三章
何かあったのか。
鴨池さんからメッセージだ。
小さな会議室を陣取って五年分の資料を確認していた。
鴨池…相談があります…
…今日、刑事さんが来ました…
…鷲尾さんの話しをしていて、気になる事があります…
鳩井…ちょっと待って。電話で話しましょう…
鳩井は、メッセージの内容が残る事を危惧した。
「刑事」と云う言葉で、過敏になっているのかもしれない。
「刑事」と云うからには、今回の事件に関する聴取だろう。
今回の事件が、鷲尾の事故に関係しているのか。
いや、考え過ぎなのかもしれない。
何れにしても、事件については、慎重に処理しなけらばならない。
鳩井は、かなり自由に勤務している。
しかし、鴨池さんは、本社の経理課で、日常業務に追われている筈だ。
と、思っていた。
ところが、鴨池さんから、すぐに着信があった。
今はまだ、実務研修中だそうだ。
指導するのは、経理課の事務員だ。
だから、その事務員自身が、担当事務の処理中は、時間が空いてしまうそうだ。
鴨池さんは相談したい事があると云う。
内容は、会って話したいとの事だった。
指定されたのが、市内中心部から少し離れた喫茶店「止り木」だった。
三之洲市から石鎚山市へ入ってすぐの場所にある。
鳩井は、「止り木」に、入ったことは無い。
そうだ。
「鴨池さん。メッセージは、削除してください」
鳩井は、雁谷常務から最初に指示された取り決めを鴨池さんへ伝えた。
連絡は電話のみだ。
勿論、雁谷常務の指示だとは云っていない。
鳩井は、定刻に退勤して、「止り木」へ向かった。
店に入ると、既に鴨池さんは来ていた。
一番奥のテーブル席だ。
軽く会釈して、鴨池さんの前に腰掛け、コーヒーを注文した。
事件から、まだ二週間しか経っていない。鳩井には、随分、昔の事のように感じた。
「落ち着きましたか」
鳩井は、運ばれたコーヒーを一口啜って云った。
鴨池さんが「はい」と云って、店の入口に目を遣った。
「あっ」
鴨池さんが、何か驚いている。
慌てて立ち上がった。
いきなり鳩井の隣に席を移した。
鳩井に隠れるように、密着してきた。
鴨池さんは、驚いたのだろうが、鳩井も驚き慌てた。
そして、少し、胸が高鳴った。
どうやら、店に入って来た男に驚いたらしい。
鳩井は、スマホのメモ帳へ書き込んで、鴨池さんに見せて尋ねた。
「どうかしまそたか?」
打ち間違いに気付いた。
しかし、意味は通じたようだ。
鴨池さんもスマホのメモ帳を開いた。
鳩井は、鴨池さんの書き込みを覗いていた。
「あの刑事さんが入って来た」
そう書き込んで、鳩井の目を見つめた。
不謹慎だが、鳩井は鴨池さんに見惚れてしまった。
鴨池さんの書き込みが続く。
今日、聴取に来た雉内刑事が店に入って来たと伝えている。
雉内刑事と云えば、鳩井も「時鳥」で事情聴取されている。
暫くすると、誰かが雉内刑事に声を掛けた。
今、店に入って来た男性客のようだ。
男が、雉内刑事のテーブルに同席したようだ。
偶然、出会したようだ。
鳩井は、鴨池さんと、後ろの席での話しを聞いていた。
男は、どうやら、鵜川の遺体発見者らしい。
今週いっぱいで、栗林市へ戻るらしい。
今回の事件に、関心があるようだ。
男は「時鳥」へ雉内刑事を誘って、一緒に店を出た。
やっと、鴨池さんの気になったと云う話しを聞いた。
鷲尾は、大学時代、ずっと朱雀製紙の三之洲工場でアルバイトをしていた。
鷲尾が四年生になる直前の事だった。
三之洲工場で、鷲尾に話し掛けた「部長」が居た。
一年前も、今も、三之洲工場で「部長」職は四人だ。
物流部長、業務部長、営業部長、そして工場長だ。
ただし、工場長は「部長」とは呼ばれない。
工場長は「工場長」と呼ばれている。
