10:勇気と無謀

「ブロークンファントム!」


 正式名称スパイラルウインド。

 回転する風の弾丸を放つ特殊魔法だ。


 正式形にせよ、省略形にせよ、肝心の魔法名だけは正確に呼称しなければ発動しないはずなのだが、サキはどういうわけか全然違う名前を叫んでそれを放った。

 しかし発動した魔法は間違いなくスパイラルウインドである。


「おお! なんて威力だ!」


 ニアクス陣営から歓声が上がった。

 スパイラルウインドそのものは並の魔法使いでも扱える魔法だが、しかし異世界勇者であるサキのそれは威力が段違いだ。


 仲間の魔法使い達がスパイラルウインドを使う場面を幾度となく見ているはずだというのに、しかしそれでも彼らはサキの魔法が”ブロークンファントム”なる初見の魔法だと認識した。


「ふふん!」

(讃えて! 相川さんをもっと讃えてぇ―!)


 真顔のまま耳を大きくして、味方の驚嘆の声を片っ端から拾い上げるサキ。

 得意げな笑みが今にも溢れ出しそうである。


 そんな一人だけ場違い感全開となっている彼女の内面を余所に、空間が歪んで見えるほどの圧倒的な密度の風が、空から迫る黄金の竜へと向かっていく。

 まるで味方の放った魔法や矢を引き連れているかのようだ。


 着弾。

 無数の轟音と共に天空竜が煙に包まれた。


「やったか?!」


 爆炎と爆煙が空に広がった。

 これが人間同士の戦争ならば、壊滅は免れないだろう。


 それぐらいの威力が攻撃が直撃したことで、兵達の脳裏を楽観的な未来が過った。

 サキの鼻息も荒い。 


(ふっふっふ、これで相川さんの華麗なる伝説が一つ増えてしまいましたねぇー。明日の新聞は一面飾っちゃいますよぉ―! 参ったなぁー!)


 もう完全に勝った気になっている。

 が――。


「温いわ!」 


 煙はあっさりと払われた。


 長い胴体が煙を突き抜け、【天空竜】ド=ナシュ=ラクが傷一つない健在な姿を見せつけた。

 その勢いを一切緩めることなく、一直線に向かってくる。


「えぇっ!? うそぉ!」


 思わず声を上げたサキと、動揺するニアクス軍。

 まだ敵からは攻撃されていないというのに、異世界勇者の攻撃が全く通用しないという事実が、彼らを心理的に攻め立てた。


「ふん! 仕掛けておいて士気を下げるとはな!」


 竜が鼻で笑う。


「侮るなよド=ナシュ=ラク。少なくとも油断出来ない奴が一人混じっている」


「わかっているとも! お前こそ死ぬなよグルナラ!」


「それは結果が決めることだ。 行くぞ、プラズマアヴェニュー!」


 天より迫る黄金の竜から、青い悪魔が飛び降りた。  

 その体に再び青いオーラを纏い、そのまま軌道を修正することもなく敵陣へと向かっていく。


「来るぞ! 下がってろサキ!」


「――へっ? ユウさん?!」


 威力が足りないならば近づいて勇者専用魔法ブレイブイグニッションを使うか、などと考え始めたサキを制し、ユウが前に出た。

 その右手には既に水の剣が抜き身で握られている。


 ユウは空から迫る敵を睨んだ。

 促されるように、日光に照らされた白銀の柄と透明な刃が冷静に輝く。


(この角度……。このままだと、あの青いやつは味方の後衛部隊ど真ん中に落ちてくるはずだ。同士討ちになるから、弓も魔法も迂闊に使えなくなる。飛び道具が使えない後衛なんて、ただの的だぞ……!)


 ユウの視線の先にいるのはグルナラだ。

 さらにその奥では竜が身を翻し、前衛部隊へと進路を変えて急降下を始めていた。

 

 飛び道具を持たない前衛部隊では、いつでも空中に退避できるド=ナシュ=ラクと相性が悪い。

 一見すれば二人だけの強引な突撃のようでも、それなりに考えているわけだ。


(どうする?!)


