12:異世界おっさん

 殺戮の嵐が過ぎ去った後、ニアクス軍の兵達は戦死した仲間の遺体を処理していた。

 

「ひでぇもんだ……」


「ああ……」


 生き残った男達は、皆一様に溜息をついた。

 【天空竜】に蹂躙された前衛部隊の中に、五体満足で死ねた者は一人もいなかったからだ。


 剣のような鱗に引き裂かれ、圧倒的な力で押しつぶされ、そして超高温で燃やされている。体が欠損しているか、潰れているか、あるいは黒焦げのどれかだ。


 この遺体達と対面した遺族は、いったいどんな反応をするだろうか?


 天災。

 

 そう形容するに相応しい惨状だった。


「これに比べればマシ……、ってのは慰めになるのかね?」


「どうだかな……」


 【青鬼】と戦った後衛部隊も、相当な被害が出ている。

 だが黒焦げや挽肉になっていないだけ、遺族が受けるショックはまだ小さくて済むだろう。


「しっかし、今回はあいつのおかげで命拾いしたな。あの青いのをよく止めてくれたぜ」


「まったくだ。異世界勇者様の付き人ってのも、案外馬鹿に出来なかったな」


 男達の視線の先では、意識を失ったままのユウがサキに膝枕をされていた。

 異世界勇者という高貴な地位を保証されていながらも身分の低い者の身を案ずる、心優しい美少女の構図である。


「いいなぁ……。サキ=アイカワ様。お高く止まってないし、かわいいよな。俺も膝枕されたいぜ」


「だよな? いいよな? 高嶺の花だけど、後少しで手が届きそうなこの感じ。真面目で可憐っていうか、凛としてるっていうか」


 彼らは明日に死ぬかもしれない世界で生きている。

 だから明るい話題がある時は、その話をするのがマナーというやつだ。


 死んだ戦友達だって、みんなが笑って生きていけるようにと命を掛けたのだから。

 ここで泣いては本末転倒、彼らが良く戦ったからこそ自分達はこうして生きていられる。


 例え嘘でも建前でも、そう言い張らなければならない。

 ……それがこの世界のマナーだ。


「なあ、あの二人って、やっぱりそういう感じだったりするのかな?」


「身分の違いの恋かぁ……。俺も密かに狙ってたんだけどなぁ……」


 彼女のいない男達がそんな会話をしていても、サキの表情は変わらない。

 まだ目を覚まさないユウの様子を見ながら、心配そうにしている。


 ……はたして、サキの耳が僅かに動いていることに気が付いた者はいるだろうか?


(ふっふっふ! 順調に外堀が埋まってきましたねぇー!)


 サキの脳内では、もう一人のサキが鼻息荒く興奮していた。


(そして相川さんの膝枕! 目覚めたユウさんに相川さんの生太ももが炸裂しちゃいますよぉ―! 外と内から同時に攻めるなんて、相川さんってば策士ぃー!)


 黙っていれば美少女なのである。

 ……黙っていれば。


(相川さんの魅力に気が付いたユウさんは、傷ついた心を体で埋め合わせるために寝ている相川さんを……、ぐへ、ぐへへへ。いける! 今夜はいけちゃいますよコレはぁー!)


 サキの本体は、真顔のままで鼻息だけを荒くした。

 彼女と殆ど会話もしたことのない者であれば、これでもまだ真面目で可憐、そして凛々しい異世界勇者様に見えるに違いない。


 ……あ、口からよだれが垂れてきた。


「ん……。」


 サキがはしゃいだからなのか、ユウが目を覚ました。

 上を向いたユウの視線と、見下ろすサキの視線が交わる。 


「だるい……。」


 魔法で傷を治すことは出来ても、疲労を回復させることは出来ない。 

 ユウは少し恥ずかしそうに目線を逸らした。 

 

 真顔の美少女に見つめられていることを意識したせいか、僅かに顔が赤い。

 それを見たサキに自信と確信がみなぎった。 


(ふっ! 落ちましたね! よーし! それじゃあまずは熱いキスからいきましょうか!)


