1.記録

「それは、分かりません」

鳩井が答えた。


雉内刑事は、一年前の事故を調べようと思う。

鴇沢課長に、そう報告をした。

一年前、鷲尾と鷹山、鵜川、鳩井が、石鎚山へ登った。

その途中、鷲尾が崖から転落した。


話しは変わるが、二週間前、「時鳥」で、鷹山と鵜川が口論になった。

原因は、鷹山が、鷲尾の転落事故の真相を暴露しようとした事らしい。

いきなり「時鳥」で、鷹山が、喋り始めた。


それを遮ったのが鵜川だ。

鷹山が、鷲尾の転落事故の話しを始めて、すぐに鵜川が遮ったのだ。

もしかすると、鵜川も知っていたのではないか。


最初は、鵜川が、同席している鴨池さんの心情を慮って、遮ったと思っていた。

もしかすると、鵜川も鴨池さんに、好意があったのかもしれない。

しかし、鴨池さんの証言を考えていると、ちょっと違った事を思い付いた。


一年前、鷲尾が、ある「部長」に呼び掛けられた。

更に、喫茶店で、もう一人の男が、その「部長」に、「何とかします」と云っていた。


鵜川も、鷲尾の転落事故の真相を知っていたのかもしれない。

更に、その一件を喋ると、危険だと感じていたのかもしれない。


しかし、二人共、殺害されてしまった。

鷹山が、話そうとした内容は判らない。


鴇沢課長が、意見した。

今回の捜査は、あくまでも、鷹山、鵜川の連続殺人事件だ。

それが、最優先だ。

既に、事故として処理された鷲尾の転落に拘るのは、時間の無駄ではないか。

という意見だった。


しかし、二週間経っても手掛かりさえ掴めない。

朱雀製紙の派閥争いという、仮説だけで捜査しても、何処にも辿り着けない。

だから、一年前の鷲尾の事故死から、事件を追ってみたい。


雉内刑事は、無口だが、今日ばかりは、能弁に喋り押し切った。

雉内刑事自身も意外だった。

ただし、警察署へは、帰って来るように注意された。

きっちり報告するように、との指示だった。


三之洲工場を訪ねると、物流部へ案内された。

鳩井は、出荷プラットフォームの脇にある事務室に居た。


それで、雉内刑事は、鳩井に改めて尋ねたのだった。

何か手掛かりになる事がないかと鳩井に再度、聴取を実施した。

だが、鳩井は内容を知らなかった。


事件当日も鳩井は、三之洲工場へ、出張で詰めていた。

しかし、鷹山からは、事前に話しも聞いていない。

鳩井は、鷹山が、鴨池さんを誘っていた事も知らなかった。

鴨池さんから聴取した内容と同じだった。


雉内刑事は気付いた。

「防犯カメラの映像。見られますか」

雉内刑事は、鳩井に尋ねた。

視点を変えた。

出荷プラットホームに防犯カメラが設置してある。


うっ!

鳩井が、何か驚いたようだ。

雉内刑事は、鳩井を見た。

鳩井が「何でもない」というように、首を横に振った。


鳩井も、何かに気付いたのだろう。

しかし、その事には、触れなかった。

更に、雉内刑事は、出荷場の管理方法を尋ねた。

鳩井が、詳細は知らないと応えた。

出荷事務室の責任者が、説明した。


まず、工場へ入るには、入構証が必要との事だ。

それは、雉内も知っている。


工場を訪ねる場合は、許可が必要になる。

予約無しに訪れた場合は、門扉脇の守衛室に、訪問主旨と訪問部署を伝える。

守衛室には、入退管理担当者が居る。

管理担当者が、関係部署に伝える。

関係部署から許可があれば、入構証を訪問者に渡す。

例えば、工場見学者等だ。

と、いうのが原則だ。


原則があれば、例外もある。

入退管理室の担当者と顔見知りの人には、用件を確認する事無く入構証を渡している。

関係会社の人等は、例外的に関係部署に確認しない。

例えば、運輸業者のトラック運転手だ。

入構と退出日時の記録は、二ヶ月保存されている。事になっているのだが、実は、パソコン導入以来、ずっとファイルが残っているそうだ。


もう一つ。防犯カメラで管理している。

防犯カメラの映像は、二ヶ月保存されている。

二ヶ月を過ぎると、前々月の映像は、消去される。

これは、確実に消去されている。


成程。

つまり、一年前の入退映像は残っていない。

しかし、入退記録は残っている。

だから、鷲尾が声を掛けられ日付を特定出来れば、ある程度、人物を絞り込める。


雉内刑事は、一年前の入退記録データの提出を求めた。

責任者は、すぐ、入退管理室にデータの提供を指示した。

映像は、部外者の視聴も提供も禁止されている。

ただ、警察の依頼は例外らしい。


雉内刑事は、もう一度、鳩井が東京本社から、三之洲工場へ出張していた理由を確認した。

鳩井の答えは、会計監査だった。

そんな筈がない。


朱雀製紙の監査法人が、半年に一度、監査を実施している。

入社したばかりの新入社員に出来る訳がない。

しかし、鳩井が、そう言い張るので、追求をしなかった。


雉内刑事は、ちょっとだけ、意地悪く尋ねた。

会計監査なのに、何故、出荷事務室に居るのか。

鳩井は、淀むこと無く、業務全般の現状を把握する事が目的だ。と答えた。

最初から答えを準備していたようだ。


最初に尋ねた時は、会計監査だ。と答えていた。

雉内刑事は、敢えて追求しなかった。


鳩井は、鴨池さんと会っていたのかもしれない。

あるいは、連絡を取り合った。

そして、鷲尾に声を掛けた男の存在を知った。


鴨池さんから頼まれたのか、鳩井の意志なのかは分からない。

出荷プラットホームで、鷲尾に声を掛けた男を特定しようとしているのかもしれない。


そうか。

防犯カメラに、気付かなかったのだ。

鳩井は、出荷プラットホームの事務室から、入構者を見ていたのだ。

片っ端から、スマホで写真を撮るつもりだったのかもしれない。

雉内刑事は、鳩井に防犯カメラというヒントを与えたのかもしれない。


門扉脇の事務室には、工場への入退記録が残っている。

鳩井が鴨池さんに連絡して、男が入構した日を確認し、特定するかもしれない。


そうか。

朱雀製紙に要請して、鴨池さんに協力を依頼すれば、特定出来る可能性がある。

それこそ、片っ端から防犯カメラ映像を見てもらえば良い。


ただ、二ヶ月分の映像に映っていれば、だが。


「また、お訪ねすると思いますが、よろしくお願いします」

雉内刑事は云った。


三之洲工場を出る時、門扉脇の事務室で、一年前の入退記録データをもらった。

雉内刑事は、鴨池さんに、日付の特定を依頼する事にした。

鳩井から鴨池さんに、連絡しているとは思うのだが。


本当に、鷲尾に声を掛けた「部長」が、事件に関係しているのか。

鳩井の出張も気になるが。

しかし、雉内刑事自身が主張した事だ。

諦める訳にはいかない。


鳩井が、三之洲工場へ詰めている理由は、何となく理解できる。


まだ、昼前だ。

次へ回ろう。

雉内刑事は、鴇沢課長との約束通り、警察署へ戻れそうだ。

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