第41話 絵里萌

 朝のラインのやり取りの後、絵里萌はなんか嬉しそうだった。確かに最近、僕は恵梨香のことばっかり見ていた気がする。兄妹なんだからある程度は公平にしないといけないよな。あまり扱いに差をつけないように気を付けないと。


 昼食の後、ツインテールの絵里萌が先に出かけていった。


 動くと身体の線が見えるゆったりした薄手のワンピースを着ている。最初に恵梨香とネカフェでデートした時と同じ服だ。一瞬ぎょっとしてしまった。


『あの二人、持っている服が被り過ぎなんだよな……』


 一緒に買ってるからしょうがないんだろうけど、これは本当によくびっくりする。


 しばらく経ってから僕も家を出た。同じ目的地なんだし一緒にいけばいい気もするんだけど、絵里萌から「デートなんだから待ち合わせからしないとだめ」と言ってきたのだ。

 でもまあ女の子の気持ちというのはそういうものなのだろう。


 そして恵梨香と二回も待ち合わせた場所で、今度はツインテールの妹が僕を待っていた。


 先々週とほとんど同じ光景。姉とまったく同じ服を着て、ただ髪型だけが違う妹が、僕を見て嬉しそうな表情を浮かべる。


「待った?」

「ちょっとね」

「だよね」


 まあ僕よりちょっと前に出たもんな。僕も急ぎ足では来たんだけど。


「行こっ!お兄ちゃん」


 珍しく絵里萌が手を繋いできた。普段は恵梨香がいないときは余りベタベタしてこないのだけど。一瞬どうしようかと思ったけど、今回はデートだしな。


 彼女の妹の手を握って、先週と同じネカフェへと向かう。


 姉の時と同じく、今回も布地が妹の身体に纏わりついて動くたびに体形がくっきり見えてしまう。薄手のワンピースの布地に浮き出る胸やお腹や腰回りの凸凹をなるべく見ないように苦労しながら、何でもない風に会話を装う。


「絵里萌はネカフェはよく来てるんじゃないのか?」

「まあ、でもほらカップル個室とか入ったことないしちょっとワクワクする」

「ペアフラットシートだろ」

「それそれ。そこ行きたい」

「分かった」


 そして僕はツインテールの妹と、その姉と来た同じペアフラットシートに入った。


「へー、こうなってるんだ。アニメとおんなじだね」

「ああ、あれね」


 水族館の出てくるアニメの続きだよな。


 そして僕たち兄妹は、マンガを抱えて隣り合ってフラットシートに転がった。恵梨香の時は僕が右だったけど今回は左側だ。


「お兄ちゃん何読んでるの?」

「群馬県を走るやつ」

「へー、レトロだね」

「絵里萌は何読んでるの?」

「巨人のやつ」

「それ恵梨香も読んでた」

「そう、私が勧めたんだけど面白かったって言われて読み返そうかと」

「ふーん」


 しばらくして絵里萌が身じろぎをした。僕に身体を寄せてくる。柔らかい身体が触れる。


 触れているというよりも、明らかに身体をくっつけてきている。


「絵里萌?」


 僕はマンガを置いて自分の右側を見た。絵里萌が僕に寄り掛かる様にマンガを読んでいる。恵梨香と最初に来た時とそっくり同じ光景だ。

 ただ僕との左右の位置だけが違うだけ。ちょっとしたデジャビュ。


 いや、同じすぎでは?


