第4話 朴念仁

 父親が通っている病院は、家からバスで行けるところであった。

 さすがに、お見舞いに、会社の車で送ってもらうということができるわけもなく、次男の幸隆は免許は持っていたが、車の運転を普段することはないので、車を買うこともなかった。

 奥さんも

「あの人がそう言っているのなら、それでいい」

 と言っていた、

 今年、5歳になる娘がいるのだが、娘も、まだ車というものを意識していないようだった。

 幸隆という男は、好きなものに結構偏りがあった。学生時代などの友達は、車やバイク、ファッションなどに興味を示す人間が多く。まあ、それが普通なのだろうが、幸隆はまったく興味を示していなかったのだ。

 だから、学生時代に友達ができても、一人浮いているという感じが強かった。まわりは、避けることはしなかったが、幸隆自身が歩み寄りを見せないので、

「ただ、輪の中にいるだけ」

 という、目立たない存在だった。

 それでも、好きになったことには、三度の飯を食わずとも、熱中するというくらいになっていた。

 そんな幸隆は、自分でも、

「変わり者だ」

 と思っていた。

 というのは、考え方が偏っているところがあったからだ。

 潔癖症なところがあるくせに、あまり自分の部屋の掃除をすることはなかった。

 一つ言えることは、

「自分のお金で買ったものは、徹底的に大事にして、人に触らせることもしないが、買ってもらったものに、それほどの執着もない」

 と言えるだろう。

 だから、車にしても、学生の頃、免許を取った時、親から、

「車を買ってやろう」

 と言われた時、

「いや、いいよ。今は必要ない」

 といって、やんわりと断った。

 本当は、

「いずれ自分の金を出して、買いたいな」

 と思っていたのだったが、親から、

「買ってやろう」

 と言われた瞬間に、冷めた気分になったのだった。

 いわゆる、

「俺が今やろうと思っていた」

 ということを先に言われたり、されたりすると、無性に苛立つ性格だったのだ。

 特に子供の頃など、宿題をやらなかったりすると、

「宿題をしなさい」

 とよく母親から言われたものだった。

 だが本人は、

「今しようと思ったところなのに」

 というのだ。

 親はそれを、

「言い訳はいいから」

 といって、絶対に言い訳だとして疑わない。その考えが嫌だったのだ。

 確かに、完全に忘れていた時もあるが、ほとんどは、

「後からやろう」

 と思っていたのだ。

 確かに、親とすれば、その気持ちは分かるのかも知れない。何と言っても、自分が生んだ子供だからである。

 しかし、親とすれば、

「思ったのなら、その時しないと意味がない」

 と言いたいのだろう。

 いつまでも引き延ばしていれば、そのうちにやったのかしていないのかが分からなくなる。それが、

「困ったことだ」

 と思うのだった。

 それは学校の宿題であれば、それほど大きな問題にならないが、すでに、その頃には、

「将来は社長の保佐」

 という道が用意されているのだ。

 そんな人間が、言い訳がましいことであったり、後回しにしてしまうことで、好機を逸するような人間になってしまうのは、本人だけではなく、会社の未来に響くことであった。

「後継ぎは、長男に」

 ということが決まったのであれば、長男につける参謀としての、次男の役目も重要だといえるだろう。

 ただ、そんな次男であったが、そんなに激しい性格ではないことがありがたかった。

 次第に成長するにつれ、何でもすぐにやるようになったことで、親も一安心であった。

 ただ、それは次男が自分で考えてやっていることではなく、

「これが俺の運命なんだ」

 という諦めの境地からだったに違いない。

 というのも、次男の幸隆から見て。長男である勉は、

「とても、社長の器というわけにはいかないな」

 というような性格だった。

 いかにも次期社長の甘えのようなものがあり、まわりの友達も、

「次期社長」

 といって、兄をおだてているのだった。

 傍目から見ていて、

「こんな兄貴だと、会社の将来が不安だ」

 と考えるようになった。

 もし、兄がもっとしっかりしていれば、

「俺がしっかりしなくても大丈夫だ」

 というくらいに感じて、もっと中途半端な大人になっていたかも知れない。

 確かに、少し偏った性格である次男だったが、彼は、

「兄が会社の運命を危うくする」

 と感じたことで、

「俺は中途半端な立ち振る舞いはできないな」

 と思い、兜の緒を締めるのであった。

 幸隆は、弟として、兄を見ていて、

「兄がどういう性格なんだろうか?」

 と考えることが多くなっていた時期があった、

 あれはいつ頃だったのだろうか?

