突っ立っていた。


「最高位の、白魔法……?」


 ボクはその時、女船長と真剣に向き合っていた。


 だから、奴隷少年のちょっと様子がおかしい所を、つぶさに観察していたわけではない。震えるその声も、うっすら聞こえていただけなので、後から思い出そうとしても断片的である。大まかなニュアンスしか伝えられなくて、ちょっと申し訳ないけれど、彼はぶつぶつと独り言を漏らし続けていた。


「教会の……せ、聖女だけの……ユニーク……なのに? 黒と白の二重属性も……ありえるのか、ありえない……。どうやって? ……いや、どうして? 神はどうして、こんなスキルを……」


 嗚咽のような戸惑いの声だった。


 奴隷少年は頭を抱えていた。


「わからない」


 最後にそう云って、黙り込んでしまう。

 

 奴隷少年が呆然自失となっている理由は、まあ、アレだ。


 本作でみんながびっくり仰天するものと云えば、そりゃもう、エロ触手を置いて他にない。


 ……ん?


 だから、何があったって?


 ボクの視点では女船長の生死こそ何よりも目を離せないものだったため、枝葉のような出来事については、ざっくり描写を省いていた。まあ、大したことでは無いかなって。ボクはそう思っていたものの、後日、素直にそんな感想を口にすると奴隷少年からめちゃくちゃ怒られてしまった。


 ご主人様ぁ!

 

 天地が引っくり返るような驚嘆すべき出来事を!


 昨日の晩御飯はおいしかったね、ぐらいのテンションで振り返らないでくださいっ!


 ……そんなわけで、奴隷少年がガーンとショックを受けた部分をちゃんと書き記しておこう。


 先ほど、ピクリともせず倒れたままの女船長に対して、ボクは何もできずに右往左往していた。救命措置の知識も技術もないことを悔やむばかりだ。そうしたスキルの持ち主がこの船にいないか、急いで探して来るという発想にも至らないほど狼狽していた。


 そんな折り、エロ触手がチョンチョンと肩を叩いてきた。なんだよもう。忙しいから、遊んで欲しいと云われても無理だよ、ステイステイ……などと振り払ったものの、執拗に食い下がって来るのだ。


 仕方なく振り返れば、ポチは意気揚々としていた。


 おまかせくださいー、なんて。


 鎌首をフリフリしていた。


 任せてみれば、いきなり魔法を唱えはじめる。


 クラーケンの亡骸をグズグズに崩壊させた、あの恐るべき黒魔法――。


 いや、そうではなかった。


 魔力の輝きは、清浄なるもの。


 エロ触手から祝福の光が解き放たれる。

 

 それは白魔法だった。


「え? ポチ、白魔法も使えるの?」


 ボクは素直に驚いた。

 

 本来、それは「わー、びっくり」という程度の感情で済まされるものではない――というのは、後々、奴隷少年から懇切丁寧に説教されて知った事である。腰を抜かして驚くべきタイミングだったのかも知れないが、ボクの注意はすぐさま、血の気を取り戻し、指先をほんの少し動かしはじめた女船長の方に向けられていた。そのまま、エロ触手の起こした奇跡は思考の外に追いやってしまったけれど――。


 奴隷少年は違った。


 息を吹き返した女船長よりも、キラキラと聖なるオーラに包まれたエロ触手を凝視していた。


「死者蘇生の魔法……う、嘘だ……。あ、ありえない……」


 そう云えば、奴隷少年は極東魔法学園の出身者だったか。


 スキルだけでなく、魔法にも精通しているのは当然といえば当然の話である。


 博識だからこそ、なにやら積み上げてきた常識が崩れ去るような悲劇と受け取ったらしい。


 実際、本当に足元がガラガラと崩れ去ったかのように、やがて奴隷少年はペタンと座り込み、顔面から甲板に突っ伏したまま「ウ~、ウ~」と謎の鳴き声を上げ続ける珍妙な物体になり果てた。なんだこれ、かわいいな。精神崩壊した美少年というものに、思わずグッと来てしまう。コミカルな感じで良き。ボクが同じことやっても鬱陶しいだけだろうが、奴隷少年の見た目ならば許される。完璧である。


 そんなわけで。


 奴隷少年の普段と違う様子が描写できたので、ボクは満足である。


 これが、ひとつめの話。


 もうひとつ、エロい話も語っておこう。


 こちらは、女船長について。

 

「夢……みたいなものを、見ていたよ」


 意識を取り戻してから、色々と落ち着いた後、女船長はそんな風にぽつりぽつりと語り始めていた(傍らでは、奴隷少年が「ウ~ウ~」云っているけれど、ボクも女船長も気にしないように努めていた)。


「この船はジイさんから引き継いだ形見みたいなもんだ。そのジイさんが目の前に立っていた。柄にもなく、懐かしくて嬉しかった。思わず駆け寄ろうとしたら、怒鳴られたよ。でも、不思議と声は聞こえないのさ。何を云っているのか、わからない。あたしは呆然と突っ立っていたけれど、その内になんとなくわかってきた。ジイさんが立っている場所は、たぶん、あの世なんだろう。それが天国か地獄か、知ったこっちゃないけれど……。とにかく、ジイさんは来るなと叫んでいた。まだ、来るな。まだ、早いってね」


