第27話 夜明け

 都市への帰還。


 街の入口にある跳ね橋が見えてきた頃、ちょうど朝日が昇り出した。


 薄手のヴェールのような朝靄の中に立っていると、リッチを倒したことが夢か幻かのように思えてくる。わずかに数時間前のことだけど、現実感はゆっくり薄れつつあった。ただし、ボクの頭の奥底に消えない傷跡のようなものが刻み込まれたのは確かである。


 死の恐怖、どん底の失意、必死に足掻く勇気……。


 それから、勝者としての溢れんばかりの高揚感も――。


「ああ、疲れた」


 東から、徐々に白んでいく空。


 疲労と眠気のせいか、とにかくまぶしい。ボクは、朝が苦手である。欲望の街で働いていた頃は、そもそも夜を中心とした逆転生活を送っていたので、朝焼けを肌で感じるなんてことは一度も無かったかも知れない。


 まるで心が洗われる気分だと、健やかにエンディングを迎えたい所だけど。


 うーん……。


 ……。


 ……まったく、嫌になるね。


 さて。


 さてさて。


 実を云えば、今、ボクの機嫌は最高に最悪である。


 何だったら、リッチに黒魔法『ペイン』を喰らわされた瞬間に比べても、この胸の内にはドス黒い感情が渦を巻いているかも知れない。ムキィィィーー!!! みたいな、サルだか、ハンカチを噛んだドリルツインテのお嬢様だか、そんな感じで叫び出したいぐらいに。


 なぜか?


 どちらかと云えば無愛想、無表情であることは自覚済みで、皮肉を云ったり、嫌味を云ったり、日陰でジッと構えているタイプなのがボクである。腹立たしい出来事に対しては、頭の中でネチネチ文句を云いながら数日ぐらい無駄に引きずる。


 決して、面と向かって、ぶつかる性格ではない。


 怒り心頭で、目を血走らせて、思わずパンチするとか――。


 そんなの、ボクらしくないだろう。


 でも、今はそう在りたい。


 暴力的な輩に憧れてしまうぐらいに、ボクはやさぐれている。


 ああ、どうか……。


 どうか、このクソ女を……。


 血祭りにさせてください。


 火炙りでも良いです。


 クソ女とは、女冒険者のことである。


 すべての元凶である女冒険者を……ああ、ぶん殴りたい……。


 何があったかを改めて振り返れば、さらに怒りが再燃するのは間違いないけれど、ここまで来て語らないわけにはいくまい。せめて、ボクの話を最後まで聞いてくれた諸兄が、同じように憤ってくれると嬉しいよ。


 最初に、女冒険者はボクを今回の事件に巻き込んだ。


 彼女が登場しなければ、リッチとの戦闘は発生すらしなかった。


 ただし、これに関しては許すべきだ。女冒険者は、別にボクを巻き込もうと考えていたわけではないのだから。悪意なく、ただただ、彼女も必死に生き残ろうとして逃げて来た。運悪く、その逃げて来た場所にボクが居合わせただけである。


 問題は、その後。


 ボクをオトリに使って、自分だけ逃げ出そうとした。


 こちらは完璧に、悪意の塊。


 自分だけが助かればOKという、剥き出しのエグい自己愛。


 これだけでも、十分にブチ切れて良いと思うけれど――。


 ギリギリ、ボクは許そうと思えば、許せなくも無かったりする。


 なぜならば、ボクだって同じことをやりそうだから。勇者パーティーの仲間になる前のボクだったら、他人を犠牲にすることを仕方ないと考えたかも知れない。命を天秤にかけることを躊躇わず、ボクの命を優先したかも知れない。今は、違うけれど。ボクは勇者パーティーの一員なので、さすがにね。


 それでも、まあ。


 そうした己の弱さには共感できてしまう所があるから、ちょっと仕方ないのだ。結局は、スケルトンに囲まれてしまい窮地に陥っていた女冒険者を、ボクは助けてやった。弱者を助けるのは、勇者パーティーとして正しい行動だろう。