 サキの唇はとっくに準備万端だ。

 そりゃあもう、映画スター並みのキスシーンを周囲にお見せする気満々である。


「ああ、寝てて悪かったな。俺もあっちを手伝ってくるよ。」


 ……が、ユウは起き上がると、遺体の処理を手伝おうと歩き始めた。

 作業をしていないのは異世界勇者パーティだけだったので、ユウ本人としては一応空気を読んだつもりである。


 サキはもちろん、エイジやヒデオ達のパーティも全員が勇者なので文句は言われないのかもしれないが、ユウだけは平民だ。

 何かやることは無いかと、近くの兵士に聞きに向かった。


(……)


(……)


(……あっれぇー?)


 唇の準備を整えていたサキは、本体も脳内のもう一人も、一緒に首を傾げた。


 彼女的には、ここで愛の告白とかされていて然るべきタイミングである。

 予定では、狼さんとかお猿さんと化してしまったユウが、我慢できずに襲ってくるはずだ。


「待ってください!」


 慌てて立ち上がり、ユウを追いかけるサキ。

 彼女はユウのおでこに手を当てた。


「ユウさん、大丈夫ですか? 頭打ったりしてません? 私の指、何本に見えますか? ほらほらっ!」


「え? いや、三本。……だよな?」


 ユウは意味がわからず、真っ正直に答えた。


「え、じゃあどこが悪いんだろ?」 


 ユウがどこか悪いのは確定事項としてオロオロするサキ。

 つまりあれだ、彼女はユウが正気を失っているせいで自分を襲って来ないのだと思っているわけだ。


 もしもユウが正常なら、今頃は男と女が口では言えないようなことをして良い汗をかいているはずだと、つまりそう言いたいわけだ、このポンコツ異世界勇者様は。


 ……大した自信である。


 しかも周囲にはこれでも「平民を気遣う、優しい異世界勇者様」に見えているのだから恐ろしい。

 確かに、本気でユウのことを心配しているのは事実ではあるが……。


「なんかよくわからんけど、なんとなくわかった気がするぞ……。」


 ……ユウもようやく察した。



 それは宿での夕食後のことである。


「今夜、部屋の鍵開けておきますから」


「……え?」 


「ユウさんが来てくれないと、他の誰かに入られちゃうかも」


 戦死した者達の処理を終え、その日はゲーマルクの街で宿を取ったユウとサキ。

 そして夕食後に部屋に戻る際のやり取りがコレだ。


 二人の部屋は隣同士。

 そして互いに一人部屋。


 男のユウはまだしも、年頃の少女が鍵無しの部屋で夜を過ごすというのは不用心が過ぎる。

 ……が、しかしである。


(決まったぁぁぁぁぁ! 相川さんの誘惑がユウさんに炸裂しちゃいましたよぉー!)


 自分の部屋に戻ったサキは、ドヤ顔で鼻息を荒くした。


(相川さんを奪われたくないユウさんは部屋に来て、そして無防備な相川さんを……。完璧! 完璧過ぎる作戦ですよぉー! ぐへへへへ!)


 黙っていれば美少女の口から、よだれが垂れる。

 なんと言うかもう、本当に残念以外の表現が無い。


 いったい、何をどうすればこんなに残念な子になってしまうのか。


(よーし! それじゃあ、お風呂入ってー、歯磨いてー、あ、お酒も飲んどこ!)


 念入りに体を洗ったサキは、備え付けの冷蔵庫からボトルワインを取り出した。

 動力は電気ではなく魔力だが、使い方は基本的に同じだ。


(ほろ酔いでガードの緩んだ相川さんを見たら、ユウさんも我慢できなくなっちゃいますよぉー! 密室で男女が二人きり……。これはもう間違いなく間違いが起こっちゃいますねぇー!)


