第30話 もっとズルくてもいいんだよ

 結局ネカフェでは恵梨香に気持ちを答えることはできなかった。夜にベッドに入った後もさっきの声が耳に残っている。僕の気持ちってなんなんだろう。


 確かに恵梨香のことは好きなのだけど、それがどういう意味の好きなのか、僕が本当に好きなのは誰なのか、なんだか良く分かんなくなってきた。


 答えのない問いを考えていたら眠くなってきた……




 気が付くと華奢な身体の柔らかな重みが身体の上に掛かっている。真夜中の部屋のベッドの上で、目を閉じたままその重さを感じている。


 いままでと同じ、そして今日の昼とも同じ、妹の身体の細く滑らかな感触がする。

 そして細い滑らかな指が僕の指と絡んでくる。


「おにーちゃん、起きてる?」


 聞きなれた妹の声が耳元から聞こえる。僕は目を閉じたまま軽く手を握った。


「おにーちゃん、デートは楽しかった?」


 どっちのデートの事だろう?でもどっちも楽しかったな。妹の手を握る。一回。肯定の返事。目を閉じていても妹の楽しそうな反応を感じ取れる。


「好きだよおにーちゃん。おにーちゃんも私のこと好きだよね」


 もちろんだ、妹だもんな。僕はその手を一回握る。


 すると妹は片手を握りしめたまま僕に抱きついてきた。弾力を持った柔らかな身体を擦り付けながら、耳元で囁いてくる。


「ねえ、おにーちゃんは私が妹だから好きなの?」


 抱きつく妹の手を一回握り、肯定を伝える。


「と言うことは、おにーちゃんは私が妹でなくなったら好きじゃなくなるってこと?」

「えっ?」


 妹から思ってもみなかった質問が来た。僕は眠ったふりを忘れてつい答えてしまう。


「いやさ、妹でなくなることなんてありえなくない?」

「そんなのわかんないよね」


 耳元で突然、妹が強い口調で反論してきた。


「だって妹はずっと妹だろ。家族なんだから」

「他人が妹になったんだから、妹が他人になることだってあるでしょ」

「そんなことないだろ。恋人は別れても妹はずっと妹じゃん」


 僕の上で、妹が何かを言おうと息を吸いこんでいる。


「それじゃあ、もし義父さんお父さんとお母さんが離婚したら、おにーちゃんはもう私のこと好きじゃないの?」

「え?え、えーっと」


 いや、そのことは全く考えたことがなかった。どうなんだその場合。


「うーんと、そうだな、親権による?」

「なにそれ」


 自分でも話してて論理が破綻してる気がする。


「おにーちゃんの好き嫌いって家庭裁判所の調停で決まるんだ」

「えっと、いや、ちょっと待った」

「家族なんて親の気持ちだけで簡単に変わっちゃうんだよ」

「そう、なのかな」

「そうだよ!」


 妹の鋭い言葉に全く反論ができない。


「おにーちゃん、美紀さんにも言われたんでしょ。大人になれって」

「でもさ、僕たちは法的には子供なわけで、未成年だし」

「おにーちゃん来年には18歳でしょ」

「ですね」


 うん、最後のは完全に藪蛇だったな。


「だから、おにーちゃんの家族だからずっと好き論って完全に破綻してるでしょ」

「えーっとそんな名前の理論だっけ」

「負けを認めなさいよ、おにーちゃん」

「そうですね」

「はい論破」


 いやまあ、もともとロジックに無理があるのは分かってたんだけど。僕が言ってたのは感情への単なる後付けの理由なのだ。


「だから、おにーちゃんが言う家族が何だってのはただの言い訳で、本当は怖いだけでしょ?」

「えーっとなにがでしょう?」


 妹の口から言葉が発せられる。


「人を好きになること?」


 ドキッとした。そういうことはあんまり考えないようにしてたのだ。


「そうなのかな」

「ていうかおにーちゃん、それ以前の話として別れるのが怖いから付き合いたくないってのはどうかしてると思うよ」

