第61話 悪魔の契約
ルノルノは身を清め、二十三時を待った。
今夜、ウルクスと結ばれる。
ふとミアリナの顔が思い浮かぶ。
彼女はオルハンと結婚するはずだった。
愛のある幸せな家庭を築くはずだった。
それなのに無惨に殺された。
一方で自分は生き残った。
そして今、自分は愛なく欲望の糧となって子作りしようとしている。
家畜の交尾と同じ。自分はただの牝だ。
あんなことがなければ、自分もいつかミアリナのようにどこかの男性と、きっとオロムと恋愛し、結婚していたはずだった。
あの出来事で全てのことが狂ってしまった。
『緊張してる?』
ミチャに頭を撫でられて、ルノルノは我に返る。
『色々考えちゃって』
下腹をさすりながらルノルノは俯いた。お腹の痛みは引いていない。
『色々? 大丈夫?』
『うん。幸せって、結局何だったんだろうなって』
ミチャは出会った当初のことを思い出した。
気に食わない少女だった。彼女が甘えた人間に見えて嫌だった。その上シュガルの愛人候補として台頭してきた時点で敵だと思った。
だが今はそこまで思わない。
自分の人生の障害物であることに変わりはない。
だが同時に可憐で美しく、純粋で、無垢。
そんな彼女に触れていると自分が汚い人間に見えて仕方がなかった。
『でも、ミチャと出会ったことは幸せだよ』
ミチャの胸が急に締め付けられる。奇妙な胸騒ぎがした。
その時、扉がノックされた。
二十三時が来たのだ。
扉が開いた瞬間、ルノルノは硬直する。
「いらっしゃい」
ミチャは胸騒ぎを隠してそう言った。
「邪魔するぞ」
ウルクスは目をぎらつかせてルノルノの横に座る。ルノルノの呼吸が速くなった。ぎらつく彼に明らかに怯えていた。
「良い顔だ」
ルノルノは首を横に振った。怖い。
『ミチャ……やっぱり、怖いよ……』
ミチャは心を鬼にした。ここで計画を頓挫させる訳にはいかない。自分の将来がかかっているのだから。
『嫌なことでもするのが奴隷なのよ』
ウルクスはルノルノを軽々と抱き上げ、ベッドの上に押し倒した。
ミチャに助けを求めるルノルノの手は届かなかった。
『やっぱりやだ……。もう少し、時間が欲しい……』
今の精神状態で子作りなんて出来ない。ルノルノは首を横に振った。
するとウルクスの平手がルノルノの頬に飛ぶ。
ぱんっと派手な音がして、ルノルノの頬に強烈な痛みが走った。
ウルクスの蹂躙はそれで終わらなかった。ルノルノの細い首に彼の大きな手が押し当てられ、ぐっと絞められる。息が出来なくなり、ルノルノの心が恐怖で染まった。
『やめて! やめ……ぐ……ぅぅ……かふっ……ゆ、許して……許してください……』
喉を圧迫されて息も絶え絶えに許しを乞う。
「抵抗するな。すぐに済む」
ルノルノはか弱い小動物のように震えている。涙が溢れていた。
『ルノルノ。頑張らないと……。子供、作れないよ……』
ミチャの良心が悲鳴をあげ始める。
ウルクスは泣きじゃくるルノルノの頬をもう一度思いっきり張った。
『ごめんなさい! ごめんなさい! もう、殴らないで! やめてください! 言う通りにしますから! 助けてください!』
ルノルノの悲痛な叫びが部屋に響く。
「静かにしろ!」
またルノルノに平手打ちが飛び、首が絞められる。
彼女の顔は恐怖で引き攣り、抵抗出来ずに呆然とただ『ごめんなさい、許してください』とだけ繰り返し呟いていた。
ミチャは目を背けた。
これが自分が望んだ「過程」?
見ていられなかった。
部屋を出ようとする。
「見ないのか?」
「……ごめん、ウルクス。あたしが思ってたのと……何か……違った」
「そうか」
ウルクスは気にした様子もなく、大人しくなったルノルノの服を脱がしにかかった。
「終わったら呼んで」
ミチャは部屋の外に出た。
扉の前に座り込み、大きな溜息をついた。
可憐な少女がその花を散らす。
その瞬間が見たかったはずなのに、何も疼かない。何も興奮しない。
それどころか、痛む。胸が苦しい。
「あたし、何やってんだろ……」
全てはシュガルとの未来のため。
予定通りに事は運んだはずだ。
堕ちる「過程」が見たいというのは自分の中で増長した歪んだ欲望を晴らすための余興に過ぎない。
本当の目的はルノルノの排除。
自分はシュガルの愛人に収まり、財産の一部をいただいて贅沢三昧する。
完璧なシナリオで事は順調に進んでいる。
なのに……この後味の悪さは何だろう。
その時、突然扉が開いた。ウルクスが服を整えながら出て来た。
「早かったね。もう終わったの?」
「いや、していない」
「どうしたの? 子作りするんじゃなかったの?」
「やつは生理だ。穢れている」
アルシャハン教では経血は穢れとみなされる。ウルクスはそれを嫌ったのだ。
「それに気が変わった」
「気が変わった?」
ミチャは疑問と安堵の入り混じった、何とも言えない複雑な表情でウルクスを見た。
「何、情でも移った?」
ウルクスは無表情だった。ぞっとするほど不気味な目をしていた。
「俺はあいつを支配する。心を完全に砕いて、俺の言うことしか聞こえない奴隷に調教する」
「どういうこと?」
「笑ったり、怒ったり、泣いたり出来なくしてやる。全ての感情を殺し尽くすまで躾けてやる。俺の言うことだけを従順に聞く家畜にする」
ウルクスは本気だ。
ミチャは背筋が寒くなった。
「……感情を殺すって……そ、そんなの意味あるの……?」
「完全に心を壊してから犯せば完全に俺の色に染まるだろう」
それは家畜じゃない。ウルクスのやろうとしていることは家畜未満の存在への調教だ。ミチャは首を横に振った。
「そんなことできると思ってるの?」
「簡単だ。殴って分からせてやればいい」
「本気なの……?」
「ああ。お前が蒔いた種だ。今更自分は抜けるなんて言うなよ」
狂ってる……。
ミチャは悪魔と契約したことを思い知り、今更ながらに後悔した。
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