 サキはグラスにワインを注ぐと、まずは一杯飲み干した。


「うーん? もうちょっとかな?」


 一杯では酔った実感が無く、二杯、三杯と飲んでいく。

 壁の一枚向こう、つまりは隣の部屋でユウが悩んでいたのは、そんな時だ。


(どうする? 行くか? 部屋の前だけにしとくか?)


 据え膳食わぬはなんとやら。

 中身はともかくとして外見は文句無しの美少女であるサキに誘われたということで、年頃の少年は揺れていた。


 ユウだって男だ。

 そりゃあ、かわいい子と男女の関係になりたくないかといったら嘘になる。


「よし、行こう。」


 ユウは腹をくくった。

 どちらにせよ、防犯のために部屋には行くつもりだったのだ。


 後はどこまでかの問題である。

 聞いた話を総合すると、サキもそういう経験は全く無いらしいから、つまりは自分が頑張らなければならない。


 オリジナルの優はステラと経験済みでも、コピーであるユウはまだ未経験だ。 

 ユウはシャワーを浴びた後、緊張しながらサキの部屋へと向かった。


(開いてる……。)


 宣言通り鍵のかかっていないドアを開けて、ユウは中へと入った。


 腐っても鯛。

 筋金入りのポンコツとはいえ、美少女の部屋である。


 ユウはとりあえず中から鍵を閉めた。

 これでもう邪魔は入らないはずだ。


 そして部屋の中に注意を向けると……。


「ユウさんってばー、いきなりがっつきすぎですよぉー。うへへへへ」


 ベッドの上では、完全に酔っぱらったサキが大の字になって寝ていた。

 口からはよだれを垂らし、服が捲れて腹も出ている。

 幸せそうな寝顔に寝言もセットだ。


(お……。)


(おっさんだ!)


 ユウは戦慄した。


 どう見たって、十四歳のかわいい女の子の寝相ではない。

 完全に恥も外聞も無くした、中高年のおっさんの寝方である。


「こ、これを襲えっていうのか……。しかもすごい酒臭いし……。」


 実はサキが転生者で、転生前はおっさんだったと言われても納得の”おっさん感”だ。

 言葉の通じない相手に対して、今のサキを指差して「おっさん!」と言ったら、おっさんという単語の意味を正確に理解して貰えるのではないだろうか?


 そうだ。 


 世界よ、これが”おっさん”だ。

 おっさん系美少女なのか、美少女系おっさんなのかはわからないが、とにかくこれがおっさんというものであるのはだけ間違いない。


「残念過ぎる……。」


 今夜を記念すべき初夜にするという気合と意欲を完全に削がれ、ユウはサキの乱れた服を直して彼女に布団を掛けてやった。


「ぐへ、ぐへへ。アイカワサン、ユウサン、マルカジリー」


「はぁ……。鼻提灯とか、初めて見たぞ……。」


 サキの寝言を聞いて溜息をついたユウ。

 気分はもう、完全に”残念な妹の将来を心配する兄”である。


 彼女がよだれで窒息死しそうな気がしたので、自分の部屋から布団を持ってきて横で寝ることにした。


(前にもあったな、こんなこと。)


 【青鬼】グルナラと戦った疲れが、ユウを深い眠りへと誘う。


 ……そして次の日の朝。


「あー、よく眠れたなー。どこかの誰かさんが何もしないで横に寝てたからー」


 棒読みの台詞を吐きながら、ジト目でユウを睨むサキ。

 露骨に不機嫌全開である。


「……はぁ。」


 一応、サキの寝相を見るまでは襲うつもり満々だったのだが、ユウはそれについては言及しなかった。

 二人で一緒に宿の食堂に行き、そして――。


 ユウの分の朝食は、全てサキの胃袋に収まった。

 もちろんサキの分も彼女の胃袋に収まった。


 つまり、二人分の朝食が両方共サキの胃袋に収まった。


「ふーんだ!」


「不条理だ……。」


 ちなみにだが、昼食も全てサキの胃袋に収まった。

 この日のユウが水以外の食事にありつけたのは、夕食の時になってからである。

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