第5話 着実に準備は進んでいる
ブライス伯爵家には、二人の幼い魔女がいる。
エスティナ王国中でそう評判になって、すでに八年が経過した。
ブライス伯爵家令嬢アルマナとミリエットは十三歳になった。秋を迎えれば、十四歳になる。
夏草の薫風がエスティナ王国南部の丘陵地隊を駆け巡り、多くの行商人や巡礼の旅人が行き交う季節となり、ブライス伯爵領都にも大勢の人々がやってくる。
もとよりアルマナとミリエットの異能で、ブライス伯爵家はさまざまな恩恵を得ていた。アルマナの『未来視』によって先行投資は円滑に、作物の不作はあらかじめ察知でき、大きな事故は未然に防ぐことさえできる。さらにミリエットの『過去視』で犯罪者の足取りを洗い出し、記録や記憶と異なる点を探し出し、あらゆる証言の真贋を判別できる。
さらに双子の魔女姉妹は伯母からの高等教育を受け、地方官吏顔負けの知識と貴族令嬢として十分な教養を備えている。これ以上の教育を受けるためには『
ブライス伯爵領において、アルマナは政治に、ミリエットは司法に深く関与するようになり、その異能を存分に使っていた。
人々は口々にそれを褒め称える。
「ブライス伯爵家のお嬢様たちは本当に真面目で、領のために魔女の力を惜しみなく使ってくださる。できた娘たちを持って、伯爵閣下も鼻が高いだろう」
「今じゃ伯爵閣下もお二人を頼りにしているし、官吏たちの信頼も厚いと聞く。ずっとここにいてくださったらいいんだが、来年の終わりには王都へ行ってしまわれるんだよなぁ」
「本当、惜しいよな。しかも、伯爵夫人に似て揃って美人なんだから実に惜しい」
今日もブライス伯爵邸で、アメジストの髪飾りを付けたアルマナを呼び止める声が響く。
「アルマナお嬢様! モニカがお嬢様にご相談したいことがあると、お時間をいただけますか?」
名前を呼ばれて、もうすぐ十四歳になる金髪の少女は振り向く。
全身を明るいピンクでコーディネートされ、ケープも薄手のカーディガンもAラインのパネルスカートもまるで春の妖精のような雰囲気だ。足元は唯一濃色のパンプスだが、パネルスカートの飾り布には何重にも重ねたチュールレース素材がふんわりと使われている分、色を引き締めている。
どこからどう見ても良家の子女然としたアルマナは、長くなった巻き毛の金髪を揺らす。
私室から書斎に向かおうとしていたところ、廊下でメイド二人に声をかけられた。ちょうどタイミングを見計らって訪ねてきたのだろう、元気なメイドのカチュアと引っ込み思案なメイドのモニカ、いつも見かけるコンビだった。
「ええ、いいわ。どうぞ」
「ありがとうございます! ほら、モニカ」
「う、うん」
カチュアに背中を押され、モニカがおずおずと
「あの、今、気になる男性が」
「その男性は来年とある貴族の屋敷に馬丁として務めることになるから、告白するなら早めにしたほうがいいわ。そうすれば話し合いはたっぷりできるし、男性の母親もあなたの熱心さを見込んで後押ししてくれるはずよ」
すらすらと、まだモニカが詳細に語ってもいない片思いの相手についての恋愛アドバイスが、アルマナの口から溢れ出てくる。
アルマナの『未来視』をもってすれば、モニカの未来を少し垣間見るだけで十分にアドバイスができるほどの情報を得られる。モニカが幸せそうにしている未来はどれか、一瞬で選び取る——それはいいものの、いきなり己の未来が開陳されたことでモニカは驚き茫然としている。
「あっ、ありがとうございます?」
「疑問系じゃなくてちゃんとお礼する!」
「はっ、はい! お嬢様、ありがとうございました!」
「よくってよ、頑張って」
はい、と元気に返事して、カチュアとモニカは小走りで仕事場に戻っていく。
恋愛相談などいつものことだ。アルマナのアドバイスは的を射ているとブライス伯爵邸の女性使用人たちの間で大好評、ベテランメイドの家庭事情から新人メイドの恋の悩み、果てはこっそりと親族の縁談にアドバイスを求められることさえある。
もちろん、普段は易々と異能を使わないようブライス伯爵から戒められているが、アルマナとしてはそんなわけにはいかない。異能を強化するため、どんどん『未来視』を使う相談を引き受けている。それは、ミリエットにしても同じだ。
アルマナが書斎へ向かうと、先に入ってお茶の準備をしていた老執事のペトリールが恭しく一礼して出迎えた。細身ながらも頼り甲斐ある執事長だ、書斎机の椅子にアルマナを座らせると、いつもどおりシナモン香るミルクティーを差し出してきた。
ティーカップに角砂糖をころんと入れて、スプーンでかき混ぜながらアルマナはこう尋ねた。
「今日もミリエットの帰りは遅くなるのかしら」
「ええ、そうでございましょう。ミリエットお嬢様のお力で、あらゆる罪人の罪科を暴き、公正な裁きを受けさせることができるようになりました。伯爵閣下も殊の外お喜びです、
アルマナは我が事のように——実際、我が事だが——喜色を表す。
「ふふっ、ミリエットがそんなにすごいなんて、私も鼻が高いわ」
「ところで、アルマナお嬢様」