 よく見ると絵里萌は縛った髪をほどいていた。

 来た時のツインテールが完全なストレートヘアに変わっている。


「なに?お兄ちゃん」

「いや、一瞬、恵梨香がいるのかと思った」

「ああ、これ?」


 隣の少女が自分の髪を掴んで指先で梳く。


「お兄ちゃん、この方が好きなのかなって」

「そんなのどっちでも一緒だよ」

「そんなことないでしょ。お兄ちゃんはストレートのロングヘアーのほうが好きだよね」


 普段はツインテールの妹は、姉と同じ姿でそう答えた。


「なんでそう思うの?」

「だって、いつもそうしてる時の方がおにーちゃん・・・・・・嬉しそうだもん」


 妹が僕の手のひらに手を当てて恋人のように握ってきた。イタズラっぽい目で僕を見ている。


「そのいつもって、いつの時のこと?」


 僕が訊ねると、黒髪の妹は耳元に口を近づけてくる。長い髪がさらさらと流れ、空気にふんわりと妹の匂いが漂う。


「ねえ、おにーちゃん、私のこと好き?」


 僕を呼ぶアクセントがいつもの絵里萌とちょっと違う、けれど聞き覚えがあるこの呼び方。

 空気が重く感じられ、なぜだかここが海の底であるような息苦しさを感じてくる。


 妹の手を、つい一度握ってしまった。


「うれしい。私もおにーちゃんのこと大好きだよ」


 妹は繋いでない方の手でワンピースの襟首を引き下げた。胸のふくらみの上部が露出すると、谷間の近くにぽつんと黒いホクロがある。


「見える?」

「ちょっと待てよ、なんで絵里萌に……」


 片手を握ったまま、妹は半身で僕に伸し掛かってきた。身体の上に感じる、昨日の夜中と同じ柔らかい弾力を伴った重さ。


「わかった、お前、恵梨香だろ」


 妹が僕の手を二回握った。


「お姉ちゃんなら家にいるよ」

「だから変ないたずらはやめろよ恵梨香」

「私は絵里萌だよ、おにーちゃん」

「そんなわけ……」


 いや、確かにラインは絵里萌にしたし、僕が家を出るときに恵梨香はまだ家にいた。


「ひょっとして家から入れ替わってた?いやそんなわけは……」

「双子のトリックはノックスの十戒で禁止されてる、って国後さんならいいそう」

「いや待ってくれよ、どうなってんだよ」

「じゃあ、お姉ちゃんにラインしてみたら?」


 僕はズボンのポケットからスマホを取り出して恵梨香にメッセージを送ってみた。


僕「恵梨香いる?」

恵「なに?おにいちゃん」


「なんだこれ。二人で僕の事からかってるとか?」

「お姉ちゃんは気が付いてないよ」


僕「絵里萌は家にいる?」

恵「まだ帰ってないけど」

僕「じゃあいいや後で」


「となると、お前は本当に絵里萌で、恵梨香の振りをしていたと」

「ちょっと違う。お兄ちゃんが勝手に私のことをお姉ちゃんだと思ったんだよ」

「いつ?」

「またデートしようって言ったら、ネカフェ?って言ったよね」

「え?」


 スマホの液晶に下から照らされた絵里萌の顔が、かすかに傾いて僕の目を見通すように覗き込んでくる。


 確かに、あの時はちょっとカマを掛けてみようと思ったのだ。


「いやでもあれは……」

「ルールを破ったのはお兄ちゃんだよね」


 そう言われると確かに否定はできないけれど、


「でも手紙は恵梨香が、」

「ドアの下からお姉ちゃんの部屋に入れといたんだ。お兄ちゃんが会いたがってたから」


 絵里萌は僕の目を見たまま鼻先で軽く微笑む。


「お兄ちゃんは、私が恵梨香でも絵里萌でもどっちでもいいって言ったよね。私のことが好きだって。私、あれを聞いて凄くうれしかったんだ」

「いや、そうは言ったけど……」


 僕は確かにそう言った。


「じゃあどっちだっていいじゃない。お兄ちゃんは私が好きなんでしょ」

「えーっと」

「おにーちゃん、キスしよう」


 絵里萌はゆっくりとそのきれいな顔を僕の顔に近づけてきた。


 唇が僕の唇に触れ、そのまま押し付けられてくる。唇の間から舌が入ってきて僕の舌を捉える。妹の舌が僕の舌を味わうように舐める。僕の舌も妹の舌を迎える。


 やがて二人の舌が絡まり合う。


 昨日の夜にしたのと同じ、息が続かなくなるまでの貪るようなキス。


「はぁ」


 スマホの液晶の光を受け、絵里萌の口から涎の糸が垂れるのが見えた。


「大好きだよ、おにーちゃん」

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