第3話 だからただの妹だって

 この三か月の間に、僕はなんとか妹たちを名前で呼べるようになっていた。

 ようやくこの最近は会話を交わす機会も増え、兄妹という実感も増してきた。妹たちの、特に恵梨香の、作る夕食は僕の食生活を劇的に改善し、朝食や夕食での会話も弾んでいる気はしている。


 とはいえ女の子との距離感は、突然家族になった女の子は特に、僕には難しい。



 ―――――



「たっくん、また眠そう」

「いやそんなことないって!」


 朝のホームルーム前の時間、声を掛けてきた美紀ちゃんに慌てて否定してしまったけれど、ちょっと不自然だったかも。


「どうした?」

「たっくんの妹の話」

「違うだろ!」


 近くの席の友人である歯舞幸雄はぼまい・ゆきおに声を掛けられ、美紀ちゃんが話の捏造を始めた。


「あー卓也の妹アイドルみたいにかわいいしな。みんな羨ましがってる」

「ふーん、そう。へー」

「やぱりシスコンなんだ」

「だから美紀ちゃん!」


 この話題やたらに食いつきがいいんだよな。確かにあの子たちはかわいいし好きだけど、僕にとってはただの妹だって言ってるのに。



 ◇



「たっくん、今日は図書委員だよ」

「あー、はいはい。いま準備するから」


 おかっぱ頭ボブカット眼鏡っ子幼馴染の美紀ちゃんは僕と同じ図書委員だ。週に二回の放課後、学校図書室のカウンターで一緒に貸出当番をやっている。

 暇なら本も読んでいられるということで誘われて、一年の時から続けているのだけど、部活みたいなものだ。


 図書室までの途中、幼馴染があれこれ話しかけてくる。


「私たちさ、たっくんが引っ越してからあんまり一緒じゃないよね」

「あんまり?」


 帰り道が変わったとはいえ、実際のところ美紀ちゃんとは同じクラスで毎日会ってるし、週に二回の図書委員も一緒だ。

 一年の時は帰り道もよく一緒になったし、それをいうと子供のころは毎日一緒に遊んでいたけれど、さすがにそこまで一緒というのも気まずいというかなんというか。


「そんなことなくない?」

「そういえばさ、たっくんの妹さんたちってお人形さんみたいにかわいいよねー」


 美紀ちゃんが僕の否定を軽くスルーしてきた。


「なにがそういえばか分からないけどね」

「だよねー。家だとどんな感じなの?やっぱり妹だし生意気とか?」


 昨日の夕食の会話を思い出す。


「かわいい……かな」


 指先の感触まで思い出してしまった。つい自分の指を見つめてしまう。


「なんかさー、妹ってだけで一緒に居られるの、ずるくない?」

「え?」


 ちょっと上の空で聞いていなかった。


「なんだって?」

「たっくんはズルいなって言ったの」

「よくわかんないけどごめん」

「んー」


 美紀ちゃんは時々こんな感じで謎に機嫌を損ねるけど、だいたいすぐに元に戻る。




「たっくん、寝不足なら寝てていいよ」

「いやでも仕事しないと」

「だってお客さんいないじゃない。私やるから大丈夫よ」


 この学校の図書室は広いし蔵書も多いし、なにせラノベが充実している。僕としては結構好きなんだけど、美紀ちゃんの言う通り生徒は多くない、というかぜんぜんいない。

 見回しても勉強している人がパラパラいる程度。まだ試験期間前だしな。


 おかげでかなり暇だ。静かだし眠くなってきた。


「ほら、私に寄り掛かって寝て」


 いつの間にか美紀ちゃんが隣にぴったりと椅子を寄せて身体をくっつけていた。幼馴染の柔らかい身体から体温が伝わってくる。


「さすがにそれは……」

「子供のころ一緒にお昼寝してたじゃない」


 美紀ちゃんは僕に対してお姉さん目線なんだよな。だけど幼馴染とはいえちょっとベタベタしすぎだと思う。


「ちょっと恥ずかしいっていうか」

「いまさら恥ずかしがらないでも。私たち幼馴染なんだから」

「いやそういうことじゃなくて、ほら、誰かに見られるとか」

「……ゴホン、ゴホン……」


