第47話 エロ触手 VS 普通の触手(7)
いよいよ決着の時が訪れようとしていた。
女船長がクラーケンの顔面を上手く踏みつけて、両手でサーベルを握りしめる。刃の中腹ほど埋まっていたものが、ズズッとさらに深く沈み込んだ。やがて程なくして、サーベルは根本まで達する。
クラーケンは一瞬、ビクッと巨躯を震わせた。
だが、次の瞬間から、風船が萎むように力を失っていく。逆巻く海面のようなドス黒い色だったクラーケンの表皮が、血の気が失せるように白く透き通っていく様は、大嵐が過ぎた後の晴天を思わせた。
ボクはいざという時にエロ触手を繰り出せるように注意していたけれど、どうやら無事に終わったようだ。
やれやれ。
一時はどうなるかと思ったけれど。
これで、一安心かな……。
「ご主人様!」
奴隷少年の鋭い一声で、ゆるんだ意識を引き戻される。
おおっ、なんだあれ?
クラーケンの頭上から、無数の鎖がジャラジャラと垂れ下がっていた。え、いつの間に? クラーケンの胴体から、まだ残っている巨大触手まで、操り人形のように巻き付いている。
今までで見えていなかったものが、急に見えるようになったかのように、不思議な鎖はいきなり浮かび上がってきたようだ。魔物の特性ではないだろう。どう考えても、人間のスキルに由来するもの。そして、そうであるならば、これは間違いなく――。
「スキル『魔物つかい』の効果?」
「ええ、そうです、ご主人様。これは、使役する対象が死んだ時に発動するように、前もって仕込んであったものです。念入りに、執念深く、いざという時の罠を準備してくれていたようですね」
奴隷少年が苦々しい表情でつぶやく。
「僕が云うのは変かも知れませんが、褒められたスキルの使い方ではありません。これでは魔物の奴隷です。スキル『魔物つかい』は、狩人と猟犬のような絆を育むような使い方をすべきものですが……。隷属化というのは、本当に皮肉な……。ああ、だからこそ、■■は滅びの道を歩んだのですから」
スキル全般に精通しているらしく、『魔物つかい』にも一家言ありそうな奴隷少年だけど、悠長に言葉を交わしている余裕なんてあるはずもなく、ボクは船首像の先に身を乗り出した。
「船長!」
魔物の死をトリガーにして発動するスキル効果。
ボクはその意味を噛み砕く。
スキル『エロ触手』にできることが「エロいこと」だけであるように、スキル『魔物つかい』にできることだって、その名前が表すことぐらいだろう。
クラーケンは死んでいる。
ならば、スキル『魔物つかい』でやれる悪さだってタカが知れている。巨大な亡骸を雁字搦めの鎖で引きずり動かしたところで、最後になにかひとつ芸をさせるのがせいぜいだろうさ。もう一戦、ガチンコのバトルをやれるとはさすがに思えない。
ただし……。
ここは海の上である。
そして、クラーケンはあれだけの大きさであり、それゆえ、たった一手ながら盤面をひっくり返せるだけの嫌らしさを持っている。
悪い予感は大当たり。
ボクが行動を起こすよりも早く、クラーケンは海に潜ってしまった。
残っていた幾本かの巨大触手でグルグルと団子を作るように女船長を捕えながら――。
「ああ、畜生。やっぱりか!」
大きく揺れる海面を見渡しても、もはやクラーケンが出て来る気配はない。クラーケンの巨大な影はどんどん小さくなっていく。つまり、海の底に深く潜っている。いや、沈んでいるだけかも知れない。
あれはもう、ただの魔物の死体である。
死体、巨大な肉の塊。
だから、力なく落ちて行くだけ――。
女船長をみちづれにして。
今から思い切って飛び込んで、海の底を目指せば救出は間に合うか?
いや、間に合わないだろう。
もし間に合った所で、巨大触手に幾重にも巻き付かれた人間一人を海中で助け出せるか?
まあ、無理だ。
では、女船長は助からない?
死ぬ?
そうなった時は、この奴隷船はどうなる?
クラーケンの巨大触手から数え切れないぐらいのパンチをもらっていた。それでも船体がバラバラにならず、ダメージに耐えられていたのは女船長のスキル『海越え』のおかげだ。スキル『海越え』の効果が消え去れば、このオンボロな船がクラーケンの猛攻に耐え抜いたという奇跡もまた、あっさり失われるだろう。
つまり、奴隷船は崩壊する。
船員たちも、奴隷たちも、当然、ボクも奴隷少年も、無残にも海に投げ出されてしまう。
海岸線まで泳げるような距離ではない。どれだけの時間、浮いていられるだろう? 泳ぎの経験なんてほとんどないボクの体力は何時間ぐらい持つ?
救助は来るのか?
そもそも、そんなアテはあるか?
誰かに頼れる状況じゃない。
そうじゃないだろう。
「いや、まだ……」
ボクは歯を食いしばる。
さっきから、船のあちこちがミシミシ鳴り始めているけれど。
聞こえない、聞こえない、聞こえない。
「まだ、ぶっ壊れていない。だから、船長はまだ生きている」
海に飛び込むのはナンセンス。
海底までクラーケンの亡骸を追いかけるなんて体力も気概も無ければ、ダイビングの技術だってボクは持ち合わせない。一瞬、掌を見つめる。細くて、白くて、なんとも未熟でちっぽけ。持ち合わせなんて微塵も無さそうだ。実際、ボクが取り出せるコインはいつだって一枚だけなんだから。
「ポチ!」
オーダー、ターゲット変更。
この命令に従ってくれることは、先ほど実証したばかり。
「船長を任せたっ! 全力でやってやれ!」
海の底を指差せば、瞬間、忠実なる猟犬が走り抜けるように、ボクの背後から猛烈な突風が巻き起こった。
これまで別の命令に全力全開で取り組んでいたエロ触手たちは、ちょうど良いタイミングだったか、まさに仕事を終えた所だったようだ。振り返ることなく、なぜそれがわかるかと云えば、野太いあえき声が嘘のように途絶えている。静寂。……こんなに圧力のある静けさって、はじめて。たぶん、みんな、逝った。
人間の体力は、有限である。
精も魂も、尽き果てる
ボクの知る限り、エロ触手は無限のスタミナを持つ。
欲望の街で仕事をしていた頃なんて、朝から晩まで予約の埋まっている日もザラにあり、ボクが食事を取るだけの休憩時間も捻出できないぐらい多忙なのが当たり前だったけれど、エロ触手が弱音を吐いたことは一度もない。というか、逆である。やればやるだけ元気になっていくのだから。ヌチャヌチャのデロデロのボッタボッタの果てに、エロ触手はダイヤモンドのようにピカピカ輝き始めたりする。
何が云いたいかと問われれば……。
奴隷船を全滅させたエロ触手は、今こそ絶好調ということである。
片手を挙げれば、エロ触手が一本、ハイタッチしながら駆け抜けていく。
そして、我先にと順番争いするように、無数のエロ触手が海中に飛び込んで行った。
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