「何?」
「伯爵閣下に内緒で、手紙を出しておられましたね?」
ペトリールの詮索に、アルマナは無言でミルクティーを飲んで返答とした。肯定も否定もしない、その小狡さにペトリールがやれやれとお説教を始める。
「お気持ちは分かります。あまり伯爵閣下の名声が高まりすぎると……魔女であるお嬢様たちのお力頼みだと批判を浴び、よからぬ輩に妬まれましょう。ゆえに、アルマナお嬢様が独断で災害等に対処するため、各地の有力者へ指示を出しておられる。ときには援助まで」
そこまで知られていては、アルマナがどう返事しようが同じだっただろう。
ペトリールの言うとおり、アルマナはブライス伯爵名義で出す『未来視』による警告にはどうしても限りがあると知っていた。何から何まで警告していては、人々は危機にばかり瀕しているように感じて、不満を抱く。だからほどほどにしているのだが、それでも魔女としての名声が高まるにつれ、外野からの嫉妬は強まる。特に、矢面に立っているのは父のブライス伯爵だ。多忙極まりなく、その上でさらに心労を増やしてしまうと倒れかねない。
なので、アルマナは今後予想される災害や事故などに対処するよう、自己判断で各地の有力者へ時々手紙を出していた。放っておいてもかまわないような些細なことも多いが、やはりそれで困っている人々がいることも事実だ。『未来視』で『視』てしまった以上、アルマナは何もせずにはいられず、こっそりとつい口出ししてしまう。
アルマナは観念した。
「あなたの目は誤魔化せないわね、ペトリール」
「これでもお嬢様方がお生まれになる前より長く勤める執事長ですからな。次からは私を介していただければ、もっと露見せぬよう計らいますので」
「そうするわ。当面は大丈夫、心配しないで」
ペトリールは「左様ですか」と言ってあっさり引き下がる。アルマナが聞き分けのない子どもだなどと思う人間は少なくともブライス伯爵領内には存在しない、ミリエットに関しても同様だ。
ただ、ペトリールは心配していただけだ。何かあれば自分を頼るように、アルマナへそう念押ししているのだ。
アルマナはその気遣いに甘え——いや、協力者となってくれるよう、頼む。
「ペトリール、お願いがあるの」
「承知いたしました。私めがお役に立てるならば」
「まだ何も言っていないわ」
「聞かずとも、お嬢様方のためならば如何様にでも働きますとも。たとえそれが伯爵閣下の御耳には入れられないことであっても、お嬢様方の望むままに」
アルマナはペトリールの気遣いに、おそらく『未来視』を持つアルマナの頼みだからこそ、という信頼があるのだと知っている。未来が見えるアルマナが間違ったことをするはずがない、そういう盲目的ともいえる信奉もあるのだ。
それは少し、居心地が悪い気分だった。他人の選択を異能で制限しているかのようで、申し訳ない気持ちになる。生まれついての貴族令嬢ではあるが、どうにもアルマナもミリエットも誰かに命令するのは気が引ける性分だった。
——とはいえ、それでもやらなければならないのなら、やるだけだ。
アルマナはペトリールに、協力してほしい内容を話す。さすがにペトリールも驚きを隠せなかったようだが、自身に与えられた役割を承諾し、準備のために書斎を後にする。
ミリエットが帰ってくる夕刻すぎまで、アルマナは何度も己とミリエットへの『未来視』に専念していた。万一にでも失敗は許されない——前世の復讐のために。
日が暮れて、馬車がブライス伯爵邸へやってきた。領都の裁判所や警察で働いていたミリエットの帰宅だ。二人の距離が近づいたため、アルマナの脳内にはミリエットからの情報が伝えられる。
アルマナは、ぱたんと目の前の本を閉じ、立ち上がる。
「……ついに来たわ。この日が」
アルマナはエントランスへとミリエットを迎えに行った。出迎えのためメイドや使用人たちが居並ぶエントランスの最前列に、アルマナが位置取る。
玄関の大扉が開けられて、笑顔のミリエットが入ってくるなりアルマナに飛びついた。
「アルマナ!」
「おかえりなさい、ミリエット」
グレーの山高帽に、明るい水色の長丈ワンピースとカーディガンを羽織ったミリエットは、とんと木底のブーツで大理石の床を叩いて着地し、アルマナへ破顔する。
「いいことがあったわ! 一緒に来て!」
「ええ」
荷物を使用人たちに任せ、アルマナとミリエットは書斎に戻る。
内緒話をするなら、自室よりも防音の設備が整っている書斎のほうがいい。
書斎に着くまで待ちきれないアルマナは、ミリエットへ小声で確認する。
「今日、なのね?」
「そう、今日よ。ご多忙なお父様がやっと帰宅なさるこの日」
ミリエットは声を抑え、それでも心の底から湧く憎悪を滲ませて、こう言った。
「憎むべきやつらがやってくる。私たちは、やつらを潰すの」
まったくもって、アルマナも賛成だった。
今夜、復讐を敢行する。それはすでに定まった『未来』だった。
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