第17話 契約
家に帰って、すぐにhiruneのマネージャーの朝日さんに連絡し、楽曲化について承諾した。朝日さんはすごく喜んでくれたと同時に、契約書の関係から一度事務所に来てほしいと言われた。交通費がなかったので、交通費が出るならという条件で交渉したら、交通費どころか近くのパンケーキをごちそうするということだったので、迷わずOKを出した。
ただ、問題はお母さんの同伴も必要ということだった。
こういうのは時間がかかっても何も解決しないと思って、営業前のお母さんのスナックに行った。
「あら、どうしたの?まだ早いわよ。今日も手伝ってくれるの?」
お母さんはレジのお金を数えていた。家計の管理は割とテキトーな気がするけど、こういう店のお金はちゃんと管理している。1円が合わないだけで、ものすごく怒られたこともあった。
「大事な話があるんだけど」
「今お金数えてるから。もう、何円かわかんなくなっちゃったじゃない」
お母さんは不機嫌そうに千円札を数え始める。
そう言われると、待つしかない。レジの金額が合っていたようで、お母さんはレジを閉めた。
「で、何?」
「土曜暇?」
「普通に店の営業あるけど」
「昼は?」
「何?授業参観?高校なんだから、もう行かないよ」
「違う。あのさ、私、小説書いてるんだ」
「うん、だから?」
「それでさ」
お母さんがカラオケの電源を付ける。
「ちょっと聞いてる?大事な話なんだけど」
「準備しながらでもいいでしょ。ちゃんと聞いてるから」
カラオケと連動して店のテレビがカラオケの宣伝番組になる。音は出ていないけど、hiruneが写る。
「あっ、この人」
「この人、ああ人気よね。私もよくカラオケリクエストされるわ」
「私の小説をhiruneの曲にしたいって」
「え?」
「だから、昨日hiruneの事務所の人から電話があって、小説を曲にさせてくださいって」
「それ詐欺じゃないの?」
「本当だと思う」
「ちゃんと確認した?」
一応心配になって、朝日圭太という名前で検索してみる。すると、hiruneをヒットさせた仕掛け人としてたくさんのインタビューを受けていることがわかった。
「ちゃんとインタビューにも答えてる人だったよ」
「でも、電話しただけでしょ。声だけじゃその人かわからないじゃない」
「待ち合わせ場所がホームページに載ってる事務所だったし」
「今どき会社のオフィスなんて誰でも使えるのよ。常連さんも色んなところで仕事してるって言ってたし」
「でも、私にはチャンスだから。契約にはお母さんがどうしても必要って」
「契約って、まだ会ったこともないのに契約って、絶対詐欺よ」
「じゃあ、来てくれないんだ……」
「別に行くけど。どうせここで私が行かなくても一人で行くでしょ。そんな危ないところに一人で行かせられない」
「一応交通費出るって、あとパンケーキも」
「何かそういうところが詐欺っぽいよね」
土曜日、お母さんとともに表参道のhiruneの事務所に来た。入口の前に朝日さんが待っていた。電話やインタビュー記事の画像での印象とは違って、いかにも若手社員という感じの20代くらいの人だった。スーツも来ていないので、大学生だったとしてもバレないくらいの人だった。
名刺をお母さんと私に渡して挨拶をした後、仲に案内された。事務所は意外にも小さめの4階建てくらいのビルだったけど、セキュリティは万全で入るにも出るにもカードキーが必要でだった。また、監視カメラも入口には必ずついており、厳重に管理されていることがうかがえた。
この時点で私もお母さんも詐欺である可能性はほぼないと確信した。
お母さんは久しぶりに都心に出るということで、精一杯のおしゃれとして赤いワンピースを着てきている。私も私服をと考えたけど、まともな私服はなかったし、契約の場ということも踏まえて、制服を選んだ。
朝日さんに連れられて、会議室に案内される。そこの壁に埋め込まれた大きなモニターの電源がつくと、そこにはhiruneのレコーディング風景が映し出された。
「実は今地下でレコーディングしてるんですよ」
「本物ですね」
お母さんは敬語を使ってるけど、ものすごい興奮している様子だった。ミーハーな母親を間近で見る子供の気持ちはとても複雑なものがあるなと思った。
「すみません、迷いませんでしたか?」
「いえ、全然。お母さんがいたので」
「そうですよね」