 見ると目の前に女の子が立っていた。長い黒髪の華奢な子だ。というか、妹だった。髪を縛ってないので恵梨香の方だな。

 見られてたのかな。微妙に恥ずかしいけれど平静を装う。


「……お忙しいところですけど、貸出手続きしていただけますか」

「あ、はいただいま」


 やっぱり見られてたっぽい。一瞬固まった僕に代わって平静な美紀ちゃんが手を伸ばし、妹から文庫本と図書カードを受け取った。手際よくバーコードをスキャンしている。

 表紙を見るとラノベみたいだな。ちらっと横目でタイトルを読んでみた。


『幼馴染にパーティーから追放されたけど妹がいるから大丈夫』

『妹と挑む異世界ライフ。幼馴染とかもうオワコン』

『幼馴染にザマーして妹とダンジョンを攻略します』


 なにこれ、図書室にこんなラノベあるんだ。


 つい妹を見てしまうと一瞬僕と目が合う。口元がイタズラっぽく緩んでいた。長い髪を指で梳いている。


「三冊ですね。貸し出しは三冊までで二週間です」

「どうもありがとうございます、国後さん」


 僕の幼馴染に慇懃すぎる礼を言うと黒髪の美少女は去っていった。姿が消えるまで目で追ってしまう。


「やっぱりお人形さんみたいね」

「いや、そんなことも……」


 美紀ちゃんはちょっと不満そうに横目で僕を見る。


「やっぱりシスコン?」

「だからただの妹だって!」



 ◇



 そして、その夜更け。

 ふと目が覚めると、少女が僕の右半身にもたれ掛かるように眠っていた。


 昨日の夢と同じく、束ねていない黒い髪が背中を覆うように流れている。深夜の微かな青い光の中で、その顔はやっぱり妹に見える。

 夢にしてはやたらに鮮明だ。明晰夢ってやつなのかもしれない。右腕に掛かる重さまで現実みたいだ。


 少女の下で右手を動かしてみた。指先にやわらかい感触がある。これが妹の感触か。明晰夢凄すぎなのでは。いや、ていうか、


『実は夢じゃないのでは?』


 ていうか昨日からうすうす思っていたけれど、これは夢ではない。だいたい夢を見て寝不足とかどう考えてもおかしい。今まで気付いてなかったけど。


 となると実際のところ、どっちの妹なんだ?


 僕に抱きついて眠っている妹を見つつ、黒髪ロングの妹と、ツインテールの妹をなるべくはっきりと思い出してみる……んだけれど、やっぱりおんなじ顔が思い浮かぶ。


『髪型以外に何か違いなかったっけ?』


 考えてみると、いままで妹たちには微妙に距離を置いていて、僕はちゃんと向き合ってこなかった気もする。自分の妹が判らないとか兄として失格なのでは。


『よし、ここは兄としてきちんと妹に向き合わないと!』


 そう思い立つと、僕は目を閉じて記憶の中を振り返った。今までの妹たちとの会話、仕草、振る舞いを思い浮かべる。


 三か月前のレストランの個室から今日までの、恵梨香と絵里萌という二人の女の子のディティールを頭の中で辿る。


 真剣に料理をする恵梨香、いたずらっぽく微笑む絵里萌。昨日の夕食、姉のことを自慢げに語る絵里萌、顔を赤くしている恵梨香。今朝の会話。ちょっと眠そうな絵里萌。制服姿の二人の、目を離せなかった動きの一つ一つを頭の中で再生する。

 

 そして図書館で一瞬、目が合った時の恵梨香のいたずらっぽい口元も。


 僕は目を開いた。うつ伏せに眠る女の子に、頭の中の妹を重ね合わせてみる。顔をよく見ようと、長い黒髪をそっと指で梳く。


 空気中に、妹の匂いが広がってくる。


 僕の上で妹が身じろぎをした。柔らかな身体の重さが直接伝わってきて、呼吸の動きが微かに感じられる。一つ年下の女の子が生身でそこにいる。心臓の鼓動が大きく速くなってきた。



 全 然 わ か ら な い。



 深呼吸をしてみる。あたりに妹の匂いが漂っている。鼓動はまったく静まらない。僕はなんとか自分に言い聞かせようとする。


『いやだから、これはただの妹だって……』

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