5.仮説

「それは、変やなあ」

鴇沢課長が、何かに引っ掛かった。


「そうなんです」

雉内刑事も、その点が気になっている。


偶然かもしれないのだが。

雉内刑事は、鴇沢課長に、報告している。


先週の火曜日。

糸瓜町の居酒屋「時鳥」で殺人事件が発生した。

被害者は、鷹山久志。

首筋をナイフで斬られて、殺害された。

犯人と思われたのは、鵜川悠人。


「動機は?」

鴇沢課長が尋ねた。


「それは、内部紛争」

雉内刑事が、答えた。

朱雀製紙の内部で囁かれる、派閥争いの事た。


「ああ。昔から言われとるなあ」

鴇沢課長が相槌を打った。


朱雀製紙の現社長は雁谷国靖だ。

石鎚山市に在住している。


石鎚山本社を統括しているのは、ややこしいのだが、副社長の雁矢清継だ。


東京本社を統括しているのが、雁谷国靖の息子、雁谷国秀だ。

雁谷と雁矢は、四百年前から、姻戚関係らしい。


その後、両家とも分家が乱立し、三百年程前には、対立している。

今では、どこが本家か分からない。


以後、和解、対立を繰り返している。

随分と、古い関係だ。


鵜川悠人が、石鎚山で殺害され、昨日、発見された。

胸をサバイバルナイフのような刃物で、刺されていた。

殺害されて、二日程経過している。

どちらも、かなり手慣れた犯行だ。

つまり、プロのようだ。


それにしても、鵜川は十日間も、どこに潜んでいたのか。

また、人知れず、どうやって、石鎚山を登ったのか。


犯行直後、非常線を張ったが、鵜川を発見出来なかった。

犯行現場から忽然と消えた。


鷹山久志が殺害された現場に、立って居たのが鵜川悠人だ。

そう証言したのが、鳩井智哉。


鳩井は、昨年、朱雀製紙に入社した。

三ヶ月間、三之洲工場で研修を終え、東京本社の経理課へ配属になった。

大抵の場合、地元出身者は、地元勤務になる事が多いようだ。


鳩井は、配属後、六回、石鎚山本社へ出張している。

出張期間は、一週間から十日くらい。

まだ二年目だ。


しかも、石鎚山本社ではなく、三之洲工場に張り付いていたそうだ。

何のための出張なのか。

単なる、使いっ走りなのかもしれない。


鳩井が石鎚山本社へ出張で、帰って来る度に、三人で飲み会をしている。

事件現場の「時鳥」へは、初めて行った。

同席していたのが、同じく、朱雀製紙に勤務する鴨池麻衣。


朱雀製紙に同期入社の四人で、飲み会をしていた。

鴨池麻衣は、飲み会に、初めて参加した。


鴨池麻衣は、昨年、石鎚山で転落死した鷲尾卓の彼女だった。


一緒に石鎚山を登って、下山した三人。

転落死した鷲尾の彼女。


鷹山が、殺害された事件についは、かなり気になる事がある。


店に居た客、二組には、朱雀製紙に、何らかの関わりがある。

鷺岡は、孔雀ティッシュ。

鳶田は、雲雀運輸。

いずれも、朱雀製紙のグループ会社だ。


ちなみに、朱雀製紙の工場がある三之洲市内の居酒屋なら、あり得るのだか。

勿論、偶然かも分からない。


それにしても、石鎚山に登った四人の内、二人が殺害されている。

どう考えても異常だ。


そうなると、本当に、鷲尾は、転落死だったのか、疑いたくなる。

昨年の鷲尾の転落死の調書を読み返した。


鷹山と鳩井が、先を登っていた。

かなり遅れて、鵜川と鷲尾が登っていた。

突然、下方から、悲鳴が聞こえた。


鷹山と鳩井が戻って行くと、鵜川が居た。

鵜川は、鷲尾が、崖から落ちたと云った。

三人は、慌てて駐車場へ戻った。

救助を要請しようにも、三人共、スマホが圏外だったからだ。


確かに、スマホが繋がったとしても、鷲尾が助かった可能性は無い。

即死状態だった。

しかし、三人共、スマホが繋がらなかった、と云うのは本当だろうか。


鵜川が殺害されて、判った事だが、鵜川と雉内刑事の通信会社は同じだ。

雉内刑事は、転落現場へ行ったが、スマホは、圏内になっていた。


疑ってみると、鵜川が鷹山を突き落とした可能性もある。

ただ、そうなると、先に、鷹山と鳩井、遅れて、鵜川と鷲尾だったのか。

登っていた順番は、本当なのか。


いや、鳩井は、他の三人と、親しかった訳ではない。

朱雀製紙に内定してから、登山に誘われた。

だから、この時点での、鳩井の証言は、信用出来ると思う。

誘ったのは、鷲尾だった。


更に、石鎚山の登山道を途中からコースから外れていた。

誰かが、意図的に、道を迷わせたのかもしれない。

登山道の分かれ道で、標識が外れていた。

誰かが、故意に外した可能性もある。


「動機は」

鴇沢課長が尋ねた。


雉内刑事が、答えに詰まった。

「何でも、構わん。あくまても、仮説だ」

鴇沢課長が、喋り易くした。


「犯人は、鵜川」

雉内刑事が答えた。

鵜川は、鴨池さんを好きだった。

鴨池さんの、彼氏である鷲尾を憎んだ。

痴情の縺れだと自信無く云った。


例えば、鵜川が、鷲尾を崖から突き落として殺害した。


「鷹山は?」

鴇沢課長が尋ねた。


鷹山は、鷲尾の事故死を疑っていた。

鵜川が、鷲尾を突き落としたのではないかと考えていた。

鷹山は、鵜川が、鷲尾を殺害した証拠を見付けた。

鷹山は、鵜川を問い詰めた。

そして、窮鼠猫を噛んだ。


「先。行こうか」

鴇沢課長が、雉内刑事に、事件の仮説を続けるように促した。


鵜川が、殺害された河原の、すぐ側は、鷲尾の転落死した岩場だ。

これは、鷲尾が転落死した事と、何か関係があると思う。


鷲尾の殺害された現場で、鴨池さんが、鵜川を殺害した。

彼氏の仇討ちをした。


雉内刑事は、説明しながら、首を傾げた。

どうも違うようだ。


鵜川は、小柄な方だ。

鴨池さんが、ナイフで襲ったとすると、互角だっただろう。

かなり、抵抗があった筈だ。


しかし、鵜川は、胸を一突きで殺害されている。

それ以外に、争って負った、傷は無い。

油断していたのかもしれない。


雉内刑事は、喋りながら、仮説に、かなり無理があると思った。


やはり、鵜川が、逃亡する時に云った「男」が存在するのだろうか。


石鎚山へ登った四人の内、鳩井だけが、生き残っている。

鳩井は、東京本社から、出張で戻って来て、三之洲工場へ張り付いていた。


「今から、三之洲へ行っても良いですか」

雉内刑事は、云った。

鴇沢課長が、頷いて許可した。


まだ昼過ぎだ。

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