6.誤解
「五年前が始めてでした」
鵙枝日奈子さんが、鶴見課長と始めて会った時の事を話し始めた。
弘は、花宮水産、石鎚山営業所で、鵙枝さんを待っていた。
鵙枝さんは、営業所長の姪子さんだ。
鵙枝さんから、十八時くらいに営業所へ到着するとと連絡があった。
鵙枝さんが、営業所に到着する前に連絡するのには、理由があった。
所長が「石寿司」の包みを応接テーブルに置いて待っている。
ずっと冷蔵庫へ入れていると、シャリが固くなるからと説明した。
十八時過ぎに、駐車場に車が停まった。
鵙枝さんが、営業所を訪ねて来たようだ。
事務所は入って来た。
「ありがとう。おっちゃん」
「えっ!」
弘は驚いた。
あの女性だ。
昼間、鶴見課長と一緒に、歩いていた女性だ。
鵙枝さんだったのか。
弘は、「時鳥」での話しを尋ねるつもりだった。
「鶴見さんとは、どんな関係ですか」
弘は、初対面の挨拶も忘れて尋ねていた。
「ああ。こいつが秋山や」
不審そうにしている鵙枝さんに、所長が紹介した。
弘は、「失礼しました」と詫びて、挨拶を交わした。
そして、もう一度、鶴見課長との関係を尋ねた。
鵙枝さんが、五年前の話しを始めた。
まだ、銀行員になって一年だった。
先輩行員の融資相談に同席した。
その時の相談者が、鶴見課長だった。
「事業応援ローン」に付いて、詳しく説明を求めていた。
先輩行員が説明して、パンフレットを渡した。
近々、一人連れて来るかもしれない。
と云って、パンフレットの入った封筒を手提げ鞄に入れた。
その際、鞄の中に、他銀行の封筒が見えた。
だから、何行か銀行を回って、同様に融資商品の説明を受けたのだろう。
と思ったそうだ。
ある日、鶴見課長が、若い男を伴って、銀行へ訪ねて来た。
近々と云っていたが、あれから半年以上経っていた。
若い男は、西岡和夫、二十九歳。
会社を退職して、家業を継ぐそうだ。
実家は、工務店を四十年以上、営んでいる。
審査資料は一通り揃っていた。
鶴見課長が、助言したのだそうだ。
保証人が必要なら、鶴見課長がなっても良いと云っている。
鶴見課長は、朱雀製紙、石鎚山本社、人事部秘書課の秘書課長だ。
だから、信用は出来る。
しかし、西岡が断った。
これ以上、迷惑は掛けられないと云う。
既に、保証人は居るとの事だった。
その後、一度、相談に応じで、融資契約が成立した。
鶴見課長は、同席していなかった。
相談した後、西岡が会社を退職した理由を喋った。
西岡は、雲雀運輸へ運転手といて勤めていた。
半年程前の事だそうだ。
突然、上司から、書類に署名しろ、と指示された。
見出しは、「ウェットティッシュ新規納入報告書」になっていた。
内容は、数量が五ダースになっている。
西岡は慌てた。
ウェットティッシュ、三個くらいなら、買っても良いが、五ダースは無理だと断った。
上司は、呆れたように説明した。
会社の都合で、孔雀ティッシュの製品の新規採用を協力しているだけだ。
だから、社員に名前を借りているだけで請求は無い。
寧ろ、報奨金がもらえるかもしれない。
と云う説明だった。
それで、その日は、署名した。
ところが、それが毎月になった。
しかも、報奨金などはもらえない。
そのうち、妙な噂を聞くようになった。
その報奨金の事で、孔雀ティッシュの部長が退職したらしい。
と云う噂だった。
直接、西岡には、影響が無かった。
しかし、釈然としない。
それで、上司に、噂も含めて、再度説明を求めた。
上司が、関係会社との連携と、会社の利益に貢献する事は当然だ、と云った。
それでも、西岡は納得せず、上司と衝突した。
西岡は、家業を継ぐつもりは無かった。
しかし、書類への署名を拒否して以来、上司との関係が拗れた。
