9.初耳

「ビール、ください。はい。瓶ビールで。雉内さんは?」

弘は、今日も「時鳥」に来てしまった。

梟旗店主の予言した通りになった。

雉内刑事に飲み物を促して、勝手に喋り始めた。


弘は、居酒屋「時鳥」へ来る途中、喫茶店に立ち寄った。

偶然、だった。

雉内刑事が、コーヒーを飲んでいた。

雉内刑事が、何故か驚いていた。

弘は、雉内刑事を「時鳥」へ誘った。


開店して、間もない時間だったので、他にお客は居なかった。

弘は、迷わず、真ん中のテーブル席に着いた。


最初のお客さんは、大抵、一番奥の席に着くらしい。

次が、入口の席で、人気が無いのが、真ん中の席だそうだ。

以前、梟旗店主から聞いていた。


「この席に、朱雀製紙の四人が陣取ってたんですよ」

弘は、雉内刑事に云った。


「知ってます」

雉内刑事が、無関心に云った。

それはそうだろう。

雉内刑事が、現場で事情聴取したのだから。

弘は、気にせずに話しを続けた。


つまり、朱雀製紙の四人が、最後に「時鳥」に入って来たのだ。

最初に店に入ったのが、雲雀運輸の鳶田と石鎚山銀行の鵙枝さんの筈だ。

二人は、一番奥のテーブル席に着いた。


弘は、勝手に喋り続けた。

次に来店したのが、孔雀ティッシュの鷺岡夫妻だ。


「違うけどな」

梟旗店主が訂正した。

確かに、鳶田と鵙枝さんが、当日の最初のお客だった。

鳶田と鵙枝さんは、初めて来店されたお客だった。

予約も無かった。


次に来たのが、朱雀製紙の四人だった。

鳶田と鵙枝さんが来た後、朱雀製紙の鷹山から予約があった。

一番奥の席が空いていなかったので、入口の席を予約席にしていた。


ところが、朱雀製紙の四人は、別の人の予約席だと思った。

入口席に予約札が立ててあったからだ。

四人は、勘違いして、真ん中の席に着いたようだ。

梟旗店主は、その席で良いか確認すると、真ん中の席で良いとの回答だった。


その後、鷺岡夫妻が店に来た。

元々、鷺岡夫妻は、店に来る事になっていた。


「つまり、偶然、朱雀製紙の関係者が集まった」

雉内刑事が云った。

雉内刑事が、その結論に不満そうだった。


「それを調べるんが、警察やと思うけどなあ」

弘は皮肉を云って、話しを続けた。


弘は、雉内刑事が、何かを知っていると思った。

しかし、雉内刑事が、捜査情報を漏らす訳が無い。


それにしても、梟旗店主も手強いしなあ。

「先日、お通しで、ふぐざく、を食べたんやけど…」

弘は、歯ごたえと、柑橘系醤油との相性の良さを長々と力説した。

約めて云えば「ふぐざく」が美味かったという事だ。


「知ってます」

雉内刑事が、閉口したようにいった。


着信音。

「ちょっと待ってよ」

弘は、スマホを確認した。

メッセージグループ「家族」だ。


千景から、鶴見課長の情報だ。

ビールを飲みながら、スマホに見入った。

勿論、肴は「ふぐざく」だ。


「成程なあ」

弘は、不器用な手つきで、スマホに入力した。

お母さんからの、お叱りメッセージを確認した。

そして、言い訳を送信した。


「一年くらい前に、鶴見さんが、来ましたか?」

弘は、梟旗店主に尋ねた。

鷺岡が、店に来た時、鶴見さんを見掛けたと云っている。


「来とったな」

梟旗店主が、素直に答えた。

梟旗店主が、鶴見課長との関係を話した。


「えっ。知らなかった」

雉内刑事が、目を見張った。


鶴見課長は、朱雀製紙に入社して、研修後、経理課に配属された。

梟旗は当時、経理課で係長をしていた。

だからと云って、特別、親しかった訳ではない。

勿論、対立していた訳でもない。

三年後、鶴見課長は、製造部門へ異動した。

以来、同じ部署で働いた事はない。

梟旗とは、全く関わりが無かった。

社内ですれ違うくらいだった。


その後、鶴見課長は、人事部秘書課に異動した。

鶴見課長に、悪い噂が付きまとうようになっていた。

ちょうど、雁矢清継副社長の秘書になった頃からだ。

