第8話 シュレディンガーの妹という概念

 夜眠るとき、例の女の子が夢じゃなくて妹だという前提で考えてみた。いつものように既に眠っている状態では気が付いてもなかなか声をかけにくい。

 であれば、部屋に入ってきた瞬間に「誰?」と聞けばいいんじゃないだろうか。


『我ながらナイスアイデアでは』


 僕はベッドの上で布団をかぶって待機することにした。恵梨香だか絵里萌だか判らないけど、早く来ないだろうか……



 ◇



 そして気が付いたら身体の上に重さを感じていた。例によって暗い部屋に差し込む青い光の中で、僕の右半身に女の子が抱きついて眠っている。


『しまった、うっかり眠っていた』


 想定外だがしょうがない。まずは状況を整理しよう。


 いま僕に抱きついている女の子について考えると、妹かそうでないかという場合分けができる。




 もし妹である場合、それは恵梨香か絵里萌かという二通りなわけで、つまりいま妹たちの部屋に行ってみて空室だった方で確定だ。


 万一、両方の部屋に妹が存在していたならば、ここにいる女の子は妹でないということになる。




 これで場合分けはだいたい完了だよな。漏れなくダブりなく。冷静になれば簡単なことだった。


『よし、妹の部屋を見に行くか!』


 まずは起き上がるために、抱きついている妹(未確定)の下から右半身を引き抜こうとそっと身体をずらしてみた。


 ぎゅっ


 妹(未確定)が僕の右腕にしがみついてくる。あ、柔らかい。さらに脚にも妹(未確定)の脚が絡みついてきた。いや、ちょっと。


「あのー、ひょっとして起きてる?」

「すぴー」


 意を決して小声で呼びかけてみたが、妹(未確定)は寝息を立てて眠っている。


 このままでは僕は起き上がることもできないし、ましてや妹の部屋を見に行くなどできるわけがない。つまりどちらの妹かという問題は確定しないことになる。


『困った』


 観測しなければ確定しない、シュレディンガーの妹状態だ。どうにかならないだろうか。


『いや、ちょっと待て』


 冷静に考えて、義理の妹の部屋を夜中にのぞきに行くとか行為としてNGだよな。見つかったら家族会議が開催されてしまう。あ、ちょっとやばかった。


 NG行為を未然に止めてくれた妹(未確定)に感謝しつつ、僕は他の方法を考えることにしてみる。




 例えば今日はもうあきらめて、妹たちの部屋に隠しカメラを仕掛けるってのはどうだろう……と考えたんだけど、それこそバレたらNGぐらいじゃ済まないな。


 下手したら再婚したばかりの両親の離婚沙汰に発展してしまう。どうだろうじゃないんだよ。危ないところだった。


 じゃあ、夜中に妹たちの部屋の扉の縁に髪の毛を貼っておいて、朝に扉が開いたか調べるとか……でも考えてみると妹の方が早起きなんだよな。それに本当にあんなので分かるのかな。推理小説にありがちな都市伝説っぽい気もしてくる。


『うーん、他になにかいい方法はないだろうか、、』




 っていうか、ふと思ったんだけど、目の前で妹(未確定)が寝てるんだから、起こして聞けばいいのでは?


 なるほど、最もシンプルな解法が盲点だった。


「ちょっとさ、起きてよ」

「すぴー」


 声をかけてみるが起きない。困った。どうしよう。


『くすぐったら起きるかな?』


 右半身に抱きついている妹(未確定)の脇の下を左手の指先で軽く触れてみた。


 ちょこちょこちょこ


 妹(未確定)の抱きついてくる力がちょっと強くなったような気がする。もっと探ってみれば反応があるかもしれない。


『もうちょっと下かな?』


 指先を脇の下から下にずらしていき、肋骨から脇腹にかけてそっと撫でてみる。


 ぴくっ


 妹(未確定)の身体が微かに動いた。そして柔らかく弾力のある膨らみを僕の胸に押し付けてくる。


「えーっと、実は起きてるんじゃないですか?」

「すぴー」


 なるほど、起こしても起きなければ聞けないよな。盲点だった。っていうか、起きたとしても本人が話してくれるとは限らないわけで。


 これはもっと客観的な方法が必要だ。




 客観的となるとまずは観察からだろう。もう一度、僕の右半身にしがみついて寝ている妹(未確定)をよく観察してみる。


 青いカーテン越しの薄明かりの中、黒髪が背中に長く伸びている。縛ってはいないものの、だからといって恵梨香とは言いきれない。


 顔は角度的によく見えないが、さんざん見比べても違いが判らなかった顔だ。薄明かりだけで判別できるとは思えない。


 ホクロぐらいありそうなものなのだけど、今まで見た限りではわからなかったんだよな。見た目以外の違いといえば……


『そうだ』


 プリクラの時を思い出して、僕は自由に動く左手を妹(未確定)の背に回し、華奢な体をそっと抱きしめてみた。


『うーん、わからん』


 さっきもちょっと触っただけだもんな。違いが分かる気がしない。でももうちょっとやってみれば何か分かるかもしれない。検証は大事だ。


 すりすりすり


 妹(未確定)の背中から、下の方へとゆっくりと手のひらをずらし、指先に神経を集中する。布地越しに指先が滑らかな背中を感じる。


 どうだろう、まだ分からない。もうちょっと検証しないと。


 そして指先がすべすべした腰からお尻の膨らみへと……


「んーんー」


 僕にしがみついた妹(未確定)がモゾモゾと動いた。またもや胸のあたりの柔らかい弾力を押し付けられ、慌てて手を引っ込める。


『いやー、危なく起きちゃうところだったな』


 いや、起こそうとしてたんだっけ?何してたんだっけ?僕。


 なんか良く分からなくなってきた。もうこのままだと明日も寝不足になってしまう。もう寝るか。


 最後にもう一度、顔を下に向けて妹の方を覗き込んでみた。


『ん?』


 僕と妹の身体の隙間、寝巻の胸元から柔らかそうな膨らみが覗いている。慌てて目を逸らすその瞬間、その膨らみの谷間近く、白い肌に黒いホクロがぽつんと目に入った。


『そうか、ここで見分ければ……』


 って、無理だな。


 まあいいや、寝よう。

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