第15話 この妹、動くのか……

 ( ( ( おにーちゃん ) ) )


 呼ばれたような気がして、眠りの世界から意識が戻ってきた。身体の上に重さと体温を感じているけれど、寝入りばななので頭が働かない。


『んー、なんだ……?、また妹か……』


 慣れというのは恐ろしいもので、妹が一緒に寝ているぐらいでは動じなくなってきた。目を閉じたままでもわかる、この感触はいつもの妹だろう。どうも最近慣れてしまったみたいだ。

 そんなことよりむしろ眠いものは眠い。僕は静かに眠りの世界に戻っていこうとする……


 む に ゅ ぅ っ っ っ っ つ


 突然、僕の身体に掛かる柔らかな重さが左右に揺れ始めてきた。しなやかな腕や足をこすり付けて、ずりずりと動き出している。


『これは……寝返りではない?』


 今までにない動きに思わず身体を固くしてしまう。僕の身体にしがみついた妹が、上、というか、頭の方向へと動き始めた。


『この妹、動くのか……』


 いつも寝ているだけだと思っていた妹が動いている。目を閉じたままの頭が急速に覚醒してきた。触れ合う肌の感覚を鋭敏に感じ、僕の中で眠っていた思考が形を取ってくる。


 柔らかく弾力のある部分、その先端が動いて当たる時、肌にぽっつりとした感触がある。これは……


『もしかして僕の妹って、寝てる時ノーブラなのでは』


 そういえば横から押してみたことがあった。確かにむにゅっと柔らかかった覚えがある。さっきまで眠かった心に動揺が広がってきた。いや、ちょっと待て。


『女の子って、寝てる時ってどうなんだ普通?』


 ここは確認するべきだろうか。でも冷静に考えて妹に「今ノーブラ?」って聞く兄って相当キモいよな。


 だとすればここは、気付かなかったことにすべきだろうか。


 該当の感触を意識から外そうと抗っていると、妹の頭が僕の顔に寄ってきた。薄目を開いた僕の顔に長い髪がふわっとかかる。


 妹の匂いを胸いっぱいに吸い込んでしまう。


 慌てて目を閉じた僕の頭の中に、妹の姿が鮮明に蘇ってきた。意識しないようにしているのに、ホクロのある部分の記憶まで思い出してくる。動揺がいっそう激さを増す。いや、だから僕は違うっていうか……


 寝たふりをしたままで僕が慌てていると、妹の動きが止まった。




 どうやら、やり過ごした?


 ほっとした瞬間に突然、湿った息が耳を撫でてきた。右の耳に向かって妹がふーーっと息を吐いている。


『いやっ、それちょっと……』


 思わず身体が反応しそうになったけれど、なんとかこらえて寝たふりをする。妹が少し身体を捩り、呼吸の音が耳元から生々しく聞こえてきた。妹が顔を寄せている気配がする。


 そして息を吸いこむ音。次の瞬間、


 耳奥をくすぐってくるような空気の流れ、鼓膜を揺するガサゴソという音。僕の耳に口を寄せた妹が、耳穴深くに細く強く息を吹き込んできた。


『なんなのこれ、新種の拷問?ひょっとしてASMRってやつ?』


 とにかく反応しないようにじっと耐えている僕の耳に、今度は吐息に混ざった囁き声が聞こえてくる。


「おにーちゃん」


 妹の声に聞こえる。どちらかというと恵梨香の言い方に近い。


 そう考えた時、カラオケの時の『お姉ちゃんってお兄ちゃんのこと好きなんじゃないかな』という絵里萌のセリフを思い出してきた。

 どうなんだろう。この子は恵梨香で、いまひょっとして行動に移されてるってやつ?でも恵梨香って本当にそういうことするのかな。


『こういう場合、兄としてはどうしたらいいんだ?』


 恵梨香である可能性は高いものの、判断するにはまだ情報が足りてない。僕はあと少しだけ様子を見てみることにした。




「一緒にカラオケ、楽しかったよね」


 耳のすぐ脇から囁き声が発せられると、その息遣いまでが生々しく聞こえてくる。なるほどこれがASMRか。

 一瞬うなずきそうになるけど、よく考えたら寝てるんだよな僕。とにかくじっと動かないようにする。


「寝てるふりかな?」


 しがみついている妹の圧力が強くなってきた。華奢で柔らかい身体を感じている。やっぱりノーブラ?、じゃなくて、えーっと、どうしよう。


「本当は起きてるんでしょ?」


 いやここで「実は起きてます」って言ったら、それはそれで気まずくない?早く飽きて帰ってくれないかな……


 ガサゴソベチョ!!!


 突然、温かく濡れた柔らかいものが耳の穴に入ってきた。湿った快感に感覚器官が飽和して、ゾクリと身体を駆け巡る。


『あひゃぁぁぁああ』


 っと声を上げそうになったのを何とかして堪えた。しかしこのままでは起きていることを気付かれてしまう。そうなったらかなり気まずい。


 ここは冷静になってみよう。いったい今、何が起きているのか。


 僕の状況は、妹に胸の上に弾力のある柔らかい部分を押し付けられ、耳の穴を舌で舐められているところだ。なるほど。



 ま っ た く 冷 静 に な れ な い



 妹の手のひらが、僕の心臓のあたりにそっと当てられてくる。


「おにーちゃん、ドキドキしてるね」


 息遣いの混ざった妹の囁き声が、すぐ耳元から聞こえる。


「妹でも興奮するんだ」


 こんな美少女にこんなことされて興奮しない奴いないだろ。


「おにーちゃん、大好きだよ」


 僕も妹のことは好きだけど……


 心臓の鼓動の音が自分でも聞こえてくる。僕が起きてる事が妹に気付かれてしまう。ここはどうにかして冷静にならないと。僕は一体どうしたら……


『そうだ、こんな時は素数を数えよう!』


 思い付きをとにかく実行に移してみる。


『2、3、5、7、11、13、17、19、えっと次は、23?』


 そういえば、隣り合う二つの奇数が素数な場合を双子素数っていうんだよな。なんの関係もないけど……

 そうやって素数について思いを巡らしていると、抱きついてくる力が弱まってきた。


 すー、すー


 耳元から寝息が聞こえてくる。


『助かった?』


 いやでもフラグかもしれないよな。映画でもよくあるしな。ここで気を抜くわけにはいかない。


『次の素数はいくつだっけ。29?、それから31?』


 そのまま寝息を立てる妹に抱きつかれ、ひたすら割り算と掛け算を繰り返しながら、僕はまんじりともしない夜を過ごした。

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