第2話 大歓楽街の帝王

 王国の端っこにある辺境都市の別名は、欲望の街。


 世界最大の歓楽街であり、あらゆる欲を満たすための店が立ち並ぶ。


 多様なニーズにお応えする色街という噂を聞きつけて、それならば『エロ触手』の需要もあるかと、ボクの引っ越し先に決まった。


 スキル『エロ触手』のせいで一族郎党が白い目で見られてしまう村社会に、ボクの居場所はもう無かった。家を出ることを告げた時は、両親も兄弟も、心の中ではバンザイしていたはずだ。


 かつて友達だったはずの村の同世代たちは、神託の日から半径3メートル以内には近寄って来なくなった。「ムッツリ……ムッツリ……」「スケベがいるぞ」「エロが伝染るから逃げろ」などと、ひそひそ話す悪口はちゃんと聞こえているのだから腹立たしい。ムッツリでもスケベでもないわ。


 十五歳にして、初めての一人暮らし。ほとんどの職では、二十歳までは見習いとして、安い給金でこき使われるのが当たり前である。ボクはなかなか厳しい境遇に陥ったわけだが、不幸中の幸いか、金銭的に苦労するようなことはほとんどなかった。


 まず、そっちの世界では十代の若さがマイナスに働かない。


 むしろ、プラス要素である。

 

 ギンギラギンに魔法の光が輝き続ける眠らない街。この大歓楽街が、ボクの戦場。狭く閉じた業界であるけれど、競争はとにかく激しかった。売上トップの座を巡って刃傷沙汰も珍しくないほど、毎晩飽きずに異常な感情が渦巻いている。


 狡賢いキツネと貪欲なハイエナばかり跋扈する夜の世界に、スキル『エロ触手』だけを頼りに迷い込んだボクという子羊。どうにかなるだろうかと、戦々恐々していたのは、しかし、最初の内だけだった。


 ボクは、女性限定にサービスを提供する店舗に採用されると、たちまち「とんでもない新人が出た」「化け物」「人類種には耐えられない快楽」と噂を呼び、トントン拍子でナンバーワンの稼ぎ頭に上り詰めてしまった。


「いらっしゃいませー。二時間のスペシャル触手コースですね。いつもご指名ありがとーございまーす」


 慣れとは怖いもので、故郷の村では愛想なしとか、可愛げがないとか、さんざん子どもの頃からダメ出しを受けて来たボクだけど、媚びた声色とキャピキャピした笑顔を無感情で作れるようになっていた。


 この業界には自然と流れ着いたわけだが、葛藤が無かったかと云えば、そんなことはない。職業に貴賤無しとは云うけれど、みんな本当にそう思っている? 世界を救う勇者みたいな人間と、夜の街でウフーンとやってる人間が等価値だと思う? 大人の世界で生きる大人になり切れないボクは、自分の人生にまだ心残りがあったし、どうにかスポットライトの当たる場所で生きたいとも願っていた。


 ただ、結局、下流へ力尽きるように流れてしまった。


 大きな決断したわけでもなければ、苦境に陥って仕方なくというわけでもなく、悲しいかな、この生き方がとても楽だったのである。与えられたスキルを活用するだけで大金が稼げる、ぬるま湯の環境。ボクは苦労していない、苦痛もない、無価値に日々が消費されていくだけの虚無は感じているけれど。


「おいで、ポチ」


 仕事のスタート、ボクは『エロ触手』を呼び出す。


 スキル『エロ触手』は、そのまんま、エロ触手がエロいことをする。まず、ボクの思い描くままの場所に、深淵の闇溜まりが生まれる。それは、空間の穴と云い換えても良いかも知れない。エロ触手の住処と、この世界を結びつける際の、ズズズという重低音が始まりの合図だ。


 闇からは、大体いつも三本ぐらいの触手がコンニチハして来る。元気が良い時は、五本を超える(最高記録は九本で、その時のお客さんは「え、こんなに良いんですか? オプション料金も無しで!」とめっちゃ喜んでいた)。

 

 触手は、ボクの思い通りに動くわけではない。


 ボクの意思は汲んでくれるので、やるべきことは彼らに一任している。ちゃんと感情なんかもあるらしく、ボクが信頼感を寄せていることを示すと、ウキウキがんばってくれる。むしろ、あれこれ指図する方がテンション落ちるみたいだ。


 というわけで、『二時間の触手スペシャルコース』のボクの仕事は、開幕五秒で終了する。「ごゆっくり」と、後のことはエロ触手に任せて、ボクは狭い個室の隅っこで本を開く。


 地獄の業火で焼かれるブタの悲鳴のごとき、ウホオオーンとかアビビビャアーと表記の限界を越えるような叫び声が響き渡る中での読書活動。例えば、胸をくすぐる淡い恋物語などチョイスした日には、リアルとフィクションの温度差に体調を崩しそうになる。なんでリアルの方が非現実な光景が広がっているんだよ。


 諸兄には、本を読むのに集中できないと思われるかも知れない。ただ、これも慣れである。あるいは、ボク自身がいつの間にか、大抵のことに動じないだけの強さを身に着けたか。


 スキルは成長する、レベルアップというヤツだ。数年間、歓楽街のナンバーワンとして仕事を続けているボクは、それなりの経験値を得ているのは間違いない。レベルが上がれば当然ながら、ボクだって強くなる。とはいえ、そこまで何かが変わった実感があるわけでもなかった。


 レベルアップに伴うポイントの割り振りみたいな、色々と細かい仕組みもあるらしいけれど……。ボクはそもそも、自分のレベルを確認したことが一度もない。だって、どうでも良いと思っている。ステータスがググッと向上したところで、この仕事の役に立つとも思えないからね。

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