 ただし。


 ただし。


 ただし。


 ……ああ、畜生。


 思い出した腹立たしさで、ため息もドラゴンブレスみたいに熱い。


 リッチと決着を付けた直後の出来事について、顛末を語っておこうか。


 戦闘が終わってからも、ボクはしばらく座り込んだままだった。


 最後こそ一方的だったものの、人生初めてのバトルである。それも、一度は死を覚悟したぐらいの真剣勝負。さらに云えば、黒魔法『ペイン』を二回も喰らっているわけで、気分としては拷問をたっぷり受けた後にも等しい。


 身体も疲れていたけれど、それ以上に、心が空っぽだった。


 感情のすべてを吐き出してしまったかのようで、喜怒哀楽の何ひとつ浮かんでこない。立ち上がれない、立ち上がりたくない。とにかく、ひたすら、何も考えないまま休んでいたかった。


 そんな気分だったので、ぼんやりと放置していた。


 深夜に付けっぱなしのテレビみたいに、ボクはボーッと眺めていた。


 女冒険者が、エロ触手に襲われている光景。


 ヌルヌルグチャグチャに、絡まれている光景。


 長年の仕事で数え切れない人数にサービスを行って来たボクからすれば、その光景は退屈な映画を見るようなものだった。つまり、何も感じない。


 スケルトンの群れから救出する際、エロ触手にお任せプレイでゴーサインを出したことを、諸兄はまだ覚えていらっしゃるだろうか? それからずっと、女冒険者はこの状態である。快楽の混じった悲鳴が延々と続いていた。


 まあ、止めてやっても良いのだけど、そんな義理もなければ、一声かけるだけの元気もなかったので、エロ触手が満足するまで放っておくつもりだった。


 こうやって思い返せば、ボクの怠慢も悪かったのかも知れない。


 後の祭りだけどね。


 夜の平原、その彼方に、ランプの灯りが見えた。


 おや?


 そんな風に首を傾げている間にも、女冒険者の悲鳴を聞きつけたらしく、数名の馬に乗った冒険者パーティーが駆け寄って来た。彼らの様子から、すぐに救助隊であることが推測できた。おそらく、クエストに出かけた女冒険者たちのパーティーが帰還しなかったため、調査と救出にやって来たものと思われる。


 さすがに、痴態が大勢の目に触れるのは可哀想である。集団がやって来る寸前で、エロ触手には「お疲れ様」と声を掛け、闇溜まりの中にバイバイさせておいた。


 結果として、救助のための冒険者パーティーが目にしたものと云えば、粘液まみれで息を荒げながら、全裸で倒れ伏している女冒険者。それと、外套一枚だけを羽織って、その下はやっぱり全裸という変態スタイルのボク(ちゃんと前のボタンは留めているよ)。


 ギョッとしたような表情で固まる冒険者たち。


 かなり戸惑っていたものの、それでも仕事を思い出したのか、彼らの中でリーダー格と思しき冒険者の一人が、倒れ伏している女冒険者に駆け寄っていく。


「お、おい、大丈夫か。なにがあった?」 


 助け起こされた女冒険者は、胡乱な様子で答えた。


「あ、あいつに……あの悪魔に……」

 

 そう云って、ボクを指差した。


 うおーい!


「ち、違うわ!」


 思わず、反射的に怒鳴ったボク。


 いや、恩を仇で返すってレベルじゃないぞ。


 むしろ、逆だ。


 仇を恩で返してあげたのに、なぜかもう一回、仇をなしてきた。


 あーあー、わけがわからないよ! ヒステリックに叫びたくなる所だけど、うーん、落ち着け、落ち着け……。いや、まあねぇ……。女冒険者の視点で考えてみると、確かに、ボクはめちゃくちゃヤバい奴に見えるのかも知れない。


 エロ触手が、彼女の命を救ったのは紛れもない事実。


 しかし、そう思っているのはボクだけかも知れない。


 スケルトンに襲われたり、エロ触手に襲われたりと目まぐるしい状況下で、ボクとリッチの戦いをちゃんと見ていたかも怪しい。最初に出会った時点でパニックを起こしていたため、しっかり目撃していたはずの事柄にも、なんらか錯覚を引き起こしている可能性だってある。


「あ、あたし、死にそうな目に……。仲間は、み、みんな殺されて……」


 間の悪いことに、女冒険者は中途半端に云い残しながら気絶する。


 完全に、ボクが殺人鬼みたいな証言になってしまった。


 ここら辺で、賢明なる諸兄は薄々お察しかも知れない。


 現在、ボクはお縄に付いている。


 逮捕でございます。


 両手はきっちり拘束されており、さらに腰元に巻かれたロープを馬上の冒険者が握り締めている。馬の速度で引き摺られるような拷問はされなかったものの、ボクの歩みが遅くなるとグイッと乱暴に引っ張られてしまう。


