第7話

 美憂が買ってきてくれたお弁当で昼食を済ませると、美憂は嬉々として出掛けていった。その様子が私に気を遣っているのか、母に会えるのが本当に嬉しいのか分からない。少なくとも、母が目を覚ますことを微塵も疑っていないのは確かだ。

 静かな家に1人でいると、嫌でも夢のことを考えてしまう。夢なのに、詳細に思い出せる情景。現実の続きのような内容。

「私……昨日、何してた?」

 土日の病院は父と美憂に任せ、掃除などは私が担当する。掃除の途中で電話がかかってきたのが夢だとしたら、昨日の午後から夜まで、私は何をしていたのだろう。

 ぞくりと背筋が寒くなる。嫌な予感がする。このまま何事もなく、1日を終えられる気がしない。

「私、自分で思う以上に疲れが溜まってるんだ。きっとそのせいだ」

 そう思いながらも、寝る気にはなれなかった。眠ってしまったら、またあの悪夢を見そうな気がするから。

 見たくもないテレビをぼーっと見ながら時間を浪費していると、家の電話がけたたましい音をさせて鳴った。発信者を見ると、美憂の携帯からだった。

 正直、出たくない。でも、出ないわけにはいかない。出なければ、きっと今度はスマホが鳴るに決まってる。

「もしもし」

「お姉ちゃん」

 美憂は泣いていなかった。母の訃報を知らせる連絡じゃないことに、ほっと息をつく。

「お姉ちゃん、すぐに来て!」

 ほっとしたのも束の間、美憂の声はすごく焦っていた。

「何? どうしたの?」

「分かんない。看護師さんや先生がばたばた入ってきて、みんな慌ててて……」

 どくんどくんと、胸が嫌な音を立てる。胸の奥からドス黒い不安が広がってゆく。

「お姉ちゃん。お母さんに、何かあったのかな?」

「さ……さあ……」

 それだけ言うのが精一杯だった。

「お姉ちゃん、怖いよ……」

「…………」

『大丈夫』と言いたいのに、喉が詰まって声が出ない。だって私は、この後どうなるのか知っている。母が、美憂が、どうなるのか知っている。

「お姉ちゃん。病院に来て……」

 ——行きたくない。見たくない。怖くてたまらない。

 だけど「お姉ちゃん」と弱々しく私を呼ぶ美憂を突き放すことが出来なくて、絞り出すように「分かった」と返事をした。



 繰り返し見る度聞く度に、現実感がなくなっていく。今が夢なのか現実なのか、もう分からない。

 美憂は、私に電話した後すぐに父にも連絡したようで、父とは病院前で出くわした。病室に行きたくない私の気持ちに少しも気付かない父は、私に励ましの声をかけながら足早に歩いて行く。

 病室のドアを開けた途端、強い既視感に襲われ、同時に母はついさっき死んだのだと分かった。その後は、夢で見たのと全く同じ光景が繰り広げられた。

 ぼんやりと立っていると、啜り泣く美憂の声と父の怒声がだんだん遠くなっていき、目の前が暗くなっていく。

 ——ああ、もうすぐ目が覚めるんだ。

 遠くなっていく意識の中、私は確信した。また、母の死はなかったことになるんだ、と。

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