第9話

「お父さん。美憂」

 父が座ったのを見計らって声をかける。

「なんだ?」

「どうしたの?」

 父と美憂の目が、私に向けられる。疑うことを知らないその目から逃れるように、食べかけのトーストに目を落とす。

「あのさ……毎日病院に通うの、やめていいかな?」

「急にどうした?」

「どうしたってことはないけど……だって、看護師さんもちゃんと看てくれてるんだし、毎日行く必要ないんじゃないかなって思って……」

 もしかしたら昨日の出来事も、体調不良が見せた夢なのかもしれない。母が死ぬなんてそんなことあり得ないと思いたい。だけど、繰り返し見せられるあの光景が、ただの夢とはどうしても思えなかった。

「じゃあ、お姉ちゃんはしばらく休んでいいよ」

 ばっと顔を上げると、美憂が微笑んで私を見ていた。

「お姉ちゃんの代わりに、あたしが行く」

「えっ? でも、美憂は部活もあるのに……」

 母が入院してすぐ、美憂はずっと続けてきた陸上をやめると言った。代表選手にはなれなくても走るのが大好きな美憂が、母のためにやめると言った時、父と私は反対した。自分のために陸上をやめたと知ったら、母はきっと悲しむからと。

 顧問の先生に相談して、無理のない程度の参加を認めてもらい部活を続けることが出来ていたのに、病院に通うとなったら、それすらできなくなる。

「大丈夫大丈夫! ちょうど今日から試験前の部活停止期間に入ったから、帰るの早いんだ」

「試験前なら、勉強しないといけないでしょ!」

 そうでなくても、成績が下がってるんじゃないかと心配してるのに。

「勉強くらいどこでも出来るって。移動中の電車の中とか、夜にちゃんとするし……」

「ダメ! 睡眠時間を削って勉強するなんて、絶対ダメ!」

「でも……誰も会いに行かなかったら、お母さん寂しがるじゃん……」

 美憂が困ったように笑う。父も申し訳なさそうにうなだれている。

「ごめん。やっぱり、私が行く……」

「大丈夫? お姉ちゃん、しんどいんじゃないの?」

「大丈夫大丈夫! ちょっと、昨日の体調不良を引きずってただけだから」

 美憂にも父にも、任せることはできない。そんなの、母が倒れた直後から分かってた。毎日はやめようという提案すら、美憂は許してくれそうにない。それこそ、私が行かない日は部活を休んででも行きそうで、これ以上言うことができなかった。

「お姉ちゃん、無理しないでね。病院通いがしんどかったら、いつでも代わるよ! その代わり、家事も代わってね」

「そうね。家の事を美憂に任せっきりにしても、ダメよね」

「うん! お母さんのことも、お姉ちゃんに任せっきりになんてしないから!」

 美憂はいつも明るく笑ってくれる。母が倒れてからは、努めて明るく振る舞っているように見える。私も父も、美憂の明るさにいつも助けられていた。


 美憂が泣くことがなく1日を終えられるように、仕事中ずっと祈ってた。なのに……

「おか……さん……お母さん……」

 この夜、美憂はまた泣いていた。亡くなったばかりの母にすがりついて。

「どういうことだ!?」

 父はまた怒鳴ってる。主治医の先生に詰め寄って。

 この光景を見るのは何度目だろう。急変する時間に多少の違いはあっても、この光景はいつも変わらない。きっと今日の母の死も、明日にはなかったことになる。

 2人の声を聞きながら、意識が遠くなる時をじっと待った。

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