7:強者を駆逐する強者
ビアンカの街の外でノワルア軍と魔王軍がまだ睨み合っていた時刻。
それを離れた丘の上から観察している男達がいた。
二人の内一人が望遠鏡を覗き、もう一人が手元の紙に何かを書き記している。
「人間はだいたい10ぐらいだな。亜人の方は20前後ってところか。たまに30超えてるのがチラホラ」
「人間は平均で10っと……。反対側で待機してるのもですか?」
「ああ。だいたいみんなそんな感じだ。……おっ、100超えてるのがいるぜ、181だ。たぶん勇者だろうな。周りに一緒にいる三人も100超えだ。103、121、109」
望遠鏡の男が言った数字を、もう一人は簡単な説明と共に書いていく。
彼らが偵察を任務としていると同時に、その数字がおそらくは戦闘力に関係するものだろうという推測することは、それほど難しいことではない。
ユウが感じ取っていた謎の視線。
彼らがその正体だった。
「お、始まったみたいだ。亜人が優勢だな」
「亜人一人で人間二人分だと考えると、無難な展開ですかね」
しばらく観戦を決め込んでいた二人。
向こう側では、魔王軍がノワルア軍の前線を食い破った。
緩い風が流れていく。
特に話すこともなく、目立つような行動が奨励される状況でもないので無言になっていた二人。
しかし、ノワルア軍が伝説勇者を投入した所から再び会話を始めた。
「なんか出てきたぞ。231、189、327……、たぶん勇者だな。きっと精鋭部隊だ」
望遠鏡が捉えているのは、伝説勇者達である。
ノワルア側の戦力として前線に参加した彼らは、魔族達を蹂躙し始めた。
実際に戦っている者達がその強さに驚愕しているのとは対称的に、彼ら二人は至って冷静だ。
手元の紙を覗き込んでいる方はともかくとして、望遠鏡を持っている方はもう少し反応があっても良いものだが……。
まるでこの程度は見慣れていると言わんばかりである。
「多いんですか?」
「いや、二十人ぐらいだ。……おっと、1000超えが一人いたぞ。1320。……【恩寵】持ちか?」
「なにか使ってます?」
「わからん。見た感じは普通に見える」
「1320、【恩寵】持ちの可能性有り……、と」
男が望遠鏡で捉えているのは、初代勇者ルカだ。
人間の兵士が10だという話から推測すると、つまり1320という数字は人間の兵士百人分以上ということになる。
もちろん百人の人間が息を合わせて一人を相手にするというのは難しいので、状況次第でそれ以上にも、それ以下にもなるだろう。
「あちゃー、ガンガン殺られちまってる。こりゃ亜人の負けだな」
望遠鏡の先では、伝説勇者達が亜人の屍の山を築いていた。
彼ら同様に一介の雑兵に過ぎない二人としては、正直に言って同情を禁じ得ない。
流れは決まったと思われた戦場。
「おっ、青いのが出てきたぞ。魔族だ。……こっちの世界にもまだいたんだな」
このリーンという世界では既に絶滅したと聞いていた魔族。
それがまだいたところで、本来ならば別に何がどうということもないのだが、この時は話が違った。
「いくつです?」
これまで通り数字を記入しようと聞き返したもう一人の男。
「……あれ?」
しかし望遠鏡を覗いていた男は一度腕を下ろすと、自分の目をごしごしと擦り始めた。
「……どうしたんですか?」
「いや、疲れてるのかもしれん」
軍人が過酷な環境に身を置かなければならないというのは、別に珍しいことではない。
男は再び望遠鏡を構えると、改めて【青鬼】グルナラの姿を捉えた。
「……嘘だろ、おい」
「何がです?」
「……42000だ」
「は?」
もう一人の男は、彼が何を言っているのかを即座に理解できなかった。
「EP42000……! それも間違いなく【恩寵】持ちだ」
「いやいや嘘でしょ!? 4000の見間違いじゃないんですか? 四万って言ったら、ウチの最高幹部クラスじゃないですか!? ユートピアだってせいぜい一万超えなんですよ?!」
「自分の目で見てみろ……。青いやつだ」
望遠鏡を差し出された男は、それを受け取って青い魔族の姿を探した。
「……本当だ。本当に四万超えてる……」
「……ストラに連絡を取るぞ。あんなもん、半端な戦力じゃ処理できん」
★
「そんな……、嘘だろ……」
ノワルアの兵士達は、今すぐ現実逃避したい気分で目の前の光景を見ていた。
意気揚々と最前線に駆けつけ、魔王軍に押され気味だった戦線を一度は立て直しかけた伝説勇者達、二十数名。
現代で魔族と呼ばれている亜人達を相手に圧倒的、そして絶対的な力を見せつけた彼らは、古代で魔族と呼ばれていた男一人の手によって、既に物言わぬ屍となって地に伏せていた。
圧倒的、そして絶対的な戦力差。
強者を駆逐する、さらなる強者。
かつて各々の時代で人々の希望となった勇者達は、三叉の槍で斬られ、貫かれ、治癒する機会も与えれらないままに容赦無く命を奪われた。
ただ一人、初代勇者ルカだけを例外として。
(この男、なんという強さだ……!)
どうしようもない劣勢。
彼がまだ生きていられるのは、単に敵の力を侮っていなかったからに過ぎない。
傷ついた体で荒い息を吐きながら、ルカは未だ無傷で一切消耗していない”敵”を見た。
【青鬼】グルナラ。
ルカが元々生きていたよりもさらに昔、古の時代を生きた戦士。
このリーンと呼ばれる世界の歴史の中において、最も激しかった戦乱の時代を知る男。
その技量も、力も、そして何よりも速度が圧倒的な高みにある。
そしてもちろんその経験値も。
(駄目だ、力の差がありすぎる……!)
この短い時間で十分すぎるほどよくわかった。
潜り抜けた修羅場のレベルそのものが違う。
勝ち筋が全く見えない。
それどころか、この死地を生き残る可能性すらも、どこにも見当たらないように思える。
果たしてそんな心情を見抜いたのか、青い悪魔が槍を構え直した。
紅色の武器が早く次の獲物を寄越せと催促しているかのようだ。
「こちらもかなり味方をやられたのでな。……手加減は無しだ」
「敵同士だ。異論はない」
わかっている。
ここは仮にも戦場だ。
両者が等しく殺す権利を持つ、そういう領域だ。
どちらか一方だけが殺し、もう一方だけが殺されることなどありえない。
ルカは思った。
むしろわざわざそんなことを宣言する辺り、この男もそう悪い奴では無さそうだ、と。
ここで自分の人生が終わるのは決して歓迎できないが、それでも相手がこの男ならば、そう悲観するような最後でもない気がした。
もしもこれが性根の腐った奴だったりしたら、死んでも死にきれないだろうが。
勝負を決めるために大地を踏み込もうとしたグルナラ。
だがその時、突如として彼らの視界が大きく揺れた。
ルカは最初、出血の影響で目眩がしたのかと思ったが、周囲の様子を見てその判断が間違いであることを理解した。
「何だ?!」
「地震だ! 大きいぞ!」
地面が揺れている。
「これは……?!」
ルカを殺そうとしていた手を止めたグルナラは、この揺れに心当たりがあったのか、背後のビアンカの街を振り返った。
天に登る一条の光。
場所はちょうど魔族達が街の中に掘っていた穴の付近だ。
「来たか……!」
発掘作業に当たっていた魔族達が慌てて街の外へと逃げ出している様子が見える。
彼らが街の東に出ていくのを見る限り、どうやらコルドウェルは既に敵を殲滅したらしい。
そういえば向こう側からは魔法による爆音の一つも聞こえてこない。
グルナラは容赦無くルカとの距離を詰め、感慨も無く腹部に槍を突き立てた。
「うっ……!」
まだ死んではいないが、良くて戦闘不能だろうと判断した青鬼は、その場で大声を張り上げた。
「目的は達せられた! 撤退するぞ!」
その声を聞き、魔族達は戦うのを一斉に止めた。
事前に何が起こるのかを聞かされていた彼らは、おぼつかない足取りで必死に逃げ始めた。
激しい揺れの中で立っていられずに、手足をついて四足で進んで行く者も多い。
ノワルア軍としては絶好の好機なのだろうが、追撃しようにも、こちらもまた地震で身動きが取れない。
そして――。
天に登る黄白の光。
一層激しくなった揺れがクライマックスを迎えたと同時に、ビアンカの街が爆ぜた。
(あれは……、竜?)
傷口を塞ぐ程度の応急処置を行い、死の境界線手前で辛うじて踏みとどまったルカ。
薄れゆく意識の中で、彼はビアンカの街を破壊して天空へと舞い上がる竜を見た。
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