だから、「部長」と呼ばれるのは三人だ。
その四人の部長の中に、その「部長」は、居なかった。
もしかすると、本社や営業所の「部長」だったのかもしれない。
その日、この喫茶店で鴨池さんは鷲尾と待ち合わせていた。
そして、この喫茶店に、その「部長」が偶然入って来た。
鴨池さんは、その「部長」を見て、今も覚えている。
少なくとも、石鎚山営業所にも、石鎚山本社にも、その「部長」は居ない。
勿論、東京本社や他営業所の「部長」かもしれない。
しかし、言葉は、この地方の方言や、特徴的な抑揚が混じっていた。
だから、鴨池さんは、朱雀製紙の関係会社の「部長」ではないかと思っている。
「それで、子会社の部長の写真でも送ってくれっちゅう事か?」
鳩井は、それが、鴨池さんの依頼だと思った。
「そうやなあ。写真っかあ」
鴨池さんは、今、気付いたようだ。
何をどうすれば良いのか、分からなかったようだ。
鳩井の言葉で、「部長」を探す方法が分かったようだ。
実際、鴨池さんは鳩井に会って、何を相談するのかも、はっきり分かっていなかったようだ。
「お願いします」
鴨池さんが、そう云って鳩井の目を見つめた。
「あっ!」
そして、また、何か気付いたようだ。
雉内刑事と男が、店から出た後も、ずっと、鳩井の横に並んで席に着いていた。
鴨池さんが、恥じらうように席を立った。
鳩井の正面の席に着き、顔を紅くして何か云った。
「えっ?」
鳩井は、聞き取れなかったので、聞き返した。
鴨池さんが、もう一度、今度は鳩井に聞こえるように云った。
「いえ。鳩井さんが、優しいから、つい甘えてしもうたんよ」
また、鳩井は戸惑った。
正真正銘、今度は、鳩井の顔が赤くなった。
鳩井は、鴨池さんの依頼を引き受けて、一緒に店を出た。
会社から三之洲市に、社宅としてアパートを借りてもらっている。
アパートへ帰って、缶ビールを飲んだ。
鷹山の事件当日を思い返した。
鷹山が、鴨池さんを飲み会に誘った。
「時鳥」で飲み始めて、鷹山が鷲尾の事故の話しを始めた。
途端、鵜川が話しを遮った。
鳩井は、その時、鵜川が鴨池さんの事を慮って、話しを遮ったのだと思った。
しかし、もし、鷲尾の事故が仕込まれものだとすると。これは事件だ。
そして、鷹山が、その情報を掴んだ。だから殺害された。
鵜川が、鷹山の掴んだ情報の暴露を阻止しようとした。だから、鷹山を殺害した。
もしかすると、鵜川が鷲尾を崖から突き落としたのかもしれない。
「部長」と呼んでいた男が、立入禁止の標識を茂みへ隠した。
そして、その男が鵜川に鷲尾を崖から突き落とすように指示したのかもしれない。
何故?
鷲尾は、東京本社勤務が内定していたからなのか。
あまりにも、想像が飛躍してしまったかもしれない。
鳩井は、もう一本、缶ビールを開けた。
もう一つ、鳩井は、気になる事があった。
鷹山や鵜川は、それなりに、インターンシップへ参加し、積極的に就職活動をしていた。
鷲尾は、ずっと三之洲工場でアルバイトをしていた。
だから、インターンシップには、参加していなかった。
鳩井は、願書登録し、入社試験と面接を受けただけだった。
鷲尾は、早くから東京本社へ配属が決まっていたようだ。
鳩井は、元々、東京本社へ配属が決まっていたのだろうか。
それとも、鷲尾が死んだので、東京本社へ急遽、配属になったのか。
今回の三之洲工場への出勤も、無謀な指示だと思う。
同じ大学の同じゼミ出身の同期の三人が亡くなっている。
内、二人が殺害されている。
しかも、まだ、犯人は捕まっていない。
次は、鳩井かもしれない。
雁谷常務から電話だ。
「はい。鳩井です」
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