11:強者と弱者の境界線
「……若いな」
背後から迫った攻撃をぎりぎりで防いだ直後、相手を見極めようと距離を取ったグルナラが、最初に感じたのはそれだった。
物音がするまで全く接近に気が付かなかったことから、これまでの経験に照らし合わせて、彼は敵が老齢の熟練者だと想像していたのである。
しかし実際はどうだ?
相手はつい最近になって初陣を迎えたような少年ではないか。
(気負いが全く無いな。戦場に馴染みすぎている……、まるで人形でも相手にしているようだ)
別にユウぐらいの年齢で初陣を経験する者が珍しいわけでもないが、しかし戦士としての力量はまた別の話だ。
まだ十代で命の奪い合いに慣れてしまっている者など、そうそう出会えるものではない。
グルナラは槍のリーチを活かして、ユウの剣が届かない位置から牽制の攻撃を仕掛けた。
全力ではないとはいえ、一般的な感覚で言えば十分に速い。
「ふっ!」
奇妙なほど甲高い音が戦場に響いた。
ユウは大きく息を吐くと、槍を剣で受けてギリギリで受け流した。
だがタイミングとしてはギリギリで、そこには全く余裕が見られない。
どうやら早々に息も上がり始めたようだし、普通に考えれば”狩り時”である。
しかしそこにまるで逃げや怯えの感情が見当たらないことが、逆にグルナラの警戒心を煽った。
(変わった剣だが……、不自然に硬い)
この段階になって、グルナラは打ち合った際の感触が予想と違うことに気が付いた。
ガラスのように透明な刃。
その外見からはもっと割れやすいか、あるいは弾力性があると想像したのだが、実際には逆だ。
金属製の剣よりも折れる気配が無く、まるで金剛石のように硬質。
グルナラは冷静にユウの全身を観察した。
(他の装備に比べて、剣の質だけが明らかに違う。なけなしの財産を注ぎ込んで手に入れたというところか?)
それ相応の経験がある者でなければ、わからないかもしれない。
だが、剣としての性能が一般的な水準から大きく上に乖離していることだけは確かだと思えた。
特殊能力の類は付加されてなさそうだが、むしろ不要と割り切って積極的に切り捨てたようにも見える。
グルナラはこれまでの経験から、使用者の魔力や精神状態を反映して強化されるタイプの武器ではないかと推測した。
(確かに美しい剣だが……。その金で戦場を離れれば良いものを)
良質な装備を使っているという点では先程孤立させてきたエイジやヒデオ達も同じなのだが、どうも戦場に対する視線の種類が違うように思えてならない。
彼らが遊びの延長線上に近い感覚で戦場を見ているのだとするのなら、ユウは殺し合いを日常生活の一部として認識している、……そんな感覚だ。
いや、むしろ……。
「お前も、それしか知らないのか?」
「……?」
ユウとは初対面、事前に彼の情報を持っていたわけでもないグルナラは、そう結論づけた。
幼少の頃から戦場で育った子供に見られる傾向だ。
彼らは戦いも殺し合いもない人生というものを想像することが出来ない。
まるでそこにしか生きる場所がないと言わんばかりに、自分から戦場へと向かってしまう。
そして彼らの大半は、ユウぐらいの年齢に達することが出来ずに”終わる”。
平穏も愛情も知らないままの人生、苦痛で終わる生涯。
(だが……)
今は敵同士。
哀れみの感情は不要。
「せめて……、一撃で楽にしてやろう!」
青い光が戦場を駆け抜ける。
結論を出したグルナラはフェイントを幾つか挟んで残像を残しながら、ユウの背後に迫った。
これまでとはまるで違う水準の速度。
先程までの攻撃すら防ぐのがやっとでは、とても対応できるものではない。
(取った!)
だが仕留めたと思ったグルナラの予想は再び外れ、今度もまた振り向いたユウに間一髪で受け流されてしまった。
「――!」
それは純粋な驚きだった。
(どうなっている……?!)
更に追撃を仕掛けるグルナラ。
青い光がユウの周囲を飛び回り、その肉を切り裂いていく。
「はぁっ! はぁっ!」
血飛沫が宙を舞う。
責めるグルナラ、耐えるユウ。
(仕留めきれん……!)
攻撃は当たっている。
そう、当たってはいるのだ。
グルナラの三叉の槍は、敵であるユウの肉を何度も捉えている。
しかし、急所を狙った攻撃だけはことごとく狙いを外され、致命傷に至らない。
ユウは既に体中に切り傷を作り、呼吸もこれ以上無いというほど荒くしているというのに、しかしグルナラはそれでも止めを刺すことが出来なかった。
異常事態。
それ相応の経験を持つ彼も、何が起こっているのかを理解できず、流石に焦りの色を浮かべた。
(本気の攻撃を止められたのは【大猫の騎士】以来……。だが奴ほど速くもなければ強くもないとなると……)
「わけがわからんな」
強い敵となら戦ったことはある。
しかしここまで手の内を掴みきれない相手は初めてだ。
自分自身は未だ全くの無傷だというのに、どういうわけか自分の方が逆に追い込まれているような気分にすらなってくるではないか。
「……ん? お前、まさか……」
弱いはずなのに殺せない、遅いはずなのにこちらの攻撃に追いついてくる。
老練さを垣間見せつつも実際の年齢は若く、装備は武器だけが極端に洗練された一品。
他に類似例の見当たらない、極端なアンバランス。
それはいったい何に起因するのかと考えた時、グルナラは”ある事実”に気が付いた。
★
「……んん?」
空から前衛部隊を蹂躙していた【天空竜】ド=ナシュ=ラク。
彼は自分の敵の中に強者がいないことを理解すると、眼下の敵と戦いつつも横目で後衛部隊と戦うグルナラの様子を見ていた。
正確にはユウとグルナラの戦いを、である。
そして第三者の視点から観察していた彼が”そのこと”に気が付いたのは、グルナラよりも少しだけ早かった。
「ほう……」
興味深そうにユウを見るド=ナシュ=ラク。
一見すれば、超高速で動くグルナラが圧倒しているようにも見える。
しかし足を止めたままであるはずの相手を倒しきれないとなると、話は別だ。
(身体能力が他の人間達よりも低いのはまず確実。となると、何かしら強力な力が働いているのか?)
