3.確執
「ああっ。ちょうど良かった」
昨日、古びた喫茶店で、遭ったばかりだ。
弘は、「石寿司東雲店」の発券機に列んでいた。
大垣さん、その先輩「ミチコ」さんと千景のすぐ後ろだ。
幸か不幸か店内は空いている。
ちょっと諄いのだが。
幸いな事に空いている。
これは、テーブル席を確保出来る可能性がある。
しかし、不幸な事に空いている。
これは、誰かに呼び掛けられて、大垣さんに気付かれる可能性がある。
千景達三人の発券が、終わった。
席へ向かいかけた。
良かった。
大垣さんに、気付かれていない。
「同席させてください」
弘は雉内刑事に、小声で持ち掛けた。
「ええっ!」
雉内刑事が驚いた。
その時。
大垣さんが、振り向きそうになった。
刹那。
「ミチコさんって、男の人だったんですね」
千景が、大垣さんに話し掛けた。
「変に勘繰られても、嫌だったんよ」
大垣さんが、千景に向かって言い訳をしている。
これも余談だが、下手に隠す方が、勘繰られると思う。
千景が、腕を後ろ手に組んで、ピースサインをしている。
ナイスプレーだ。
「ミチコ」は男性だった。
当初から、千景が「ミチコ」は男性だと勘繰っていた。
千景の想像通り、「ミチコ」は「ミチオ」か「ミチヤ」なのか。
鴇沢課長が、何か勘付いたようだ。
雉内刑事が、鴇沢課長を見た。
鴇沢課長が頷いた。
席は、望み通りになった。
千景達三人の隣だ。
弘は、千景達三人の、すぐ後ろに座った。
レーン側で、千景と背中合せだ。
背凭れは高いので、顔は見えない。
弘の向かい、レーン側に雉内刑事。
雉内刑事の隣町、通路側に鴇沢課長。
鴇沢課長が、弘との同席に同意するには、何か企んでいるのだろう。
雉内刑事が、タブレット端末で注文している。
「チカ。こちらが」
大垣さんが千景に、先輩を紹介した。
「何にしますか」
雉内刑事が、弘に尋ねた。
「先にどうぞ」
弘は、先に鴇沢課長の注文を促した。
「ああ、終ってます」
雉内刑事が答えた。
「お茶どうぞ」
弘は、おしぼり、割箸とお茶を用意した。
鴇沢課長が、聞き耳を立てているようだ。
雉内刑事が、寿司を注文している。
手馴れたものだ。
注文を終えたようだ。
「ユキちゃん。何にする」
隣というか、後ろの席で、注文を促す声が聞こえる。
「ユキちゃん」とは、大垣さんの事だ。
大垣さんは、大垣由紀という。
雉内刑事が。鴇沢課長の注文は終っていると云うのに驚いた。
雉内刑事が、鴇沢課長に注文を尋ねた様子はなかった。
それに、鴇沢課長が、雉内刑事に注文を伝えた様子もなかった。
多分、何度も一緒に来ているのだろう。
「それじゃあ。マグロを四つ。お願いします」
弘は、マグロしか食べない。
「味噌汁は要りませんか」
雉内刑事に、尋ねられた。
弘は、要らないと答えた。
何度も云うが、弘は回転寿司では、マグロしか食べない。
油断していると、後ろから会話が聞こてきた。
紹介が終わったようだ。
特別な要件で、会った訳ではなさそうだ。
大垣さんと、アノ先輩が会ったのは、二年ぶりだそうだ。
千景が、石鎚山で遭遇した事件に興味を持った。
大垣さんに、朱雀製紙に関係した人を探していると伝えた。
それで、久しぶりに、大垣さんが、アノ先輩に連絡を取ったのだ。
話しは、孔雀ティッシュ社内の話しになった。
何故、大垣さんとアノ先輩は、二年ぶりの再会なのか、気にはなる。
しかし、そこに触れる事はなかった。
内容は、鶴見課長の事らしい。
雁矢清継副社長秘書の鶴見課長だ。
雁矢副社長が、孔雀ティッシュを突然、訪ねたそうだ。
秋山一家が、鵜川悠人の遺体を発見した前日の事だ。
孔雀ティッシュは、朱雀製紙の子会社。
社長は雁谷友信。
親会社、朱雀製紙の社長一族だ。
