第2話 妹をそんな目で見ちゃだめだよ

 僕は初めて妹たちを見た時のことをまだ時々思い出す。長い黒髪の華奢な二人の少女が、鏡に映った静かな天使のように僕を見ていた。


 レストランの個室で、妹たちの表情には少しの不安と少しの期待が混ざっているように見えた。僕はといえば、家族という単語が出るたびに落ち着かない感覚を覚えていた。


 その後、新しく母親となる人になんて挨拶したかは覚えていない。 



 ―――――



「卓也、眠そうだな」

「うーん、なんか変な夢を見ちゃって」


 学校にはなんとか間に合って、ホームルームの前のひと時、近くの席の友人である歯舞幸雄はぼまい・ゆきおに聞かれ、「ベッドで隣に妹が」と小声で説明する。


「それなんてラノベ?」

「だから夢だって」


 眠くてうっかり答えてしまったけれど、本当は人に言うような話じゃないよな。幸雄がニヤリとするのを見て、しまったと思うがもう遅い。


「夢というのは欲求不満の表れなんだって。つまり卓也は彼女が欲しいってことだな」

「なんだよそれ。フロイトかよ」


 幸雄がしたり顔でそう言うのを聞いて、抱きつかれて胸をすりすりされたというディティールまで言わないでよかったと思った。何を言われるか分かったもんじゃない。


 ついでに言うと僕の名前は大泊卓也おおどまり・たくやだ。友達からは卓也と呼ばれることが多いが、たまに他の呼び方をされることもある。例えば、


「たっくん、何の話?」

「あ、いや、なんでもないよ美紀ちゃん」


 幸雄との話に割り込んできたのは国後美紀くなしり・みきというおかっぱ頭ボブカットの眼鏡っ子だ。


 彼女は僕が父親の再婚で新しい家に引っ越すまで、マンションの隣に小さいころからずっと住んでいた女の子で、つまり幼馴染だ。一時期を除いて小さい時からずっと一緒で、僕のことをたっくんと呼んでいる。


「卓也が欲求不満で妹がベッドの隣で一緒に……」

「そういう夢だって!」

「へーそうなんだ。たっくん、欲求不満なんだ」


 幸雄が余計なことを言い、美紀ちゃんの口元にイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。


「幸雄、変なこと言うなよ」

「たっくんの妹さんたち本当にかわいいもんね。でも妹をそんな目で見ちゃだめだよ」

「なんか義妹ってのがラノベっぽくない?」


 二人とも言いたい放題だ。確かにあの妹たちは話題のネタになりやすくて、美紀ちゃんにはしょっちゅうからかわれている。


「もう妹の話はよそうよ……」


 眠くてうっかり変な話をしてしまった。さっさと忘れてほしい。僕は騒がしい教室の窓から、始業前の人のいない校庭を眺める振りをする。




 昼休み始まってすぐ、教室の席で弁当を広げようとしたところで、幼馴染の美紀ちゃんが声をかけてきた。


「たっくん、一緒にお弁当食べようよ」


 おかっぱ頭ボブカットの眼鏡っ子は返事も聞かず、いそいそと机をつなげてくる。いつものことだ。二人で向き合ってお弁当箱を広げる。


「たっくん最近は妹にかかりっきりで全然遊んでくれないよね」

「いや、そんなことなくない?」


 エビフライを箸に挟んで振り回しながら、幼馴染が僕に理不尽なクレームをつけてきた。


 ていうか、僕と美紀ちゃんとは幼馴染としては十分仲が良いと思う。実際クラスの中には僕と美紀ちゃんが付き合ってると思ってる人もいそうな気がする。


 それに僕は、妹にかかりっきりでもなんでもない。


「なんかさ、妹さんがかわいいのは判るけど、たまにはほら」

「いやだから妹は……」


 彼女たちも高校生だし自分の生活があるわけで、むしろ僕が接している時間は今だと美紀ちゃんの方が長いぐらいだ。


 でもまあ、昔に比べたらそうでもない。中学二年のころまでは美紀ちゃんとはいつも一緒で、一緒に遊んだりちょくちょく勉強を教えたりもした。とはいえ美紀ちゃんの成績はそんなに良くなかった。