強い。
それが率直な彼の感想だ。
あの少年自身というよりも、おそらくは背後から力を貸しているであろう”何者か”が。
味方贔屓というわけではないが、【権能】プラズマアヴェニューを発動したグルナラを止めるとなれば相当なものである。
「くるぞ! ブレスだ!」
上を見上げていた兵の一人が叫んだ。
ド=ナシュ=ラクは戦友の所へと向かおうと、地面に向かって火炎の息を吐いた。
高熱が大地に降り注ぎ、周囲を覆い尽くしていく。
「うわああああ!」
「熱い! 熱い!」
強者に対しては次の一手を隠す好機を与えるだけの攻撃も、一般の兵達にとっては死をもたらす恐怖でしかない。
平地であるが故に隠れられるような場所もなく、男達は火だるまになって転げ回った。
鎧袖一触。
この世界において、”壊滅”とは組織的な行動が出来なくなった状態を指し、”全滅”とは全員が戦闘不能になった場合を言う。
これまでの攻撃で既に”壊滅”状態となっていたニアクス軍の前衛部隊は、このブレスによってついに”全滅”した。
「ふん! 他愛の無い!」
眼下を一瞥し、体をうねらせて【青鬼】の方向へと動き出す【天空竜】。
彼は終わった戦いに興味は無いとばかりに、ユウ達のいる戦場へと一気に肉薄した。
「おい! あの竜がこっち来るぞ!」
「そんな!」
慌てたのは、ユウとグルナラの高速戦闘に入り込めずに見守っていた周囲である。
ユウの戦いを固唾を飲んで見守るサキと、異世界勇者の付き人の予想外の活躍に戸惑う兵達。そのどちらもが、前衛部隊を全滅させた竜の接近に気がついて恐怖した。
ユウはどう見ても青い悪魔で手一杯、更にあの竜まで止められる気配はないからだ。
「迎撃だ! 迎撃しろ!」
護衛のいなくなった指揮官が叫ぶ。
彼とて、これであの竜を止められるとは思っていない。
しかし、ここで時間を稼ぐ以外に勝機が見当たらないのもまた事実だった。
間違っても白旗で助けて貰えるような空気ではない。
「させない! ブロークンファントム!」
余裕のないユウにこれ以上の敵を近づけさせまいと、サキが再び風の砲弾を放った。
先程の攻撃で効果が無いことはわかっているが、しかし彼女がこの距離から使える魔法の中に、これ以上の威力を持つものはない。
(近づければイグニッションが使えるのに!)
嘆いても状況は変わらない。
サキは近づいてくる【天空竜】に向かって、手当たり次第に魔法を射ち始めた。
「俺達も続け!」
更に他の兵達も弓や魔法で攻撃を始めた。
号令を掛けた指揮官自身も、氷の矢で敵の目を狙っている。
「ふん! 腑抜けな人間共がぁっ!」
予想できた展開。
サキ達の攻撃を一切問題にすることなく、ド=ナシュ=ラクはついに上空まで到達した。
「グルナラ!」
「ド=ナシュ=ラク! 向こうは終わったのか?!」
グルナラはユウから少し距離を取って睨み合いに持ち込むと、先程までド=ナシュ=ラクがいた場所の状況を確認した。
「そいつ、さっきからおかしな動きをしているぞ! 迂闊に近づくな!」
「ああ……、わかっている。やはりそうだったか」
ド=ナシュ=ラクが言っているのはもちろんユウのことである。
そしてその言葉で、自分の考えが正しいことを確信したグルナラ。
彼はこの時点になってようやく、まだ相手の名前を知らないことに気が付いた。
これだけの戦士なのだ。
結果がどうであれ、名乗りぐらいはしておきたい衝動を抑えられない。
「我が名はグルナラ。若き戦士よ、お前の名は?」
「……ユウ、トオタケ。」
ユウは肩で大きく息をしながら、それに答えた。
借り物の名前を口にすることに、若干の後ろめたさを感じながら。
「ユウ=トオタケか、覚えておこう。ド=ナシュ=ラク! 時間はもう十分稼いだ、俺達も下がるぞ!」
「おう!」
ド=ナシュ=ラクは高度を下げてグルナラを拾い上げると、身を翻して魔族達が退却していった方向へと飛んでいった。
「……え?」
「助かった……?」
戦いが突然終わったことに戸惑う兵達。
「俺の名前、か……。」
去っていく敵の後ろ姿を見ながら、ユウは相手に名乗ったことを少し後悔していた。
ユウ=トオタケというのは、自分が異世界勇者である遠武優のコピーだとまだ知らなかった頃に使い始めた名前だ。
果たしてこれで良かったのだろうか?
あの青い悪魔は、オリジナルの方ではなく、コピーである自分の名前を知りたがっていたはずだというのに。
「……あれ?」
その時、ユウは自分の視界がぼやけ始めたことに気が付いた。
致命傷こそ貰っていないとはいえ、体中切り傷だらけで出血もかなりしている上に、体力も限界だ。
酸欠の影響なのか、次第に視界がブラックアウトしていき、足元も感触がなくなってきた。
「ユウさん!」
そして自分の名を呼ぶサキの声を遠くに感じながら、ユウは意識を失った。
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