4.隠家

あっ!

鶴見だ。


弘は、キャッシュレス決済を信用していない。

今でも現金主義だ。

と云っても、簿記の会計基準ではない。

支払い決済は、現金だけだ。


だから、銀行へはよく出掛ける。

ただし、口座を開設しているのは、栗林銀行だ。

しかし、石鎚山市の一番近い栗林銀行の支店は幸町にある。

少し遠い。


それでも、便利なものて、石鎚山銀行の岩屋支店でも、キャッシュカードで現金引き出しが出来る。

しかも、手数料無しだ。


栗林銀行の預金から、石鎚山銀行のATMで現金を引き出す事が出来る。

どういう仕組みか、分からない。

分からないけど、便利だ。


まだ、財布の中に現金は残っている。

しかし、明日「時鳥」へ行けば、足りなくなるもしれない。


少し、現金を引き出す事にした。

夕方には、鵙枝さんから、直接話しが聞ける。

しかし、その前に、ちょっと覗いてみようと思った。


弘は、幸町へ向かった。

幸町には、栗林銀行、石鎚山支店がある。

しかし、栗林銀行へは行かない。

目指すは、石鎚山銀行本店だ。


会えるとは思っていない。

焦らなくても、夕方には会える。

しかし、ちょっと、見る事が出来るかもしれない。


石鎚山銀行本店近くの駐車場へ車を停めた。

マドンナ通りには、大手企業が建ち並んでいる。

脇道へ入るとアーケード街になっている。


弘は、遅い昼食を摂りに、アーケード街へ向かった。

旨い「鯛めし」を食べられる店があると聞いていた。

それは「角水」だった。

以前、勤めていた会社で、肱川営業所へ出張した時に、「角水」へ行った事がある。


肱川市の「角水」は、居酒屋だった。

石鎚山市もに新店を開店しているそうだ。

昼間は、食事処になっている。

花宮水産、石鎚山営業所の所長から教えてもらった。

所長は「角水」本店の営業を担当している。


幸町のアーケード街へは、何度も千景と一緒に来ている。

しかし、「角水」に入った事は無い。

ちょうど良い、一度、行ってみる事にした。


聞いてはいたが美味かった。

そうだ、「時鳥」の鯛めしとは、少し違っていた。

どちらも、鯛の釜飯とは、全く違う。


昼食を終えて、アーケード街からマドンナ通りへ出た。

ゆっくり歩いて、銀行へ向かった。


用も無いのに、ATMコーナーの前を通って、店内に入った。

入出金、振込の受付窓口を通り過ぎ、奥へ向かった。

一番奥に、融資相談窓口があった。

窓口の受付席には、誰も居なかった。


ずらっと並んだ、受付窓口の前を戻った。

石鎚山銀行から出た。

すぐ近くにある栗林銀行、石鎚山支店へ入った。

ATMコーナーで、暫く順番待ちだ。

現金を引き出して、いつも満車状態の駐車場へ戻っていた。


そうだ。

栗林銀行まで、行く必要がない事に気付いた。

石鎚山銀行のATMで、現金を引き出す事が出来るのだった。

ちょっと舌打ちしたが、すぐ、苦笑いに変わった。


アーケード街から、沢山の人が、駐車場のフェンスの脇を行き交っている。

ちょうど、昼休みを終えた会社員と、今から昼休みの会社員が、すれ違う時間帯だ。


あっ。

銀行の方へ、歩いて来る人の中に居た。


鶴見だ。

若い女性と一緒だが。


間違い無く鶴見だ。

ただ、三之洲工場で見掛けた時と、印象が違った。

不遜と云うか、傲慢と云うか、横柄と云うか。

悪口をいくら並べても足りない。

そんな印象だった。


若い女性と一緒だからか。

何だか、優しそうな表情をしている。

柔和で大人しくて、そうだ。

もっと云えば、腑抜けのように見える。

これも悪口になってしまった。


若い女性は、石鎚山銀行へ入って行った。

鶴見課長は、石鎚山銀行の出入口から、また、アーケード街へ向って行った。


迷いは無かった。

弘は、鶴見課長の後を追った。


鶴見課長が、ビルの前で立ち止まった。

二階の方を見ている。

二階は、喫茶店のようだ。

「やま」という看板が見える。

階段を上るのかと思った。

しかし、腕時計を見て、また歩き始めた。


弘は、スマホを見ている振りをして、鶴見課長の後を付けた。

特に、目的を持って、歩いている訳ではなさそうだ。

待ち合わせ時間までの、時間潰しに違いない。


現在、十五時二十分くらい。

十八時に、花宮水産の営業所長と約束している。

それまでには、花宮水産の営業所へ到着しておきたい。

それには、十七時くらいに、花宮水産へ向かわなければならない。

渋滞に、巻き込まれたくないからだ。


鶴見課長は、喫茶「やま」で待ち合わせをしているのだろうと思う。

一か八か、「やま」で待ってみよう。


弘は「やま」でコーヒーを注文した。

何だか「止り木」と同じ様なレイアウトだ。


客は、サラリーマン風の男ばかりだ。

外回りの会社員が、一旦、会社へ戻る前に立ち寄る場所なのか。

あるいは、社内で話しづらい内容を打合わせる場所なのか。


大手会社の建ち並ぶマドンナ通りから、少し離れている。

しかも、一階ではなく、二階にある「やま」。


つまり、サラリーマンの憩いの場所だろうか。

いや、隠れ家だろう。

カウンター席に一人。

カウンターのすぐ後ろで、一番奥のテーブル席に二人。


窓際のテーブル席で、ぼんやり窓から下を眺めていた。


来た。

十六時前、鶴見課長らしい。


弘は、スマホを操作している振りをした。

入口から、弘の横を通った。

刹那、顔を見た。

やはり鶴見課長だ。


鶴見課長が奥へ向かった。

窓際の一番奥のテーブル席に着いた。

弘からは、背中しか見えない。


十六時過ぎ、客が入って来た。

弘の横を通って、奥へ向かった。

男が、鶴見課長の向いの席に着いた。

鶴見課長の、待ち合わせた男に間違いない。


後から来た男にコーヒーが運ばれた。

店員が離れると、二人は、頭を突き合わせるように話しをしている。


当然だが、二人の会話は聞こえない。

男は、時折、椅子の背凭れで伸びをする。

背格好は弘と同じくらいだ。


弘は、スマホのカメラで男を撮った。

男は、弘よりも若いと思う。

当然、鶴見課長よりも随分と若い。


鶴見課長の表情は分からない。

しかし、上下関係は無さそうだ。

つまり、朱雀製紙の関係者だとしても、対等な立場の男だ。


男は、細面の整った顔立ちだ。

一度笑顔を見せたが、それさえ冷徹な印象だった。


一時間程して、鶴見課長と男は店を出た。

弘も慌てて店を出た。

階段を下りて、通りを見た見渡したが、二人の姿は無かった。


また、慌てて、駐車場へ戻った。

急いで花宮水産、石鎚山営業所へ向かった。

この辺りの、この時間は交通量が多い。

建ち並ぶ企業の社員が、帰社する時間だ。

あるいは、会社員が退勤して帰宅する時間だ。


まだ、早かったのだろうか。

さほど、渋滞はしていない。


しかし、あの男は何者だろう。

また、謎の男が登場した。

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