第十章 兄妹の危機

第47話 私のこと好きって言ったよね

 妹と水着を買いに行った日の夕食の後。


 風呂のために部屋に着替えを取りに行き、リビングに戻ると部屋着の妹が一人だけソファーに座っていた。

 僕と目が合った妹は、優しい微笑みを浮かべて頭を傾けた。長い黒髪のストレートヘアーがさらさらと揺れる。


「恵梨香、一人?」

「うん、ちょっとおにいちゃんに会いたくて」

「そっか」


 思わず顔を緩めてしまう。妹たちに最初に会った時、僕は天使のようだと思った。でも今はそれは違うとわかる。

 あの時、恵梨香はもっと不安そうな顔をしていた。いまの恵梨香こそが天使だ。


「おにいちゃん、喉乾いた?お茶飲む?」

「ありがとう、恵梨香」


 恵梨香はとびっきりの微笑を浮かべると、すっとソファーから立ちあがった。軽い足取りで台所へと向かう妹に、思わず一緒に付いて行ってしまう。今の恵梨香をずっと見ていたかったのだ。


「はい、おにいちゃん♡」


 天使のように美しい妹は、冷蔵庫から出した麦茶を丁寧にグラスに注ぐと、優しく僕に手渡してくれた。

 そして僕が一口麦茶を飲む間も、飼い主を迎えた子犬のような表情で僕を見上げている。


「どうしたの、機嫌いいじゃん」

「うん」


 恵梨香は幸せそうにうなずく。


「今日、おにいちゃんが私のこと判ってくれて、すごく嬉しかった!」

「まあな、ほら、お兄ちゃんだし」

「それだけじゃないでしょ」

「まあな」


 グラスを置いて思わず恵梨香の手を取った。心の中に幸福感がみなぎってくる。


「恵梨香の彼氏だもんな」

「ん!」


 黒髪ロングヘアーの妹が僕に抱きついてくる。


「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん」


 恵梨香は僕に抱きついて何度もおにいちゃんと口に出して言う。長い黒髪から恵梨香の匂いが僕の脳へと流れ込んでくる。危うく恵梨香を抱きしめそうになり、慌てて自制する。


「ほらでも恵梨香、あんまりくっついてると絵里萌に見られちゃうから」

「じゃあ、おにいちゃん、キスして」

「じゃあ、ってさぁ……」


 僕が突っ込みを入れる間もなく、恵梨香が顔を寄せてきた。僕の前に恵梨香の幸せそうな天使の顔が迫ると、その口が僕の口に重なる。


「んっ、、、」

「ンンンっ」


 二人で何度も唇を押し付け合う。


 堪らず僕は、両手を恵梨香の華奢な身体に回した。そしてぎゅっと抱き締める。もう我慢できない。


「んぅっ」


 一瞬ぴくっとした恵梨香は、次の瞬間自分からも僕に抱きついてきた。挟まった胸が柔らかく潰れる。二人で身体を押し付け合いながら何度も何度もキスを交わす。


 絵里萌とするのとは違うライトなキスだけど、それを埋め合わせるように、幾度となく恵梨香に唇を合わせる。


「はあぁ」

「ふぅ」


 息をするのも忘れて抱き合い繰り返しキスしていた僕たちは、ようやく息をすることを思い出した。二人で見つめ合って微笑みを交わす。


「おにいちゃん、大好き」

「僕も大好きだよ、恵梨香」



 ◇



 ゆっくり風呂に浸かって落ち着こうとしていると、ますますのぼせきてしまった。出る前に頭に水をかけて少しだけ冷静になる。

 バスタオルで身体をよく拭き取ると部屋着を着る。そして脱衣場の引き戸を開けたところに、妹がこちらを向いて立っていた。


 長い黒髪をツインテールに束ねている。絵里萌だった。薄手のネグリジェを着て、何か言いたげに僕を見ている。


「どした、絵里萌」

「……」


 絵里萌は脱衣所に入ってくると、後ろ手に引き戸を閉め、じっと僕を見つめてくる。


「ねえ、お兄ちゃん」


 ネグリジェから覗く胸の谷間近くにポツっと黒いホクロが見えた。

 本当に絵里萌だ。


「どうした?絵里萌」

「私とお姉ちゃん、どっちが好き?」

「え?」


 まずい、これを言われないようにしてたのに。一ヶ月も持たないとか。