「あー、まぁ、えーっと、そう、なの、かな」

「いくじなし」

「すいません」


 まあそうだよね。言い訳だよね。美紀ちゃんにも昔そう言われたことがあって、その時はしばらく会わないようにしていた。やっぱり僕はずるいのかもしれない。


「そういえば、さっき恵梨香に僕はズルいって言われたんだけどさ」

「フフッ」


 妹が鼻をならして僕の手を一回握る。


「でも、恵梨香はその後で、僕はもっとズルくてもいいって……」

「いいこと言うね」

「お前、恵梨香じゃないの?」


 妹は僕の手を指でぎゅっと握りしめ、責めるように何度も指を絡めてくる。


「そうだね、ルール違反だった」

「ねえ、おにーちゃん」


 目を閉じているすぐ前から妹の声がした。顔に息がかかるのが感じられる。


「なに」

「目を開けて」


 ほのかな青い光の中、すぐ近くに妹の顔があった。


 姉妹で学校の一二を争う美少女の顔、既に慣れてきた家族の顔、そして、夜中に何度も見てきた妹の顔。どれも同じ顔。


 その妹の顔が僕の方へと下がってきた。そして唇が僕の唇に重なる。


 妹と口付けを交わす。柔らかく熱い感触。口を合わせたまま何度も押し付けられる。唇を啄むようにキスを続ける。


 そして妹はそっと僕から顔を離した。天使のような顔の口元に微笑みが浮かんでいるのが、暗い中に微かに見える。


「おにーちゃんは、もっとズルくてもいいんだよ」

「お前もそういうんだな」

「私もズルいから、それでちょうどいい」


 妹の顔がもう一度降りてきた。再び唇が触れ合うと、その間から遠慮がちに妹の舌先が入り込んできて僕の舌を求めてきた。


 僕の舌先がその舌先に当たる。


 二人で互いに確認しあうかのように、息を止めたまま相手の舌先を舐め合い続ける。


 やがて息が続かなくなり、妹の息が僕の顔に掛かってきた。


「私のこと好き?」


 さっきよりも強く妹の手を握りしめた。暗い中で妹の顔を見つめる。妹は恵梨香と同じ匂いがした。その息の音に満足そうな気配が混ざる。


「またズルいことしようね、おにーちゃん」



 ◇



「おにいちゃん、おはよう」

「おはよう、お兄ちゃん」

「おはよう、恵梨香、絵里萌」


 僕はいままで理由をつけて人に向き合ってこなかった。そんな子供じみた行動が美紀ちゃんを傷つけてきたし、そのままでは妹たちも傷つけてしまう。


「ねえおにいちゃん、今日は一緒にお弁当を食べようよ」

「そうだな、そうするか」

「うん」


 自分の気持ちが分からなくても、それで傷ついたとしても、向き合おうという気持ちを持つことが大人なんじゃないか、そういう気がしてくる。



 ◇



「たっくん、お弁当一緒に……」


 美紀ちゃんが声を掛けてきたその直後、教室の入り口から聞きなれた声が聞こえてきた。


「おにいちゃん、お昼ご飯だよ!」「お兄ちゃんお弁当!」


 ピキーン!


 問いかけるような目で僕を見る幼馴染から、張りつめたオーラが放たれている。


「いまの私が先だったよね?」


 その声をかき消すように、教室にどよめきが沸き起こった。


「うおぉー!」「やっぱツインテ」「黒髪ロング一択JK!」


 どよめく教室は妹コールでも起きそうだ。そんな中、美紀ちゃんは僕を見つめている。一瞬、目を逸らしそうになるけれど、


 ここはちゃんと向き合わないといけない。そう決めたんだ。


「実は、今日は先約が……」

「そうだ、たっくん。今日はまた妹さんたちと一緒に屋上行きましょう!」


 言いづらそうに答えかけた僕を、慌てて美紀ちゃんが遮った。


「えーっと、あー、そうだね!」


 なるほど、これが大人な対応か。僕も見習わないといけないな。

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