多分いつも若い子たちにはそう言うんだろうけど、お母さんがいるときにそれ言ってもあんまり意味ないよねと思った。
「で、今回の話を具体的に教えてくれますか?」
お母さんの言い方が既にきつい。詐欺ではないにしても直接話を聞いてないから、口調は厳しい。さっきまでのミーハー魂はどこかに捨ててしまったらしい。
朝日さんは私の小説のことをhiruneが気に入って、その小説を楽曲化したいということで、声を掛けたことを伝えた。それでは、お母さんは動かなかったけど、hiruneの直筆の手紙があったことで、一気に変わって乗り気になった。
きっぱり契約内容のことをしっかり聞くのかと思ったら、そうじゃなかったらしい。
「わかりました。ぜひともやらせていただきます」
お母さんがやるわけじゃないんだけどな、と思いながら、朝日さんの方を見ると、朝日さんも少し困惑している様子だった。
「ぜひやらせてください」
私がそう言って何とか場はおさまった。朝日さんが契約書を持ってきてくれた。正直、私もお母さんも契約書なんて出されてもよくわからなかったけど、朝日さんを信頼することにして、その場でお母さんとともにサインした。
約束通り、朝日さんは交通費をその場で精算してくれた。本当は安い方の路線で来たけど、水色のあまり誰も乗っていないちょっと高い方の路線で来たことにして、交通費を多めに請求した。さすがに、お母さんやりすぎだよと思ったけど、お母さんは表情一つ変えずに交通費をもらっていた。そして、ちゃんと近くのパンケーキ屋さんの無料券も2枚もらった。きっぱり一緒に行くものだと思ったけど、それはある意味気まずいなと思っていたので、助かった。
そのパンケーキ屋さんで、お母さんからは今ほしいものの話をひたすらされた。北海道旅行と沖縄旅行、カニ食べ放題、ブランドものなどなど出てきたけど、最後にはプライベートジェットまで出てきた。さすがに、プライベートジェットは無理だけど、それ以外は叶えられそうな気がして、つい「任せて」と言っていた。要するに私たちは浮かれていた。
あれから契約を結んでから、2か月、私は地道に小説を書き続けていた。連載については、惜しまれながら終了したけど、未だにランキングの上位に残っている。意外に人気があったらしい。そして、連載の出版についても決定した。
あの後、朝日さんが出版社の知り合いを紹介してくれて、hiruneの原案小説ならぜひにということで、出版が決まった。
連載を本にするには若干ページ数が少なかったらしく、その分を新作の短編小説で埋めることにした。内容は由美と彼氏の馴れ初めを書いた。いかんせん、美少女キャラに仕立ててしまったために、由美をモチーフにしたキャラの人気が高く、スピンオフの希望が多かった。由美には印税の内の20パーセントを渡すことを決めて、何とか承諾をもらった。
そして、明日はこの小説を基にしたhiruneの新曲が配信リリースされる。新曲の名前は「ゴールド・ディガー」になった。金脈を探す人という意味で、玉の輿に近い意味らしい。玉の輿ってタイトルだと何か嫌な感じがするけど、英語にされるとなんとなくかっこいい気すらしてくる。
あの後、3日ほどでデモというお試しの音源が来たけど、そのときからものすごくかっこよかった。完成版は聞けてないけど、多分ヒットは確実だろうと確信している。
私の本自体は再来月に発売で、同時にミュージックビデオも公開されるらしい。ちなみに、最初は原案小説は伏せて、本の発売を発表する来月に一緒に発表するらしい。私の名前はそこで初めて出る。もっとも、既に本名は知れ渡っているので、パルノというペンネームの形で出る。
契約書をサインした後で、朝日さんは私がパパ活で話題になっている女子高生ということに気づいたらしいけど、契約を取り消されるんじゃなくて、向こうでも色々対応してくれるというありがたい展開になった。
どういう方法かはわからないけど、いつの間にか私の名前で検索しても、何も引っかからないようになっていて、拡散されていた動画も全て削除されていた。朝日さんいわく、地道に通報し続ければ、いずれなくなるってことだったけど、本当のところはどうかわからない。私の知らない大手事務所ならではの圧力の掛け方があるのかもしれない。
何がともあれ、万全の体制でhiruneの楽曲の配信の時間を迎えた。
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