5.愚痴
「まいど」
梟旗店主が、愛想良く声掛けした。
「まいど」と云われても、毎日来ている訳ではない。
確かに、昨日も昼間、ラーメンを食べに来ている。
ただし、その時に、初めて「時鳥」に来たのだ。
既に、テーブル席は埋まっている。
殺人事件があったばかりなのに、客足は戻ったようだ。
しかし、カウンター席には、誰も掛けて居ない。
弘は、カウンター席に着いた。
椅子が少し高い、
「毎日、来てくれるんやなあ」
梟旗店主が嬉しそうに云った。
「と云っても、明日、来るかどうかは、分からないです」
天邪鬼の弘が云った。
「また、屹度、来ますよ」
梟旗店主が云った。
これは本当に、感謝しているのか。
それとも、皮肉なのか。
「時鳥」としては、店が繁盛するのだから、喜ばしい事だろう。
しかし、梟旗店主としては、前職をほじくり返したり、お客の情報を聞かれたり、好ましくない客だろう。
今日は、アルバイト店員の、鶉野奈津を見に来た。
ただ、見るだけだ。
昨夜、雉内刑事の手帳を覗き見た。
「時鳥」、鶉野奈津とあった。
勿論、お客さんではない筈だ。
「時鳥」の、お客さんだった場合には、勤め先をメモしているだろう。
だから、「時鳥」に関係する女性だ。
店主は、梟旗辰夫だ。
鶉野ではない。
確かに、「時鳥」に女性店員がいた。
つまり、あの女性店員だ。
鶉野奈津は、「時鳥」のアルバイト店員だ。
の筈だ。
「時鳥」は繁盛している。
昼は、ラーメンを提供し、夜は居酒屋になっている。
アルバイトを雇っていても、不思議ではない。
しかし、鶉野奈津が、孔雀ティッシュの鶉野部長の関係者だとすると。
「時鳥」に居た全員が、朱雀製紙の関係者という事になる。
そうなると、「時鳥」の事件は少し見方が変わる。
「時鳥」脇の路地口で鷹山が刺殺された。
鵜川が逃げた。
「時鳥」に居た鳩井が証言した。
それ以上の事は分からない。
そう、「時鳥」に居た全員が証言した。
あまりにも、都合が良過ぎる。
例えば、全員で鷹山を殺した。
あるいは、本当に鵜川が鷹山を殺した。
そうでなければ、鵜川が行方不明になったりはしない。
全員で鵜川を匿った。
全員で口裏を合わせた。
という事も考えられる。
十日余り、鵜川の行方が分からなかった。
だから、「時鳥」に居た誰かが匿っていたとも考えられる。
協力者が居たかもしれない。
事件の後、全員、あるいは何人かが、関わっていたのだろう。
それでも、鷹山を殺害する動機が分からない。
寄って集って、鷹山を殺害するだろうか。
女将さんの手が伸びた。
お通しだろうか、女将が小鉢を目の前に突き出した。
何だろう?
すぐに瓶ビールとグラスが運ばれた。
運んで来たのが、アルバイト店員の鶉野さんだ。
焼き鳥は、まだ焼いている最中だ。
弘は、大抵、メニューに、焼き鳥があれば注文する。
もう暫く掛かりそうだ。
ビールを一気に、飲み干した。
「お客さん。何、なさってる方ですか」
意外な事に、女将から話し掛けられた。
昨日は、家族連れだったし、どんな仕事か聞けなかった。
娘さんは、利発そうだ。
お母さんにそっくりで、きっと美人になる。
女将は、仕事を尋ねたのだが、応えを聞かずに喋り続けた。
「もう、喋んなや。黙っとき」
助かった。
梟旗店主が、焼き鳥をテーブルに置きながら注意した。
焼き鳥は、串に刺さっていない。
バラバラで、皿に盛られている。
しかも、たれ焼きだ。
いつもは、塩焼きを注文するのだが。
うっかりしていた。
しかし、まあ、女将さんのお喋りから解放される。
と思った。
「新聞か雑誌の記者さんには、見えんしなあ」
女将が、まだ喋り掛けてくる。
興信所の探偵さんにも見えない。
弁護士事務所の調査員でも、なさそうだ。
どこの家庭ても、そうなのか。
お母さんは、弘の云う事なんて、絶対に、聞かない。
意地になっているようにしか思えない。
弘は焼き鳥を食べた。
たれ焼きを嫌っていたのだが、食べてみると美味い。
サラリーマンで、ない事は分かるのだが。
と、女将のお喋りは続く。
「もう、止めんかな。儂の言う事、聞かんやっちゃなあ」
梟旗店主が、また、注意した。
「何、言うとんかな。誰かさんも、言う事、聞かんかったわなあ」
女将さんが反撃する。
怖い。
穏やかな、表情と言葉が怖い。
女将は梟旗店主が、何の相談もなく仕事辞めてしまった。と暴露した。
会社を移って、部長になって、役員になるって豪語していた。
なのに、元の会社の、それも課長に、嫌な事云われて、会社を辞めてしまった。
まだ、穏やかに、女将の抗議は続く。
不味い。
「それは、申し訳ありませんでした」
弘は、女将に謝った。
女将は驚いたようだ。
弘も、お母さんに相談せずに会社を辞めた。
弘は、その時の話しを語り始めた。
女将は、梟旗店主への不満を止めて、弘の話しに聞き入った。
話し終えると、女将さんが云った。
「でも、退職金で、この店を始めて良かったと思うんよ」
どうやら、女将の怒りは、収まったようだ。
弘は、焼き鳥を食べ終えていた。
女将の云う、元の会社の課長とは、鶴見課長の事だろうと思う。
女将が、鶴見課長の事を快く思っていない事は、ありありと分かる。
梟旗店主にしろ、女将にしろ、自分達の事は、何も隠すつもりが無いようだ。
「元の会社の課長とは、鶴見秘書課長ですか」
弘は、厚かましく尋ねてみた。
「まあ…」
梟旗店主が口を濁した。
否定も肯定もしない。
つまり、自身の事に付いては、隠さないが、他人の事に付いては、喋らない。
そういう事か。
雉内刑事に聞いても、答えてはもらえないだろうし。
これは、千景に探ってもらうしか、無いようだ。
ビールを飲んだ。
まだ瓶に、少しビールが残っている。
お通しの小鉢を食べてみた。
美味い。
しつかり、歯応えのある食感。
柑橘系の酢醤油に、良く合っている。
ふぐだな。
何だろう。
目線を上げて、メニュー板から探した。
これだな。
「ふぐざく」だ。
しかし、もう帰らないと。
バスが無くなる。
明日は、「ふぐざく」で一杯に決まりだ。
成程。
梟旗店主が云った通りだ。
やはり、明日も「時鳥」へ、来る事になるんだ。
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