第50話 ここは幼馴染の私に任せて

「たっくん、ものすごく睡眠不足な顔してるね」

「あ、美紀ちゃん。ちょっと相談に乗ってくれない?」

「え?なになに?」


 夏休み前の午前しかない授業がようやく終わったところで、声をかけてきた美紀ちゃんを廊下の端に連れ出した。


 正直なところ美紀ちゃんに相談するのも微妙というか正気かよって気もするんだけど、僕には他に相談する相手がいないのだ。

 もう幼馴染に頼るしかない。


「で、なんなのたっくん。あの問題は解決した?」

「実は爆発した」

「なにがあったの?」


 ここは洗いざらい説明するしかないか。


「絵里萌とキスしてたのが恵梨香にバレて、そしたら恵梨香が部屋から出てこなくなって」

「家族なんだから挨拶みたいなもんだって言い張れば?欧米では普通だって」

「いやいや、グチュグチュのデロデロのやつ」

「なるほど」


 おかっぱ頭ボブカットの眼鏡っ子の幼馴染はうんうんとうなずいた。


「たっくんはもう諦めて私を選んだらいいんじゃないかな」

「でもさあ、だって僕のかわいい妹なんだよ。美紀ちゃんは僕に妹をあきらめろっていうの?」

「妹だっていつかは独り立ちするんだから」

「そんなこと言ったって……」


 僕の頭の中に妹たちの姿が浮かんだ。長い黒髪、華奢な姿、天使のような顔立ち。そして最初に会った時の少し不安げな様子も思い出す。


「駄目だよ。妹たちは僕が守るんだ!」

「なに言ってるのたっくん?」


 そんな時、ピロン!とスマホにメッセージが届いた。見ると絵里萌からだ。


絵「大変お姉ちゃんが!」


 僕は瞬時に通話ボタンを押した。


「どうした絵里萌!」

「大変なの。お姉ちゃんがこんな家に居られないからから出ていくって」


 絵里萌が緊急事態を伝えてくる。なにがあったんだ?


「お前、恵梨香に何か言ったの?」

「いやちょっとだけ。私は何度もお兄ちゃんのベッドで一緒に寝てたんだよって」

「まじで?」

「あとね、お兄ちゃんは本当は最初から私のことが好きだったんだよって」

「なんで!?」


 思わず大声を出してしまった。


「だって本当のことでしょ」

「いや、僕は恵梨香のことが好きなんだよ。本当の本当の本当!」

「えー、お兄ちゃん私のことは好きじゃないの?」

「いや、もちろん絵里萌のことも好きだけど」

「本当に?」

「本当の本当!」

「お姉ちゃんのほうが本当が多かったけど」

「本当だって」


 うーん、困った、どうしよう。とにかく時間を稼げないか。


「絵里萌、とりあえず僕が帰るまでは家に居てくれって恵梨香を説得してくれ」

「言ってはみるけど……」


 そしてしばらく待つ。


「説得したよ。お兄ちゃんに最後の挨拶するから帰るまでは居るって」

「サンキュー絵里萌!」


 僕は通話を切って急いで帰ろうとする。


「たっくん、待って」

「みきちゃん、聞いて分かったと思うけどちょっと急ぐんだ」

「なんで?」

「え?」

「だって、たっくんが帰ったら、妹さん家から出て行っちゃうんでしょ?」

「えええええ!」


 そういえばそうか。



 ◇



 というわけで家に帰れなくなった。学校も追い出されるし、仕方がないので美紀ちゃんの家に移動する。


「たっくん、私、着替えて……」

「まって美紀ちゃん、今日はもうこれ以上許して」


 食い気味で着替えを阻止したところで、制服のままベッドのふちに並んで腰かけ、さっきの相談を再開した。


 電車の中ではセンシティブすぎて話ができなかったのだ。


「で、たっくん、グチュグチュでデロデロなキスってどういうやつ?」

「えー、なんというか、説明しにくいんだけど」

「じゃあやってみようよ」


 美紀ちゃんがニッコリと言う。


「これ以上話を複雑にしないで欲しいんだけど」

「じゃあ聞くけど、たっくんはどうしたいの?」

「え、僕?」


 幼馴染が眼鏡の奥から僕を見つめている。そうだ、僕はどうしたいんだろう?


「えーっと、平穏に暮らしたい」

「だからー!」


 眼鏡を掛けた美紀ちゃんの顔が迫る。


「いい、たっくん。女の子というのはそもそも平穏じゃないの。火炎瓶みたいなものなの。たっくんが言ってるのは、ないものねだり!」


 そうは言われても……


「じゃあ僕はどうしたらいいんだろう」

「自分で考えなきゃだめだよ」

「そうだよね、僕がずるかったんだよね、だから妹たちが……」

「たっくんさぁ」


 美紀ちゃんが僕に声を上げる。


「お兄ちゃんでしょ、しっかりしなさいよ!」

「美紀ちゃんもみんなと同じこと言うんだね……」


 思わず目をそらしてしまう。なぜみんな僕に責任を押し付けてくるんだろう……




「だったら、たっくんは甘やかして欲しいの?」


 美紀ちゃんは一転して優しい声で尋ねてきた。


「どうなんだろう」

「私が甘やかしてあげようか。お母さんみたいに」

「それもなんか」

「いいんだよたっくん。ずっと逃げてても。私は受け入れるよ」

「そうか……」


 美紀ちゃんにそう言われて、目が覚めた思いがした。


「そうか、僕は、逃げてたんだ」

「そんなことないよ、たっくん」

「僕は自分のことばっかりで、妹たちのことをちゃんと見てあげられてなかった」

「そんなのしょうがないよ」

「僕は恵梨香とも絵里萌とも、ちゃんと向き合わないと」

「なんで?」

「だって、僕は……」


 大きく息を吸った。美紀ちゃんの目を見る。


「お兄ちゃんなんだ!」


 美紀ちゃんは口元が緩んでいる。でも目は少しだけ寂しそう。


「そっか、たっくんはお兄ちゃんだもんね」

「うん」


 そうだ、僕はお兄ちゃんなんだ。美紀ちゃんが思い出させてくれた。


「ありがとう美紀ちゃん。もう行かないと!」

「待って、たっくん」

「なに?」

「だから、帰っちゃ駄目だって」

「あ、そうか」


 もう逃げないと決めたのに、僕はどうしたらいいんだ?


「大丈夫、ここは幼馴染の私に任せて」

「何を?」


 美紀ちゃんはスマホを取り出した。


「もしもし、絵里萌ちゃん?美紀だけど……」

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