 ユウとサキがいるのは後衛部隊の左翼。

 ここからでは、【天空竜】と【青鬼】、そのどちらのファーストコンタクトにも間に合わない。

 

 そして一瞬の思考の後、ユウは降りてくる【青鬼】に向かって走り出した。


★ 


「何をやっている! 青い奴を迎撃しろ、無防備だぞ!」


 ニアクス軍の指揮官から檄が飛ぶ。

 こういう少数の強者を迎え撃つ戦いは初めてとはいえ、彼も伊達に職業軍人をやっているわけではないらしく、この状況でもまだ冷静さを保っていた。


「撃て撃て! 撃ちまくれ!」


 天空竜に対して迎撃の手段を持たない前衛部隊に対し、魔法使いや弓兵で構成される後衛部隊は上空から迫るグルナラへの迎撃手段を有している。

 視覚的な威圧感では【青鬼】の方が落ちることもあって、彼らは一斉に攻撃を開始した。


「……駄目だ。」


「え? どうしてですか?」


 ユウは走りながら冷静に敵の戦力を分析した。

 しかし横を走るサキにはそれがわからない。


 そんな二人の視線の先では、重心と空気抵抗を変化させて対空攻撃を潜り抜けたグルナラがついに地上へと到達した。

 位置はユウの読み通り、後衛部隊のど真ん中である。


「着地の瞬間を狙え!」 


「俺の着地直後の硬直を狙う気か。さっきの連中よりは冷静だな」


 ニアクスの兵達に対し、グルナラは少し感心した。

 この時代に復活してから出会った中では、一番組織的な行動が出来ている。


 個々の強さに関しては先程戦った伝説勇者達の方が間違いなく上だったが、しかし彼はそういう類の人種は好きになれなかった。

 創意工夫を重ねて自分以上の高さの壁に挑む方が、よほど戦士らしいと思えるからだ。


 しかし、残念ながら今は敵同士。

 手加減をするような仲ではない。


「ふんっ!」

 

 着地と同時に、グルナラは大地を蹴った。

 自分に向けて殺到する矢と魔法の下を潜り抜け、一気に敵の間を駆ける。


 青色の光と雷が地面を走り、肉が斬られる音の終わりと始まりが重なった。

 三叉槍が新たな血を吸って深紅に輝く。


「なっ――!」


「嘘だろ……?!」


 肉眼では捉えきれない速度で移動した敵と、一瞬で斬られて倒れた味方達が数十人。

 それを見た他の者達は絶句した。


 感覚的な意味で時間が止まる。


 目の前で示された、圧倒的な力量差。

 先程、伝説勇者達を失ったノワルア軍がそうであったように、彼らもまた一気に戦意を喪失した。

 

 唖然として固まる者、腰を抜かして震え始めた者、その反応は様々だ。

 しかしその認識だけは共通している。


 ――勝ち目はない!


「……逃げろ。……逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぶっ――!」


「誰も逃がさんよ」


 ここから逃げ出そうと背を向けて走り出した一人。

 グルナラは一瞬でその背後に迫ると、抉りこむようにして槍を突き刺した。


 呆気ない絶命。

 それと同時に、再び周囲の時間が流れ始める。  

 