 そのころの成績を考えると、同じ高校に合格していたのに気付いた時はちょっとびっくりした。僕の教え方がよっぽど悪かったんだろう。


「そういえば、たっくんこれ好きだったよね」


 幼馴染がタコさんウィンナーを直箸で僕の弁当箱に放り込んできた。



 ◇



 再婚してすぐにもかかわらず両親は帰りが遅い。夕食は妹が作ることが多いのだけれど、二人とも僕が好きな料理を作ってくれている。妹に足を向けて眠れない。


「ごちそうさま」


 肉のみそ焼きに麻婆ナスに温野菜アンチョビソースバーニャカウダという、ちょっと凝った夕食を食べ終わった後で、僕は向かいに座る自分の妹たちを何気なく眺めていた。


「おにいちゃんどうしたの?」


 ロングヘアーの妹の恵梨香が不思議そうな顔で尋ねてきた。実は昨晩の夢を思い出していたのだけど、じろじろ見過ぎたかも。


「あ、いや、今日のご飯も美味しかったなって思って」

「ありがとう!おにいちゃん!」


 とっさの言い訳に、恵梨香が満面の笑みを浮かべる。そういえば今日の料理は恵梨香が作ったんだよな。妹の顔を見て、なんとかいま食べた料理の味を思い出す。


「肉も甘辛で僕の好みだし、野菜のソースも塩味がちょうどよかったよ」


 僕がどうにか恵梨香の料理を褒めると、今度はツインテールのほうの妹の絵里萌が尋ねてきた。


「それじゃ、お兄ちゃんはお姉ちゃんと私のどっちの料理が好き?」

「え?んーっと」


 微かにニヤついている。実はこれ、センシティブな質問だったりする?


「いやほんと、すごいよ。二人とも料理上手だし美味しいよ。男子向きの料理っていうか、僕の好きな味付けだな」

「えへ」


 なんとか二人とも褒めてみた。気を使った答えみたいだけれど、実際どっちの妹が作った料理も美味しいんだよな。最近は特に味つけが僕の好みで、ついいっぱい食べてしまうのだ。


「いつもお姉ちゃんがお兄ちゃんの反応を見ながら、好みに合わせて味付けしてるんだよ」

「へー、そうだったんだ。確かに美味しくなった気がしてたんだ」

「でしょでしょ。私はそのレシピで作ってるだけなんだけどね」


 双子の妹の絵里萌が自慢げに説明すると、姉の恵梨香の方はちょっと恥ずかしそうな顔をした。でも口元がごにょごにょっと嬉しそうに動いている。


「ありがとうね、恵梨香」


 恵梨香の顔がぽっと赤くなった。なぜだかこっちまで恥ずかしくなってしまう。妹なのに。



 ◇



 ふと目が覚めると、少女が僕の右半身にもたれ掛かるように眠っていた。


 昨日の夢と同じく、というか恵梨香と同じく、束ねていない黒い髪が背中を覆うように流れている。深夜の微かな青い光の中で、その顔はやっぱり妹に見える。

 夕食の時の恵梨香の印象が頭に残っていたのか、夢にしてはやたらに鮮明だ。明晰夢ってやつなのかもしれない。右腕に掛かる重さまで現実みたいだ。


 少女の下で右手を動かしてみた。指先にやわらかい感触がある。これが妹の感触か。明晰夢凄すぎなのでは。いや、ていうか、


『実は夢じゃないのでは?』


 じゃあこれはなんだ。義理の妹の女子高生にベッドの中で抱きつかれているというこのシチュエーションに、何か合理的な説明があるのか。いや、ないよな。


 となると、幸雄の言う通り欲求不満で変な夢見てるのか?それなら何も妹じゃなくても。他の女の子とか?

 目を閉じてそんな事を考えていたら、美紀ちゃんの顔を思い出してしまった。中学校の頃の少し幼い美紀ちゃんの顔が僕の顔に近づいてきて……


 目を開けても少女は妹のままだった。まあ美紀ちゃんに夢に出てきて欲しいわけでもないしな。


 僕は目を瞑り、妹の感触を意識から追い出そうとする。


 もちろん僕はそんな事ができるほど器用ではない。抱きついてくる細い身体の柔らかい感触と、身体が重なる部分の体温が気になって仕方がない。


 夢なのに、全然寝付けない。



 ◇



「早くご飯食べて。おにいちゃん」

「うん、ごめん」

「絵里萌も早く準備して」

「あ、うん、お姉ちゃん」


 朝食の席には昨日と変わらず、華奢な美少女がそっくりの顔で並んでいる。恵梨香は昨日より楽しそうで、絵里萌は今日も眠そうだ。


『それにしても、なんだったんだろう?』


 本当に夢だったのか。まだ覚えている感触を思い出しつつ、制服姿の二人の妹の一つ一つの動きを、つい目で追いかけて見てしまう。


 妹をそんな目で見ちゃだめだ。


 そう思いつつ、僕は妹たちから視線を外すことが出来なかった。



~~~

絵里萌のイラストはこちら

https://kakuyomu.jp/users/yamamoriyamori/news/16817330667663935664

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