 女船長は、やれやれとため息を吐いた。


「ジイさんが何を云っているのかはわかったけれど、最後までその声は聞こえかった。とにかく、ここに居ちゃいけない……あたしがそう悟った時、今度はハッキリと誰かの声が聞こえたよ。ああ、勿体ぶった話し方は性に合わないね。誰の声かと云えば、あんたの声さ。あんたに呼ばれている気がして、そちらに振り返ってみれば――」


 女船長の話は、よくある臨死体験にも思えた。


 死の淵で、脳裏に懐かしい人がイメージされるのは、そうした人体のメカニズムでもあるのだろうか。あるいは、生きようとする意思を奮い立たせるため? ボクは少なくとも、死後の世界があるとは思っていない。ただし、結果として女船長が生き残ってくれたわけだから、夢だろうと幻だろうと、あるいは本当にそうしたオカルトが実在するとしても、この瞬間は歓迎してやろうと思った。


 女船長はオチを語る。


「あんたの声に振り返れば、無数の触手が伸びてきた」


「……おっと、話の流れが急変。いきなりホラー」


「全身を絡め取られて、めちゃくちゃにされて……ヌルヌルのグチャグチャ、朦朧としながら目が合ったジイさんの表情は……あー、さすがに思い出したくない。快楽に流されて、吞み込まれて、いつもみたいに頭がチカチカぶっ飛んだ所で目が覚めたよ」


「どちらかと云えば地獄に落ちる瞬間のような描写でしたが、この世に生還されて何よりです」


 さて。


 ここまで女船長の話を聞いた上で、ボクはそろそろ告げなければいけなかった。


 女船長は会話を繰り返している間に、しっかりと回復して来たようだ。意識を取り戻した瞬間は呆けていたけれど、荒っぽい口調や身振り手振り、いつもの女船長らしさが戻って来ていた。


 体調的に、もう問題は無さそうだ。


 ボクは医者ではないけれど、ドクターチェック、オーケーです。


「船長」


「なんだい?」


「良い話と悪い話、それから、エロい話があるんですが、どれを聞きますか?」


「あ? ふざけてんのかい? わけのわかんない質問を……」


「それでは、三つの話を同時にいきますね」


 実の所、良い話も悪い話もエロい話も、全部同じ内容なのである。


 ボクはゆっくりと、落ち着いた声色を意識する。


「女船長の見た夢は、どうやら正夢のようです」


「……ん? どういうことだい?」


「良くも、悪くも、これからエロいことが起きるというわけです」


 ボクは、女船長の背後を指さした。


 女船長は何かを察してか、ゴクリと喉を鳴らし、恐々と振り返る。


 賢明なる諸兄は、もちろん覚えていらっしゃるはずだ。


 エロ触手は、クラーケンの巨大触手を吹き飛ばした。


 海の底に沈んだその巨大を引っ張り上げてみせた。


 天高くまで持ち上げるというパワーまで見せつけてくれた。


 拘束されている女船長を助け出すため、表皮を引き千切った。


 さらには、黒魔法『ネクロポーテンス』でボロボロの塵芥に変えた。


 呼吸の止まっている女船長に、白魔法まで唱えてみせた。


 ああ、やばい。


 ああ、すごい。

 

 何もかも、まるで救世のヒーローのような大活躍である。


 ただ、残念ながら――。


 エロ触手は、世界を救おうなんて1ミリも考えていない。


 考えているのは、もちろん、「エロいこと」である。


 女船長はさすがに、「ヒッ……」と女の子のような小さな悲鳴を上げた。振り返った先、これだけの偉業を為すために大きく広がりまくった虚空の穴から、かつてない本数のエロ触手が待ちくたびれたと云わんばかり、ウネウネドロドロ蠢いていた。見渡す限り、触手しか見えない。イッツア触手ワールド。地獄よりも地獄らしいこの景色が何のために存在しているかと云えば、「女船長にエロいことをする」、ただそのためである。


 女船長は回復した。


 健やかに「エロいこと」を迎え入れられる肉体と精神がここにある。


 ゆえに、エロ触手は、もはや遠慮しないだろう。


「良い話であり、悪い話であり、やっぱりエロい話でした」


 ボクは立ち上がり、巻き添えを食わないように距離を取ってから、女船長に手を振った。


 ああ、果たして、正気を失わずにいられるだろうか。常人の感覚からすれば、たぶん無理。快楽のオーバードーズ。一生分を遥かに凌駕する快楽を与えられる代わりに、人間として戻って来られない地平まで連れて行かれるだろう。さよなら、女船長。でも、既に快楽堕ちしているあなたならば、ただ単にいつも以上にハッスルするだけで済むかも知れない。


 実際、女船長はあまりの光景にガタガタ震えながら、瞳の奥はハートマークである。


 よし!


 ハッピーエンドですね。


 ハッピーエンドという事にして、次に行きましょう。


 長い船旅もこれで終わり、次回から砂漠の街だぜ、ヒャッハー(テンションをバカみたいに上げて、すぐそこで繰り広げられている惨劇から目を逸らすんだ! 奴隷少年は頭を抱えているし、女船長は股を広げているし、思わず顔を背ければ、甲板のあちこちで尻を抑えた乗組員のマッチョたちが倒れているし……ボクも意識を飛ばすしかない。あばばばば)。



 ◆ ◆ ◆



 END

 【第4章 女船長と楽しい奴隷船の旅】


 NEXT

 【間章】

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