「さっきお姉ちゃんとキスしてたよね」

「見てた?」

「うん」

「いやあれは、絵里萌とするのとは違うっていうか……」


 なんか言い訳になってない気がする。


「お兄ちゃん、私のこと好きって言ったよね」

「そりゃもう」

「お姉ちゃんのことも好き?」

「まあ、それは……そう……かな……」


 僕が口ごもると絵里萌は口元でニヤッとした。ツインテールの髪に手をやり、結わえた左右のゴム輪をするっと外すと指で髪を梳く。


 僕の前にいる妹はその姉にそっくりになった。


「ほら、恵梨香だよ!」


 妹は顔を傾けてにやりと口をほころばせる。


「いや、それはどうなんだ」

「だってお兄ちゃん、ずっと判らなかったじゃない」

「まあそうだけど……」


 そこを詰められると弱いんだけど。


「私はね、お兄ちゃんがお姉ちゃんのこと好きでもいいんだよ」

「いいんだ」

「それでね、私のことはその分もっと好きになってもらうの」


 恵梨香にそっくりな絵里萌が僕に抱きついてきた。薄いネグリジェ越しにやわらかい胸を押し付けてくる。さっきと同じ身体の感触と、ふわっと妹の匂いが漂う。


 さっきの台所と同じ匂いが脳に流れ込んでくる。


「ねえ、おにーちゃんは、私のこと好き?」

「うん」

「大好き?」

「うん、もちろん、大好きだよ……」


 姉と同じ見かけをした妹は、嬉しそうな表情を浮かべて、僕に甘くささやく。思考が麻痺してくる。えっと、そうだ。絵里萌だ。


「……大好きだよ。絵里萌」

「じゃあ、いつもみたいにキスして、おにーちゃん」


 黒髪ロングヘアーの妹が顔を寄せてきた。いつも夜中に見る妹の顔が目の前に迫る。僕の大好きな妹の顔。その唇が少しだけ開き、僕の唇へと重なった。


 そして妹の舌が僕の口の中に入ってくる。妹の舌を舐めるように舌を動かして、さらにはこっちからも舌をねじ込んでいく。薄い舌が僕の舌を迎えてくる。僕の舌が妹の口の中を感じていく。


 しばらく二人で舌を絡めて口をむさぼり合った。いつものような、海の底にいるような絵里萌との激しいキス。


「んはぁ、」


 絵里萌は僕に抱きついたまま少しだけ顔を離した。二人の間に涎の糸が伸びている。


「おにーちゃん、おにーちゃん、大好き」


 黒髪の妹は抱きついたまま熱っぽい目で僕の顔を見つめている。




 ガラッ


 突然、脱衣場の引き戸が開いた。そういえば絵里萌は鍵を閉めてなかった。


「あ、ごめんなさ……あれ、おにいちゃん、それに、えり、も?、なにしてるの?」


 抱きしめている絵里萌の向こう側、引き戸を開けたところに、さっきと同じ部屋着を着たロングヘアーの恵梨香が立っていた。


 あ、やばい、っていうか、手遅れ?いや、



 考 え る ん だ !



 腕に抱いた絵里萌と、廊下に驚いた顔で立つ恵梨香を交互に見る。同じ顔、同じ髪型の二人が僕を見ている。


 なんとか考えるんだ。なにか回避策があるはず……


 そうだ!


「あれ、恵梨香が二人いる!どうしてなんだ!?」


 僕はちょっと間抜けな感じで叫んでみた。腕の中の絵里萌に必死で目で合図する。


「おにーちゃん、ひっかかったー」


 絵里萌はちょっと棒読みだったけど、僕の意思を汲んでくれた。



 ◇



「だから間違えたんだって、ごめん、恵梨香」

「なんかショック」

「いまのは絵里萌の冗談だって。ほら、僕は恵梨香のことが好きだから」

「なんだ、お姉ちゃんとお兄ちゃん、やっぱりそういう関係だったんだー」


 誤魔化せたと思ったところで、絵里萌が調子に乗ってくる。


「いや、そうじゃないっていうか」

「違うの?」

「そうじゃなくもないっていうか」

「なんだーやっぱりー」


 僕と絵里萌のやり取りを聞きながら、恵梨香は心配そうな目で僕を見ていた。

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