第48話 エロ触手 VS 普通の触手(8)
「これは、魚釣りの再現ですね」
エロ触手が海に突入した後、しばらく経って奴隷少年がそんな風につぶやいた。
「釣りビギナーなのに、最高に大物の予感がするよ」
ボクは軽口を叩いた。
「人類史上、クラーケンを釣った者はいないでしょうね」
奴隷少年はため息を吐く。
「生き証人として、ご主人様の偉業を後世に語り継ぎましょう」
「オーケー、頑張って釣り上げないと」
そして、待ちの時間である。
……。
……。
……うーん。
気合入れて威勢よくエロ触手に命令を下した瞬間のボクは、もしかすると、ちょっと格好良かったかも知れない。ビシッと決まっていた。しかし、その後はイケてない。なにせ、命令を出すこと以外、ボクにデキることは他に何も無いのだ。
悲しいかな、手持ち無沙汰で棒立ちである。
目の前に広がる虚空の穴からは、エロ触手の根本がグングン伸びて行っており、釣り竿のリールを思わせた。動きがあるのはそれぐらいで、ボクと奴隷少年は釣り糸を見つめるように、海面の触手をぼんやり目で追うぐらいしかすることがない。
正直に云って……。
暇である。
いやいや、女船長の生死が掛かっており、引いては、ボクや奴隷少年、その他の全員が海に投げ出されるかどうかという瀬戸際である。緊迫の場面である。これが剣戟ならば、喉元に刃が付き付けられているぐらいのピンチだろう。もっと危機感を持てよ、張り詰めろよ、と云われたら、おっしゃる通りでございます。
ただ、ね。
無数のエロ触手が海面に突っ込んでいる光景は、マヌケの一言だ。
なんだろうね、これ?
チンアナゴの群れを逆から眺めているような……?
虚空の穴からは、相変わらず元気いっぱいに根本が伸びて行っているのも、なんだか面白くなって来る。グングン、グングン……。いや、どこまで? 今さらだけど、ポチ……君はいったい、どれだけ長いの?
そんな感じで、ツッコミ所しかない。
「ご主人様、船が限界のようです」
奴隷少年から警告を受ける。
うん、ボクだって気づいている。
船体のミシミシと軋む音が、いっそう激しくなっていた。
それはつまり、女船長のスキル『海越え』の効果が失われかけているということだ。所持者と所有船を相互に強化するスキルのため、女船長が死んでしまえばゲームオーバー。ただし、段階的に影響は出て来るようだ。女船長が気絶したり仮死状態になったり、弱れば弱るだけ、この船体にも悪影響が出て来る。
奴隷船が、クラーケンの巨大触手から受けたダメージは、本来のライフバーを削り切っている。
女船長のスキル『海越え』が底上げしているから、まだ耐えられているだけだ。
スキル効果が切れた瞬間、奴隷船は瓦礫に変わるだろう。
タイムリミットは近い。
女船長はクラーケンの巨大触手に拘束されたまま、その死体と共に沈んだ。
人間の呼吸はどれくらい保つのか?
深海の水圧にどれくらい耐えられるのか?
「ポチ、急いで」
祈ることしかできないのが、もどかしい。
突如として、雷鳴の落ちるような轟音が響いた。
振り返れば、メインマストに大きな亀裂が走っている。
蓄積されていたダメージで、自然と裂けたらしい。
いよいよ、限界か……?