そして、子会社を統括しているのは、雁矢副社長の息子、雁矢清孝専務だ。
だから、雁矢専務が、孔雀ティッシュを訪れる事はある。
「統括室」という、雁矢専務の部屋さえある。
しかし、雁矢副社長が孔雀ティッシュを訪れる事は珍しい。
更に、雁矢副社長に同行して、鶴見課長も訪れた。
鶴見課長は、雁矢副社長の秘書だから、同行するのが当然だろうと思う。
しかし、鶴見課長が、雁矢副社長と行動を共にする事は、滅多にないそうだ。
だから、雁矢副社長と鶴見課長を一緒に迎える事は珍しいそうだ。
孔雀ティッシュの雁谷友信社長は、東京へ出張していた。
朱雀製紙三之洲工場の鷹山久志が、殺害された一件で、慌ただしい折だ。
勿論、今も慌ただしいのは変らない。
雁谷友信社長の出張は極秘ではなかった。
それでも、社内で知っていたのは、鶉野部長だけだった。
「珍しい名前やなあ」
鴇沢課長が呟いた。
「鴇沢」という名前も、充分、珍しいとは思うのだが。
「確か、この人も」
雉内刑事が、鴇沢課長に手帳を見せた。
弘は身を乗り出して覗いた。
雉内刑事が手帳を立てた。
弘に見せないようにした。
鴇沢課長に手帳を示した。
「残念!」
弘は目尻を下げて、そう云った。
しかし、本当は見ていた。
手帳には、「時鳥」鶉野奈津とあった。
「時鳥」の店主は梟旗辰夫だった。
梟旗辰夫が、退職したのは、朱雀製紙から孔雀ティッシュへ転籍した直後だった。
だから、鶉野部長とは、面識があったと思う。
弘の後方の席で、話しは続いている。
雁矢副社長が、孔雀ティッシュを訪れたのは、雁谷友信社長が不在だと知っていたからだと、皆は思ったそうだ。
ただ、鶴見課長が会社を訪れるのは、雁谷友信社長の居る時だ。
鶴見課長の用向きは、怪しい新規販売先リストの承認を得るためだ。
孔雀ティッシュは、新規販売先リストに応じて、販売手数料を支払う。
雁谷友信社長は、鶴見課長に逆らわない。
だから、雁谷友信社長が居ると、円滑に処理が出来るからだ。
販売手数料に付いて、鶴見課長と鶉野部長は、何度か衝突したそうだ。
暫くして、雁矢副社長は「統括室」へ鶴見課長を残して、入って行った。
鶉野部長は、事務所の席に戻った。
すると、鶉野部長の席の前に、鶴見課長がパイプ椅子を運んだ。
鶴見課長が、鶉野部長の正面に腰掛けた。
従業員は、鶉野部長が、また鶴見課長と衝突しないか恐々としていた。
鶴見課長が、バッグからファイルを取り出し、鶉野部長に渡した。
鶉野部長は、ファイルを開いた。
うっ!
ファイルを見た鶉野部長が驚いている。
困ったような表情だったそうだ。
後ろの席での会話は、それだけだった。
それにしても、一体、雁矢副社長の訪問は、何のためだったのか。
以上。
ちゃんと、弘は、お母さんに報告した。
つもりだ。
景子…それで?…
お母さんから着信だ。
弘は、それだけだ。と返信した。
景子…それだけや。じゃないでしょ…
お母さんから、更なる厳しい追求だ。
しかし、本当に、それだけだ。
何が知りたいのかと、お母さんに、尋ねた。
景子…だから、アノ先輩の名前!…
ああ。アノ先輩の名前か。
やっと分かった。
しかし、大垣さんが、千景に先輩を紹介する時、雉内刑事に話し掛けられた。
だから、聞いていない。
と送信した。
千景から着信。
千景が、アノ先輩の名前を知らせた。
景子…そうやったんか!…
お母さんの関心事は、アノ先輩の名前だった。
千景。忝ない。
「ミチオ」でもなく、「ミチヤ」でもない。
勿論、「ミチナガ」でもない。
アノ先輩の名前は、奥田充人。
「ミチト」だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます