第79話 心を解き放つ方法

「正直、良くない」



「良くないとは?」



 ミチャは寂しげにキルスを目で追った。友達を失った彼も寂しそうに見えた。



「ウルクスが死んじゃったけど、未だにウルクスのことを想い続けている」



「純愛っすねぇ」



「そんな可愛いもんじゃないわよ!」



 ミチャは思わず大きな声で言った。



「だって、ずっと殴られて来てんだよ? 身体中痣が出来るぐらいにさ! それなのに、未だにウルクスの言ってたことは全部正しいだの、ウルクスを悪く言うなだの言ってるんだよ⁉︎ どう見てもウルクスのやってることは頭のおかしいやつじゃん!」



「まぁ、価値観なんて人それぞれっすから。それが好きな人は好きなんじゃないっすか? 僕はごめんっすけど」



 ミチャは大きな溜息を吐くと、ぼやくように言った。



「じゃあ、何? ユーラムさんはルノルノが被虐趣味の変態少女だって言いたいわけ?」



「被虐趣味じゃないっていう証拠があるんなら、僕も彼女の状況は変だと思いますよ。でもその証拠がないなら僕には判断つかないっすねぇ」



 ミチャは黙った。


 証拠は、ある。


 あの瞬間だけとはいえ、自分と愛を交わし、笑顔を向け、口づけた。それが何よりもの証拠だ。


 だがそのことを気軽に他人に言うのは気が引けた。



「証拠はない訳じゃないけど……ちょっと言えない」



 ユーラムはそれ以上追求せず、こくりと頷いた。



「じゃあ、彼女にそういう趣味がなくて、ウルクスさんに操られているという状況と仮定して話するっす」



「うん」



「もしそれが本当なら、今彼女は視野がめちゃくちゃ狭まってると思うんすよね。ウルクスさんに従うのがいいこと、それ以外は悪いこと。要するに選択肢は二つしかないんっすよ。白か黒かっすね」



 ミチャは藁にもすがる気持ちでユーラムを見た。



「だからまずするべきことは視野を広げさせることっすよ。白と黒だけじゃなくて、灰色っていう選択肢もある、みたいな。そういう複数の選択肢を見せることっす」



「でもそれでも聞く耳持ってくれなきゃ同じじゃない?」



「そうっすね。だからそこで信頼関係を築いていくんっすよ。その上で大事なのは対立しないこと。本人が白と思い込んでるのに、それを何の信頼関係もない人がそれは黒だよって言っちゃったら、答えを白だと思い込んでるものだから、黒って言った人を嘘つきだと思い始めるんっすよ。心当たりないっすか?」



「……ある」



「まずはそこで対立しちゃだめっす。意見が対立しちゃったら信頼関係を築けないっす」



「じゃあ白って言えばいいの?」



 ユーラムは首を横に振った。



「だから別の選択肢を準備するんっすよ。要するに肯定も否定もしない。これがいい、これが悪い、じゃなくて、どっちでもいいっていう答えを用意する。あ、無関心って意味じゃないっすよ。白って答えもあるし黒って答えもあるよね。でも灰色って答えもあるよね、みたいな?」



 ミチャはぽかんとした表情でユーラムの横顔を見た。



「それが視野を広げる第三の選択肢ってこと?」



「そうっす。否定さえされなければ、この人は自分の意見を聞いてくれる人って思えてくるもんなんすよ。そんな人に第三の選択肢を提示され続ければ、白とか黒とかに拘ってた自分の考えに疑問が出てくるもんっす」



 ユーラムの言ってることを実践するのは簡単ではないだろう。だが何の手がかりもないと思っていたミチャには一つの光明のように思えた。



「疑問が出て来たら、その背中を押してあげればいいんっすよ」



「その押し方ってあるの?」



 キルスが草を喰んでいる。その様子を眺めながら、ユーラムは頷いた。



「そうっすね。まともな精神状態だった頃の価値観を少しずつ思い出させてあげるって感じっすかね」



「それって難しくない……?」



「ん? まぁ、簡単なところで言えば楽しかった頃の思い出話とかっすかね」



「え、そんなのでいいの?」



 想像していた以上に簡単なことで驚く。



「楽しかった頃っていうのは選択肢が沢山あった頃っすからね。つまり縛られていない状態の頃っすね。その頃と今の差異に気づかせるんっす。あの頃は楽しかったのに、何で今はこんな疑問が湧いている生活してるんだろう、そんな感じで気づかせるんすよ」



「はぁ……」



「大事なのは、誘導してあげることであって答えを与えることじゃないっす。答えはあくまで自分で見つけさせる。助けてって言葉は疑問がピークに達して自分の間違った価値観が崩れた時、出てくると思いますよ。言葉で出て来なくても、行動に現れたりね」



「それなら……出来るかも……」



 ユーラムはへらへらと笑って頷いた。



「あと、隔離することも大事っすよ。いくら疑問を持ち始めても、同じ調教を受ければ元の価値観に戻ってしまうかもしれないんで」



「つまり?」



「ウルクスさんは死んじゃったけど、その意思を継いでいる人は沢山いたっすよね。食堂とかに」



「あ……」



 あの時ユーラムも食堂にいたのだろう。そしてその一部始終を見ていたのだ。



「つまり……他の奴隷達になるべく近づけないってこと?」



「そっす」



 ユーラムはミチャを両手で指差して正解であることをアピールした。



「他には自分の考えに疑問が出て来た時点で思い切ってウルクスさんの調教とルノルノさんの価値観の間には何の関連もないってことを叩き付けて強引に戻すっていう方法もありますけど、ま、それは今は考えなくてもいいっすね」



 ユーラムはそこまで言うと、大きく伸びをした。



「他にしてあげられることはあるかな……」



 ミチャはユーラムの言葉を一つ一つ記録したい気分だった。気持ちが昂っているのが分かる。間違いない。これはルノルノを助ける光明だ。



「そうっすねー。自信を持たせるとか? 得意なことを伸ばしたり、苦手を克服したら褒めてあげたり……」



 ルノルノの場合は馬術と剣術、後はトゥルグ語の勉強なんかも利用出来そうだった。



「そんなとこっす。馬が好きなら馬に触れ合うのもいいかもっすね。馬はいいっすよー。友人としては最高っすね」



 ミチャはぎゅっと拳を握り締め、ユーラムに頭を下げた。



「ありがとう……あなたに出会ってなかったら、闇の中を突き進むところだったわ」



「いやあ、早くルノルノさんに復帰してもらいたいだけっす。何たって、彼女は馬のプロっすから」



 ふとミチャの中に疑問が湧く。


 何でこの人こんなに詳しいんだろう?



「……ユーラムさんさぁ……あんた何で奴隷やってんの?」



 生粋のアルファーン帝国人であるユーラムなら、これぐらいの知識があれば奴隷にならなくてもどこでも働けそうな気がするのに。



「あはは、ちょっと悪さして捕まっちゃって、罰で自由人の権利を剥奪されたんすよ」



「ふーん……何したの? 悪さって」



 彼はまたへらへらと笑って答えた。



「詐欺っす」



「……なるほど」



 ミチャは妙に納得した。

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