 水が欲しい。


 一晩中の騒動で、喉がカラカラである。


 訴えて、頼み込んでも、まるっきり無視されていた。


 おお……。


 凶悪犯罪者のごとき扱いの悪さ。


 色々と抗弁を続けたが、まったく聞き入れてくれない。


 とりあえず連行する、街に戻ってから取り調べる、そればかりだ。


 とりあえずってなんだ? いいわけは牢屋で聞くって?


 さすがのボクも手を出しそうになる。


 まあ、屈強な冒険者たちに、モヤシみたいなボクが殴りかかっても、返り討ちだろうけれど。ボクは怒りのあまり、バカなことばかり考えていた。ギリギリ踏みとどまっていられたのは、なんだかんだ、すべて誤解であることがわかっていたからだ。


 街に連れて行かれた後で、改めて冷静に話し合えば、すぐに解決するだろうと楽観的に考えていた。女冒険者は気絶したままであるけれど、目覚めてくれれば多少マシな話もできるだろうさ。


 あるいは、街に戻れば、勇者パーティーの仲間たちが待っている。最悪の場合でも、女勇者が口添えしてくれれば、鶴の一声で無罪放免になるだろう(名声に伴う権力を振りかざすみたいで、あまり好ましくはないけれど)。


 それと、もうひとつ――。


 ボクの余裕。


 今、犯罪者のように拘束されている。


 逃亡を防ぐように、周囲をぐるりと五人の屈強な冒険者が固めている。


 やっぱり、なかなかの扱いだと思う。


 しっかり警戒されている。


 ただし、それでも。


 ボクが、本気を出して良いならば……やってやると覚悟を決めるならば、冒険者たちを真っ向から打ち破り、一人で堂々と街に帰還することも可能だろう。この冒険者たちの中に、単身でリッチに勝てる者がいるだろうか? いや、たとえ五人全員で挑んだ場合でも、リッチには勝てないはずだ。


 ボクは、想像する。


 足元に、闇溜まりを広げていく。


 それから命令する、「エロいこと」を「ボク」に――。


 いきなり何本も触手が飛び出してくれば、冒険者たちは混乱しつつも、それを止めようとするだろう。武器を抜いて、振り下ろそうとするだろう。「エロいこと」を止めようとした彼らがどんな目に合うかは、たった一戦とは云え、じっくり濃厚な経験を積んだボクには予想が付く。


 蹂躙シーンを想像する。


 まあ、仕方ない。


 このまま街に着くまで、腹立たしいけれど大人しくしておこう。


 街が見えて来ているこの地点で、スキル『エロ触手』を発動する気にはなれない。女冒険者にはビンタの一発ぐらい打っても罰は当たらない気もするけれど、他の冒険者たちは、あくまで仕事をしているだけだ。やり方が強引過ぎる所は大いに問題だと思うけれど、だからと云って大怪我させてやろうとは思わない。


 それと、こちらの方が大事なことだけど。


 こんな街の近くで、ヌルヌルのグチャグチャにはなりたくないよ。


 夜明けを迎えて、街の出入り口にはそろそろ活気が出始める。たくさんの人間が行き交い始める。そんな場所で、エロ触手による公開プレイは良くない。良くないというか、普通にそれこそ牢屋行きである。


 ちょっと、想像してみようか。


 街から見渡せる街道の真ん中で、エロ触手とフィーバータイムのボク。


 慌てたように官憲が駆け付けて来て、こんな風に叫ぶ。




 き、貴様、こんな場所で、なにをやっているんだ?


 ナ、ナニをやって……そんなの、ナニに決まってぇイ、イイィィグゥーー!




 想像するんじゃなかった。


 地獄である。


 ボクはもう二度と人生を投げ出してやるつもりは無いので、尊厳や節度みたいなものはできるだけ大事にして行こうと思っています。はい。



 ◆ ◆ ◆



 END

 【第3章 目覚め】


 NEXT

 【第4章 女船長と楽しい奴隷船の旅】

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