「ぎゃあああああああ!」


「うわぁぁぁぁぁ!」


 阿鼻叫喚。


 ここは正にそう表現するべき場面だろう。

 三叉の槍で斬りつけ、貫き、【青鬼】が魔法兵と弓兵を片っ端から屠っていく。


 もはや同士討ちを気にしている場合ではないと反撃を試みた者もいたのだが、即座に軌道を見切られてしまい当たらない。

 代わりとばかりに味方に当たり、逆に犠牲者を増やしただけだ。


「前衛の一部をこちらに戻せ! 代わりに魔法隊を向こうへ行かせろ! 撤退の機会を作るんだ!」


「無理です! 向こうもあの竜にやられてそれどころじゃありません!」


 指揮官の大声に対して、副官が更なる大声で返した。

 彼の指の先では、騎兵と歩兵で構成された前衛部隊が赤い光を纏った【天空竜】ド=ナシュ=ラクに蹂躙されている真っ最中だ。 


「ええい……! ならば護衛隊! 私の周辺は放棄してあれの対応に当たれ!」


 繰り広げられる殺戮劇。

 指揮官は周囲の騎士達に対し、青い魔族に向かうように指示を出した。


 ここまでグルナラに殺されているのは魔法兵と弓兵のみ。

 後衛部隊なのでその二者で構成されているのは当然だが、しかしそれが彼らに一つの希望を残していた。


 ――まともに近接戦闘が出来る者なら、あるいはなんとかなるかもしれない。


 しかし現状でそれが可能な者は限られている。


「そう言われてもね……」


「流石にあんな化け物の相手はキツイぜ……」


 冷めた見方をすれば、命が惜しくなった指揮官に厄介事を押し付けられたようにも見れる。

 しかし口では悲観的な言葉を吐きながらも、護衛隊の騎士十人余りは真っすぐに敵の方向を見ながら剣を抜いた。


 彼らもわかっている。


 護衛を失った指揮官など、殺すのはそう難しくない。

 指揮系統の混乱を狙って優先的に狙われる可能性が高まるのだから、護衛を外した時点で彼も自分の命を危険に晒しているのだ。


 託された。

 護衛隊の男達は指揮官の命令をそう理解した。


「わかってるな、お前ら! 同士討ちでもいい、絶対に止めるぞ!」


「おお!」


 敵は遥か格上。

 そう、それは既に十分わかっている。


 だが彼らは現状を打破すべく、玉砕覚悟で突っ込んだ。

 胸の中で勇気と恐怖がせめぎ合う。

 

「そういうのは相手に聞こえないように言うものだ」


 彼らの叫びはグルナラの耳にも届いていた。

 戦場を知る者ならば、死兵はもっとも警戒が必要な相手であることを誰もが知っている。


 そう、”自分を捨て石にすることを厭わない敵”が如何に厄介であるかを。

 

「だが、そうそう首はやらんぞ?」


 一人を取り囲んで攻撃するのに、同時に十人以上は多すぎる。

 グルナラは冷静にその動きを観察すると、攻める位置にいなかった数人の騎士を瞬時に仕留めた。


(全部で十二。残りは九) 


 疾走する青い光が他の騎士達にも襲い掛かる。


「くそ!」 


 残り七……。


 残り三……。


 想いだけでは希望は叶わない。

 捉えきれない速度で襲い掛かってくる刃の前に、一般兵の中では精鋭とされる彼らもまた抗うことは出来なかった。


「せめて……、一太刀!」


 最後の一人が、決め打ちで剣を突き出す。

 自分に出せる全力の一撃。


 腕を振り切るのと同時に、男の腹部を紅の槍が貫いた。

 ……しかし手応えは無い。


「惜しかったな」


 相打ち狙いの攻撃。

 首を狙ったそれは完全に見切られ、首を曲げたグルナラに指一本ほどの距離で避けられていた。 


「ごふっ……! かすり傷の一つも……、無理か……」


 口からの大量の血を吐き出し、槍を抜かれ支えを失ってその場に倒れた。


 ニアクス王国の騎士、十二人。

 凡人代表ともいえる男達は、何の戦果もなく散った。


「もう……」 

 

 指揮官は奥歯を噛み締めた。


 もうこれ以上、青い悪魔に対抗できるような戦力はない。

 同じことを考えたのか、周囲にも絶望が広がっていくのがわかる。


(魔族に降伏は通用するのか? 私の首一つで見逃してくれれば良いが……)


 そんなことを考え始めた直後、彼は人々の隙間を縫うようにして誰かが【青鬼】の背後に近づいていくのに気が付いた。

 手に剣を持っているということは仕掛ける気だろう。


(誰だ? 傭兵は雇っていないはずだぞ?)


 その格好は、明らかにニアクス軍の兵士ではない。

 お世辞にも高価とは言えない地味な鎧、叩けば簡単に割れそうな透明な刃の剣。


 指揮官には思い当たる人物がいなかった。


(待てよ……、確か……!)


 ――そうだ、いた。


「――!」


 まるで悪夢からの目覚めを誘うかのように、甲高い音が戦場に響いた。

 背後からの攻撃に直前で気が付いたグルナラは、ぎりぎりで透明な刃を受け止めていた。

 その目はようやく見つけた敵を真っすぐに捉えている。


「この軍の切り札はお前だな?」


「……。」


 この戦場でずっと感じていた、強者の存在感。

 青鬼の瞳が、ついにその正体を捉えた。

 

「ユウさん!」


 少し離れた場所から、後を追ってきた少女がその名を呼ぶ。


 ユウ=トオタケ。

 他人の系譜から生まれた少年が、再びその牙を剥いた。

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