 今から思えば、思春期の頃だったような気がする。

 思春期の頃、つまりは、中学を卒業するくらいまでは、二人はいわゆる、

「朴念仁」

 であった。

 女の子からモテるということもないし、そもそも、女の子から見られるということもない。

 それは、まわりから見れば、

「気持ち悪い」

 と思われる何かがあったのではないかと考えられた。

 特に兄の勉はそうだった。

 実際にウワサとして、

「山中君のお兄さんの方は、いつも何を考えているか分からないところがありそうで、気持ち悪いわ」

 と言っているように、聞こえるのであった。

 だが、実際には、

「兄貴よりも、俺の方が、何を考えているのか分からないよな」

 と、幸隆は思っていた。

 女性に対して、

「朴念仁」

 のようになってしまったのは、あくまでも、

「俺は自分に自信がないので、自分に自信のない人間を好きになってくれる女なんかいるわけがない」

 と感じたからだった。

 「本当は自分に自信をもたなければいけない」

 と言われて育ってきたのに、実際には、自分に自信を持つことができない自分に、憤りを感じていた。

 下手をすると、

「このまま死んでしまいたい」

 というような、ネガティブに考えることもあり、実際に、リストカットを試みたこともあった。

 そもそも、自分に自信がないと思っている人間に、自殺などできるはずもなく、それ以上、自殺を考えることもなかった。

要するに、

「死ぬ勇気なんて、そう何度も持てるものではない」

 という考えに至ったからだった。

 そのわりに、女性の中には、

「何度も失敗したリストカットのためらい傷が手首に残っている」

 という女性がたくさんいると聞く。

「よくそんなに死ぬ勇気を持てるものだな」

 と思ったが、

「あれは、くせのようになっているんじゃないか?」

 という意見であった。

「死ぬ行為をすることで、少しでもまわりから注目を受けたいという考えから来ているんじゃないかと思うんだ」

 と高校時代の友達が言っていたのだが、

「どういうことだい?」

 と聞きたくなったのも当たり前のことだった。

 幸隆には、相手が考えていることの先を読む力が備わっていた。だから、彼が自分で言っていることが、矛盾に満ちているというころを分かって、わざと言っているということである。

「いやね。君も分かっているんじゃないかと思うんだけど、結局、本人が途中で気づくんだよ。リストカットをしても、注目なんか浴びることはできないんだってね」

 という。

「それは、一種のオオカミ少年的な考えからなのかい?」

 と聞くと、

「ああ、そうだよ。オオカミが来たといって毎回のように触れ回っても、一度も来ることがなければ、人間というのは、もうその人のいうことは信用しなくなるんだよ。その間に本当のオオカミがやってきて、皆食い殺されるのだとすれば、教訓は二つだよね? でも、一つだといってもいい」

 というと、

「その通りさ。あまり言い続けると誰も信用してくれないということ、つまり、主人公側の教訓、そして、今度は油断をしていると、本当にオオカミがやってきて、自分たちは食い殺されるという、まわりの人の教訓だね。つまりは、オオカミ少年の話というのは、どちらの立場も不幸にしかならない。最悪な結果しかもたらさないということになるんじゃないのかな?」

 というのだった。

「なるほど、確かにその通りだ」

 と、幸隆は納得した。

 この教訓は、どちらも、

「これから、参謀としての将来が待っている」

 という幸隆には、必要な教訓であることに間違いない。

 それは、今回の、

「世界駅なパンデミック」

 にも、言えることであった。

 どこかが、病原体となって流行り出した伝染病であったが、その話は、最初、

「またか、どうせすぐに収まる」

 と思っていたことだろう。

 十年くらい前に流行った、

「新型インフルエンザ」

 と言われるものも、実際に日本で流行することはなかった。

 確かに、

「流行り出すと危ない」

 ということで、会社などでは、

「事務所に入る時は、マスクは必須。手洗いうがいをして、手のアルコール消毒を行う。そして、毎日検温を行って、会社に報告する」

 ということが、過去にもあった。

 その時は、数か月でやめてしまったのを覚えている。何人か患者が認められはしたが、流行というところまではいかなかったのだ。

 もちろん、皆が、マスク、手洗い、アルコールを励行したから、流行しなかったのかも知れないが、少なくとも日本では大丈夫だった。

 海外では、結構ひどかったようで、

「そもそも、マスクなどの習慣のない国が多いのだからしょうがない」

 と言われたが、それも少しおかしなことであった。

「日本人だって、日ごろから、マスクをする習慣なんかない」

 というものである。

 冬になると、インフルエンザの流行から身を守るために、マスクをしている人は多い。学生など、インフルエンザの時期に、受験を控えていたりなどすると、せっかく成績がよくても、試験を受けられなければ、どうしようもない。予防接種を受けて、さらに、マスクなどで自分を守る努力をしないと、せっかく勉強しても、土俵にすら上がることができないのであれば、どうしようもない。