「ご主人様! 海面をご覧ください」
「よしっ、来たか!」
エロ触手が高速で引き戻っている。
海の底からクラーケンの亡骸と思しき巨大な影が浮かんで来て、ボクが身を乗り出して見つめる間にも、どんどん大きくなる。あっという間に海中から飛び出して来た。スキル『魔物つかい』の効果による鎖は消え去っており、ただの死骸としてのクラーケン。女船長の姿は見えない。数本の巨大触手でぐるぐる巻きの拘束状態はそのままであり、女船長はまだ閉じ込められている。
「ポチ! ……え、ポチ?」
エロ触手ならば、海の底からクラーケンの亡骸を引っ張り上げるぐらい、やってくれると信じていた。これまでも垣間見せて来た実力から、その程度はやれるだろうと確信があった。いや、その程度とは云ったものの……クラーケンなんて規格外の図体を持つ魔物を、海中深くまで潜って行き、真っ暗闇の中で見つけ出し、当たり前のように引っ張り上げてくるというアレコレは、果たして他にどんなスキルならばやれるだろうか。
まあ、とにかく。
ここまでは、ボクの予想通り。
ここからは、ボクの予想外である。
海から飛び出してきたクラーケンの亡骸。
バシャーンという勢いのまま、空高くまで持ち上げられていた。
見て。
まるで、クラーケンが空を飛んでいるみたい。
素敵……。
いや、全然、素敵じゃねえわ。
怖いよ。
なんだよ、それ。
あまりの勢いに大きな波が立ち、奴隷船がぐらぐら揺れている。
ボクの平常心も、同じく揺さぶられていた。
女船長とバトルしている時も圧倒される大きさと感じたけれど、それでも、頭身が海面から出ていただけだ。海中に隠れて、全体像は見えていなかった。改めて、でかい。でかすぎる。海から丸ごと引っ張り出されたクラーケンを空に見上げるなんて、こんな経験をする人間は他にいただろうか(いるわけねえ!)。
たった四本。
エロ触手は、四本だけ。
クラーケンの頭頂部や胴体、巨大触手の一部に絡み付きながら、エロ触手はたった四本だけのパワーで、これだけの巨体を持ち上げている。いや、おかしいでしょう……。体格差ぁ……。エロ触手は所詮、対人エロにジャストフィットしたようなサイズ感である。長さは限界知らずであるものの、太さは……あー、その、具体的な表現で申し上げるのは憚られるけれど、要は、人間のどこそこにヌルッと入り込める程度の太さである。
クラーケンの巨躯に比較すれば、子供の細腕みたいにも見えるエロ触手。
それが、わずか四本でクラーケンを天高く支えている。
あー。
もう。
なんだこれ。
ただ……。
それでも……。
まあ、今さらなのか。
リッチ戦で見せてくれたポテンシャルは底知れず。先程も、クラーケンの巨大触手を真っ向から吹き飛ばしてみせた。スキル『エロ触手』の限界というものは、ボクの常識では計り知れない。盲信するのは良くないけれど、「エロいこと」のためならば、エロ触手に限界なんて無いのではないかと思わせてくれる。
命令を出す立場のボクとしては、あるがままに受け入れるべきだ。
受け入れて、次の命令に支障を来たさないように、ボクは冷静でなければいけない。
「ポチ!」
急かす必要なんて無いかも知れない。
エロ触手はいつも、やるべきことをやる。
それでも、発破をかけるぐらいの気持ちで叫んでいた。
果たして、エロ触手はボクの声に背中を押されたのか、間髪入れずに次の行動に移り始めた。
四本の触手が、クラーケンの亡骸を高々と天空に掲げている。その他、海中から戻って来ており、ウネウネと手が空いているエロ触手たちは無数――。一気に、それらが攻勢に出る。
引き千切る、という表現が一番正しいか。
クラーケンの巨大触手がぐるぐる巻きになっている部分に、エロ触手はそれぞれ飛び付くように群がると、鎌首でかき出していく。既に死んでいると云っても、超大型の魔物であるクラーケン。体表が柔らかいわけでも無いと思われるが、エロ触手はガーゼでも破くように、ビリビリと肉を削いでいた。
凄まじい、勢い。
女船長を救出するのも、時間の問題だろう。
「がんばれ!」
応援するしかできないボクは、そう叫ぶ。
すると、一本のエロ触手がその声に反応した。
はい! がんばります、と――。
そう云わんばかりに、鎌首をフルフルと震わせてから……。
エロ触手は魔法を唱えた。
黒魔法『ネクロポーテンス』が発動する。
「……うん? んん、ん?」
あるがままのすべてを受け入れる心持ちのボクも、思わず声を漏らす。
……え、魔法?
ポチ、魔法が使えるの……?
知らなかった。
知らなかったよ。
というか、それ、あの夜、リッチが使っていたヤツ?
え、元から使えたの?
それとも……。
あの時、一発喰らったから、覚えたの?
「どっちにしろ、不条理?」
「……ご主人様? どうされましたか?」
「ううん。ボクのエロ触手は強いなぁって……」
「はい……それはもう、それはもう……」
奴隷少年は感情を殺したような声で、一言だけ漏らした。
「チート級のスキルですね」
黒魔法『ネクロポーテンス』。
漆黒の魔力が広がり、周囲一帯が闇夜に変わったかのように錯覚させられる。おぞましき呪詛の含まれた闇は、拡散した後、一気に収束していき、クラーケンの表皮に取りついた。闇が焼き焦がす。既に死骸であるクラーケンの、残滓に過ぎない生命力すら刈り尽くす。
闇が払われると、クラーケンの表皮はボロボロと灰燼に変わり果てていた。
触れるだけで灰になっていくクラーケンの巨大触手から、エロ触手は遂に女船長を救出していた。
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