4.事情

雉内刑事は、三之洲市に来ている。

昨夜、孔雀ティッシュの「鶉野」という名前を聞いた。

鴇沢課長が、「鶉野」という名字を珍しいと云った。


雉内刑事は、聞き覚えがあった。

「時鳥」のアルバイト店員の名前だった。

孔雀ティッシュの鶉野部長と、アルバイト店員には、何らかの関係がある。

と鴇沢課長が思った。


しかも、秋山弘氏から「時鳥」の店主の前職を知らされた。

店主の梟旗辰夫は、朱雀製紙に勤めていた。


いや、厳密には、朱雀製紙から孔雀ティッシュへ、業務部長として転籍している。

梟旗は、朱雀製紙の経理課長を役職定年していた。

役職定年して二年。

定年退職まで三年足らず。


朱雀製紙の元経理課長から孔雀ティッシュの業務部長に昇進しての転籍だった。

通常は、役職定年と同時に、子会社へ転籍する事が多い。

だから、異例だった。


とは云っても、親会社から子会社への転籍だ。

普通に考えると、朱雀製紙に用は無い。と云われているように思える。


しかし、考えように拠っては、好機だったのかもしれない。

定年退職まで、三年近くある。

しかも業務部長だ。

孔雀ティッシュの業績は好調だ。

上手くすれば、執行役員になれるかもしれない。


そう考えたのかもしれない。

もう一度、梟旗に話しを聞く必要がある。


「時鳥」の事件があった時、店内の客の一組に、鷺岡夫妻が居た。

鷺岡良輝は、孔雀ティッシュに永く勤めている。


梟旗が、孔雀ティッシュへ転籍した時に在籍していた筈だ。


要するに、「時鳥」に居た全員が、朱雀製紙と何らかの関係がある事になる。

だが、「時鳥」の事件では、女将と妻が同級生だと云っていた。

店主の梟旗との関係は明かさなかった。


梟旗も鷺岡も、何故か関係を隠していた。

だから、雉内は、鷺岡を訪ねた。


鷺岡は、すぐ、聴取に応じた。

鷺岡は、材料調達スタッフだそうだ。

材料調達と云っても、調達先は、朱雀製紙と、その子会社ばかりだ。

失敗したとしても、融通が利く。

三之洲には、朱雀製紙の関係会社が軒を並べている。


つまり、鷺岡は、閑職に追い遣られているのだろう。

あるいは、何か別に業務を抱えているのかもしれない。


鳩井の出張にしても、怪しい。

まだ二年目の新人だ。

そんな新人に、工場の監査なんか出来るのか。

何か別の業務を抱えているのかもしれない。

と云っても、新人だ。

重要な業務を任されているとも思えない。


雉内刑事は、「時鳥」梟旗店主との関係を直截尋ねた。

鷺岡は、素直に話した。


梟旗部長が着任した時に、鷺岡は材料スタッフだった。

鷺岡は同僚と一緒に挨拶を交わしただけだ。

材料スタッフと業務スタッフでは、業務上、無関係ではない。

例えば、材料スタッフの場合、業務スタッフが、材料管理システムのメンテナンスを実施する。

勿論、システムを運用するするのは、材料スタッフだ。

他部門のスタッフも同様だ。


しかし、梟旗部長と直接関わる事はない。

それに、梟旗は親会社から、部長として転籍。

鷺岡は万年平社員。

しかも、四ヶ月で梟旗部長は退職した。

会話どころか、社内ですれ違う事さえ無かった。

それで、同じ会社で居た。とは云い辛い。

何故、梟旗が退職したのか、理由は分からない。


噂では、雁谷友信社長と対立したらしいとか。

特に酷い理由としては、新規システムの採用で、不正があったとか。

あるいは、朱雀製紙の鶴見秘書課長に突き上げられたとか。


しかし、梟旗は以前から、雁谷友信社長と懇意にしていたそうだ。

朱雀製紙から、孔雀ティッシュへ引っ張ったのも雁谷友信社長だと聞いている。

更に、新規システムの導入に関する不正などあり得ない。と云う。

梟旗は、ずっと経理畑でシステムの事は、全くの素人だ。

しかも、転籍して、まだ四ヶ月。

開発業者と接触さえしていない。


ただ、鶴見課長が、何度か訪ねて来た。

鶴見課長が梟旗と面談した後、険悪な雰囲気だったそうだ。


しかし、鶴見課長と応接室で面談し、上機嫌だった人はいない。

だから、どれも、ただの噂だ。

それでも、鶴見課長との対立という事が、退職理由として濃厚だ。


成程。

秋山氏が云っていた。

鶴見課長は、評判が悪い。

それでも、本当の理由は分からないままだ。


梟旗が「時鳥」を開店して、通うようになっても、退職理由について話しはしていない。

本当に、梟旗小夜子と鷺岡佳代が、高校時代の同級生だった。

梟旗とは、それ以後の付き合いだ。


その後、鶉野部長が、朱雀製紙から転籍して来た。

当然だが、空席になった業務部長だ。


鶉野部長は朱雀製紙で、情報処理課長だった。

孔雀ティッシュにとっては、適任だったのかもしれない。

年齢は当時五十三歳だった。


朱雀製紙の鶴見秘書課長とは、同期だそうだ。

だから、だろうか。

険悪な雰囲気に、なった事は無かったそうだ。

不思議だ。


次に鷺岡本人の事だ。

鷺岡は、入社当初、材料スタッフだった。

当時は、材料の在庫管理を担当していた。

その後、主任として業務スタッフへ異動した。

梟旗部長が着任する直前、また主任のまま、材料スタッフとして勤務するようになった。

主任とは、管理職ても監督職でもない。

同一職種で、五年勤続すれば、皆、主任になれる。

つまり、主任という呼称の平社員だと云った。


鷺岡が訥々と喋り終えた。


信用出来る。

雉内刑事の、刑事としての勘。

いや、違う。

人として、そう感じた。


ただ、違和感はある。

人柄を表した、鷺岡の話し方だった。


しかし、話す内容は、熟れたものだった。

五年前の事だ。

まさか、毎日、考えていた訳ではないだろう。

あれだけ詳細に、覚えているだろうか。

もしかして、誰かと打ち合わせをしたのか。

これは、雉内の刑事としての勘だ。

だから、報告はしない。


「と、いう事でした」

雉内刑事は、鴇沢課長に報告した。

それにしても、あまり有効な情報は、得られなかった。


「それで?」

鴇沢課長が先を促す。


「ええっと。報告はそれだけです」

雉内刑事は戸惑った。

本当に、報告する内容は、それだけだ。


「鶉野や。鶉野部長と鶉野奈津の関係や」

鴇沢課長が待ちかねたように聞いた。


「鶉野奈津は、長女でした」

雉内刑事は、鴇沢課長に伝えた。

気になっていたのは、そっちか。

雉内刑事は呆れた。


「やっぱし。そうか」

鴇沢課長は、予想が的中した事に興奮したように云った。

これも、刑事の勘。だったのかもしれない。

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