それで、退職を決めた。
その後、鶴見課長が、職場へ西岡を訪ねて来た。
会議室で面談した時、特に嫌味を云われなかった。
そして、退職後、どうするのか尋ねられた。
西岡は、家業の工務店を継ぐと答えた。
退職後、西岡の自宅へ鶴見課長が訪ねて来た。
鶴見課長が、仕事の様子を尋ねる。
西岡は、経営が苦しいと話した。
暫くして、鶴見課長から連絡があり、石鎚山銀行の融資を勧められた。
それで、資料の作成を手伝ってもらい、銀行を訪ねた。
幸い、希望通りの融資が出来た。
そう、鵙枝さんが話した。
西岡さんの件があって、一年後くらいだった。
また、鶴見課長が三十歳くらいの男を連れて銀行を訪ねて来た。
それも、融資の相談だった。
男は、山雀ダンボールの社員だった。
その男は、起業を目指していたので、起業支援担当者と一緒に相談に応じた。
そして、融資が成立した。
その男も、退職理由は、西岡と同じような事だった。
所長が、その男が起業した内容を尋ねた。
「えっ。その人の、ですか?」
鵙枝さんは、少し驚いたようだ。
所長も親身に聞いていたのだろう。
鵙枝さんは、笑顔で「和紙工房」と答えた。
ダンボール工場から和紙工房への転身だった。
他に、後一人、鶴見課長が、まだ二十歳の男を伴って、融資相談にやって来た。
飲食店を開きたいという要望だった。
しかし、結局、その若い男は、飲食店へ勤める事になった。
何年か、飲食店で経験を積んでから店を持つ、と云う事だった。
それで、融資成立しなかった。
その若い男の退職理由は聞いていない。
しかし、作業の二人と同様、上司と衝突したのだろう。
そう、鵙枝さんが想像した。
それぞれ、朱雀製紙の関係会社を退職した人だった。
退職した人のサポートをしているのか。
ある日、鶴見課長に尋ねた。
鶴見課長の答えは、「ある事情があってなあ」だった。
とても柔和な表情が、印象的だったそうだ。
弘は、信じられなかった。
ちょっと、鶴見課長の見方を変える必要があるのかもしれない。
「そうや」
弘は、思い出した。
「時鳥」で、一緒だった男の事を尋ねるつもりだった。
それが目的で、営業所で待っていたのだ。
鵙枝さんが、意外な事を云った。
鵙枝さんが一緒に居た男。
つまり、鳶田の事だ。
そう云えば、と鵙枝さんが話した。
「時鳥」の前で見掛けた時は、スマホで話しをしていた。
鳶田は、何か迷っているようだった。
鵙枝さんを見付けた時、一瞬驚いた。
ても、すぐに安堵したようだった。
鳶田に誘われて、「時鳥」に入った。
状況は、所長から聞いていた通りだ。
だが、鳶田は、店内でずっとスマホを見ていたように思う。
隣の椅子にスマホを置いて、見ていたようだった。
時々、そのスマホを確認していた。
事件が起こって、鵙枝さんが店を出た。
状況を見て、衝撃を受けた。
すぐ脇の路地口に、男が倒れていた。
ふと、気付くと、鳶田が隣に立っていた。
鳶田は、スマホで電話をしていた。
警察署か消防署へ通報しているのかと思った。
ところが、「また連絡します」と云って電話を切った。
今、思えば、だが、店に入る前から、スマホの電話はずっと、通話中だったのかもしれない。
と話した。
しかし、この情報は、あくまでも、鵙枝さん個人の想像だ。
弘は、鵙枝さんに、礼を云った。
所長が、「石寿司」の包みを鵙枝さんに渡した。
「また来ます」と云って、鵙枝さんが帰って行った。
弘は、所長と一緒に営業所を出た。
何となく、糸口が見付かったように思った。
しかし、鶴見課長に付いての認識を改めなければならない。
のかもしれない。
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