鶴見課長と関わるようになったのは、梟旗が、孔雀ティッシュへ転籍してからだ。


梟旗が、孔雀ティッシュへ転籍して間もなくの事だ。

鶴見課長が、孔雀ティッシュへ来た。

突然、部長席へやって来た。

梟旗は、鶴見課長に応接室へ連れ込まれた。


そして、いきなりだった。

「専務に、協力されるんですね」

専務というのは、雁矢清孝専務の事だ。

それは、理解出来た。

しかし、雁矢専務に協力…と云う意味が分からない。


ただ、下手な回答は、出来ないと思った。

雁矢専務が子会社を統括している。

そして、鶴見課長は、課長とは云え、雁矢副社長の秘書で、雁矢専務の側近だ。

曖昧な表情で、切り抜けようとした。


すると、鶴見課長が話しを進めた。

前任の業務部長は、定年退職前に、大病を患い入院した。

再起可能かどうか不明だ。

そして退職した。

そこで、急遽、梟旗が抜擢された。

梟旗は、雁谷社長派でも、雁矢副社長派でもなかった。

梟旗は、ここでも、派閥争いが関係しているのかと驚いた。


最後に鶴見課長から「良く考えてください」と云われた。

鶴見課長の確認は、その最初の面談だけだった。

以降は、雁矢専務からの指示を伝えるだけだった。


内容としては、毎月の新規取引先リストの策定ばかりだった。

ただ、鶴見課長から持ち込まれる案に、疑義があった。

貢献会社の貢献度合が、余りにも恣意的に思えた。

孔雀ティッシュの営業スタッフの貢献度が、余りにも低く評価されていた。

部長就任以降、二ヶ月間データを検証してみた。

データを見る限り、ほぼ、孔雀ティッシュの営業スタッフの営業努力だけだった。


この新規取引先リストを雁谷友信社長に提出して、承認を求める事に躊躇した。

しかし、それが梟旗の業務だった。


「それで、会社、辞めたんや」

梟旗店主は、憮然として云った。


「最初、鶴見さんは、協力を強制したんですか」

弘は、最初に目撃した鶴見課長の印象から、そう思った。

梟旗店主の話しを聞いていて、何故か、印象が違っていた。

ただ、梟旗に対する接し接し方を考えると、最初の印象通りなのだが。


「そうやなあ」

梟旗店主が首を傾げた。

梟旗店主も、不思議に思っていたのかもしれない。


鶴見課長は特に、話しをする事もなく、静かに酒を飲んで帰った。

何故、「時鳥」に来たのかは、分からない。


「同じくらい。一年前くらいから、鷺岡さんを店に誘っていたんですか」

弘には、もう一つ確認したい事があった。


鷺岡は、梟旗店主から、店に来るように誘われるようになっていた。

そう云っている。


「そうや」

これも、梟旗店主は肯定した。


「知らなかった」

雉内刑事が驚いている。


「どうしてですか」

弘は尋ねた。


「鶉野に頼まれた」

梟旗店主が、アルバイト店員へ、一瞬目をやって云った。

アルバイト店員は、鶉野奈津という。

鴇沢課長が、珍しい名前だと云っていた鶉野部長の娘だ。

鶉野奈津は、大学三年生の時から「時鳥」でアルバイトをしているそうだ。

卒業後も、訳あって就職せず、アルバイトを続けている。


その日、鷺岡を店へ誘うように頼まれたそうだ。

理由は云わなかったそうだ。

梟旗店主が話し終えた。


「これは想像やけど」

鶴見は鷺岡が「時鳥」に来ているかどうかを確認に来たのではないか。

弘は、思った通り云った。

それに。

何か話しが熟れている。

筋書き通りの話しをしているように思えた。


「店に来たんは、先日。じゃない。昨日やで」

梟旗店主が、気を変えるように云った。

「それになあ。明日は、来たらあかんで」

真顔で付け加えた。


「それって…」

弘は「時鳥」を出入禁止になったのか。


「明日は、定休日なんや」

梟旗店主が、やはり真顔で云った。


弘は、明日も「時鳥」へ通うつもりだった。

「知らなかった」

危なかった。

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