 だから、学生は神経質になるのだ。

 そもそも、学校が、注意喚起をしているのかも知れない。

「せっかく勉強しても、試験が受けられないで浪人ということになると、これほど悔しい思いはないだろう?」

 成績が悪いのであれば、諦めもつくが、

「受ければ、合格間違いなし」

 と言われていても、病気だったら仕方がない。

 しかも、相手はインフルエンザである。無理していけば、それこそ皆に移してしまうことになり、大惨事を招くことになる。

 下手をすると、

「インフルエンザだということを分かっていながら試験を受けに来たということになれば、いくら成績はパスしていても、不合格にされてしまう。これが大流行して社会問題になると、下手をすると、刑事事件に発展しかねない」

 と言えるだろう。

 警察に逮捕されるまでは行かなくても、もう社会的な信用や立場はなくなってしまう。

「病原菌をまき散らしい来た」

 ということで、その人の人生は、そこで大きく変わってしまうことになるだろう。

 今回の、

「世界的なパンデミック」

 は、本当に全世界で流行した。

 日本でも逃れられないものとなったのだが、それも、政府が最初の時に、

「水際対策をしっかりしておけば」

 最初の第一波はなかったかも知れない。

 とはいえ、鎖国状態のように誰も日本に入ってこないわけではない。鎖国の時であっても、貿易のために入ってくる人はいたのだ。

 過去の伝染病も確かに、鎖国の時代に、コレラが流行ったりしている。出島を中心に流行したのだろう。結局、水際対策を完璧にはできないのだが、少なくとも、

「大流行を食い止める」

 ということはできるかも知れない。

 兄である勉の性格が変わったのはいつのことだったか?

 そう、大学に入ってからだろうか? 高校生の頃までは、いつもネガティブに考えていた。

 特に受験を控えた三年生の頃は、ノイローゼ一歩手前という感じで、見るからに顔色は悪く、本当に、

「何を考えているのか分からない」

 という言葉が一番ぴったりだった。

 ただ、それは、もちろん、今に始まったことではない。

 女性に対して、朴念仁であった二人から、弟の幸隆の方は、早々に思春期を抜けると、それまでの朴念仁がウソだったかのように、女性とも不通に話ができるようになっていた。

 とは言っても、友達のように話すだけで、別に、

「モテている」

 というわけではなく、

「幸隆さんは話しやすい」

 ということで、女の子が、相談しやすかったりするのだ。

 それは、やはり、帝王学を学びながら、自分は、

「あくまでも参謀だ」

 というところに終始していることから、相手もガツガツしていない幸隆に新鮮さと安心感をイメージするのだろう。

 そして、話をしてみると、まさにその通りであり、特に控えめな女性が、幸隆の周りに集まってきた。

 派手好きな女で、相手を、

「富豪の、山中家の次男だ」

 と思って近寄ってくる女には、物足りなさがあるのだ。

 特に、

「肉食系女子」

 にとっては、

「私の肉体で、思い通りにさせよう」

 と思っているオンナに限って、肉体には自信があり、それを覆す態度をとられると、プライドが傷つけられる思いがするのだろう。

「プライドを傷つけられてまで、近づきたいとは思わない」

 と、ある意味、潔さのある相手である。

 だからこそ、幸隆は、

「それはそれで仕方のない。いや、その潔さに感銘を受けるくらいだ」

 と思うことだろう。

 だからと言って、今度は勉の方に食指を伸ばすと、もうそれ以前の問題だった。

 いつも何かに怯えているようで、最初は、

「慰めて差し上げよう」

 という下手に出る形で近づいたのだが、心を開いてくれようとはしない。

 本当は、勉の方は、自分のことだけで精一杯という感じで、それが、まだ思春期の続きであるとは、相手の女も分かっていないのだ。

 本人である勉の方も分かっていない。少し気持ちに余裕を持てば、スッキリと考えられるものを、それができないのは、

「自分のこと以外を少しでも考えてしまうと、その間に、何か悪い考えを持ったものに、自分の気持ちを支配されてしまう」

 というような、思いを抱いていたのだ。

 きっと心理学用語であれば、

「何とか症候群」

 というような言葉で当てはめられるようなものなのだろう。

 ただ、

「何とか症候群」

 と呼ばれるようなものは、大なり小なり、誰にでも存在しているような気がする。

 もっとも、症候群などという言葉で言い表すのだから、それだけ、たくさんの人の考えがそこに含まれているという証拠だろう。

 多数派でなければ、

「症候群」

 などという言葉を使うはずはないと思うからであった。

 高校生の頃までは、ずっとそんな状態が続いていたが、何とか、志望校に入学できた勉は、ホッと胸を撫で下ろした。

「よかった。まわりの期待に応えることができた」

 というのが本音だった。

 もちろん、志望校に入学することが、自分の人生のすべてに近い形で勉強をしてきたので、合格というのは、

「俺の人生を肯定されたような気がして、入学に対してそれが嬉しいんだ」

 というのが、勉としての、本当の気持ちだった。

 しかし、彼には、

「山中家の跡取り」

 という側面があり、合格は、

「既定路線」

 であり、当然のごとくだったのだ。

 そのせいで、すっかり精神をすり減らしてしまったが、これで、もう誰に気を遣うことなく、大学生活を楽しめるというものだった。

 気が付けば、それまで自分のまわりにいた女の子は、誰もいなくなっていた。

「それも仕方がないか」

 と思ったのは、それだけ自分のことで精いっぱいで、まわりからいなくなったことすら意識できないほどに追い詰められていたといってもいいだろう。

 しかも、勉の意識の外ではあったが、女たちが、勉本人を欲していたわけではなく、

「山中家の跡取り」

 という名前と、そして、リアルなところでの、金だったのだ。

 だが、これは、幸隆に対してとは違った意味で、

「プライドが許さない」

 という思いから、勉の前から消えていた。

 それは、

「この人はまったく私を見ていない」

 という意味からで、本人すら、意識が曖昧で、どうしようもない状態だったのだから、見ている方も、その鬱陶しさ、煩わしさが蔓延っていたのは、分かっていた。

 お金や地位だけを見ているオンナは、それでも耐えられたのか、結構粘ってはいたが、そんな女にカギって、一度嫌いになってしまうと、

「もう、顔も見るのも嫌だ」

 と思うようになるのだろう。

 だが、大学に入ると、その思いは払しょくされた。

「おっす」

「おはよう」

 という挨拶だけの友達がどれだけ増えるというのか。

 高校時代までは、皆、まわりは敵だと思っていた究極の孤独な精神状態とはまったく別者ではないか。

 高校時代が、

「こんな思いは、最高潮に来ているので、逆にいえば、これ以上の最悪なことはないだろう」

 と思っていたのだった。

 しかし、大学に入れば、挨拶だけの友達が、まるで湧いてくるようにたくさんできた。

「友達を作るのがこんなに楽しいなんて」

 と思ったのだが、それは、自分から作ろうとしなくても、勝手にできるということだった。

 楽をしたいというような意識ではなく、今までの想定をはるかに超えていることで、

「いかに大学生活が楽しいか?」

 ということが分かったのだ。

 それまで、朴念仁で、しかも、

「受験生の悲哀を、これでもかと身にまとった」

 と言えるような男だった勉は、まったく自分が違う人間に生まれ変わった気がした。

 しかし、実際にはそうではなく、

「これが、俺の本当の姿なんだ」

 と思うようになったのだ。

 しかし、それが、いい方に進めばいいのだが、見えてきた世界が違う世界であれば、言い方もあれば、悪い方も存在する。

 それが、勉の場合、悪い方に舵を切ってしまったようだった。

 そもそも、自分のことを、

「躁鬱症だ」

 と思っていた彼は、

「鬱状態の時は、きっと他の人と変わらない感じなんだろうな」

 と思っていたが、躁状態。つまり、ハイな時というのは、

「これこそ、皆同じなのに違いない」

 と感じ、その思いが、躁状態における自分の変化と感情に気づかず、当然悪い方に向かっているなどと、思ってもいなかったのだろう。

 大学時代において、たくさんの友達ができるのは、

「自分にとっての、ステータスだ」

 と思っていた。

 しかし、増やせば増やすほど、収拾がつかなくなってしまうことに気づいていなかったのだ。

 ことわざで、

「大は小を兼ねる」

 というのがあるが、これは必ずしも言い切れることではない。

 確かに大が小を兼ねることも多いが、

「大きすぎるがゆえに、収拾がつかない。あるいは、融通が利かない」

 ということも多かったのだ。

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