第128話 零れた星に、願いを込めて

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 迷宮を出ると、外はすっかり夜が更けていて、頼りになるのは青白い月明かりばかりとなっていた。

 この辺りには人の集落はないから、冷たい光がよく映える。


 それを覆い隠すようにして、一つの影が私の前に降り立った。

 境内に収まるよう、いくらか小さくなった夜墨だ。


 小さくなったとは言っても、半径がキロの単位の境内を埋め尽くすほどだから、十分に巨大なんだけど。


「終わったよ」

「そのようだな」


 夜墨は、私を静かに見つめたまま、何も言わない。

 きっと、色々思っていることはあるのだろうけど。


「はい、これ。アナタのでしょ」

「……良いのか?」


 差し出したのは、伊邪那美が残した、茜色の宝玉。

 夜墨が元々持っていて、彼自ら切り離した物。


「アナタは、私だ。私の一部だ。そうでない部分もあるけれど、今更、が負けると思う?」

「……そうだな。受け取ろう」


 宝玉はひとりでに私の手を離れると、明滅し、茜色の輝きを強めながら、大きくなっていく。

 そして夜墨の五指の中に収まって、ひときわ強い輝きを放った。


 まるで突然太陽が現れたような、強烈な光だ。

 夜を昼に変えんばかりのそれは、宝玉自身があるじの下に帰れたことを喜んでいるよう。


 同時に感じる、恐ろしく強い力。

 封印を解かれ、[龍神の器]として完全に目覚めた私には及ばない。

 それでも、素戔嗚さんや、天照さんに匹敵しかねないほど巨大な力だ。


 その持ち主は、今、私の目の前にいる。

 

 私の称号が完全なものとなった影響で、ただでさえ膨れ上がっていた力が、更に大きくなった。

 これが、夜墨の本当の力か。


 湧き上がる衝動を今暫く抑えて、けれど口の端に少しだけ漏らしながら、彼へ問いかける。


「気分はどう?」

「ああ。悪くはない」


 雰囲気は、あまり変わっていない。


「古き世で隔世かくりよ大神おおかみなどと呼ばれた私でも、今のロードには及ばなかった。それが、心地よい」


 隔世の大神、すなわち、大国主。

 それが、かつての夜墨の名。

 墨の如き鱗に、星の如き瞳を持った、美しき巨龍の正体。


 けど、夜墨は夜墨だ。

 私の一部だ。


「本気で戦ったら分からないでしょ?」

「ロードが戦いたいだけであろう」


 うん、バレて


 でも、分からないってのは本当。

 力の総量じゃ私の方が断然上だけど、あの神器、いや龍器の能力次第では、負けもあり得る。

 それくらいに、夜墨は強い。


「何があろうとも、私はロードの一部であり、ロードの従者だ。忘れるな」

「はいはい」


 分かってるよ。

 

 けど、改めてそんな事を言われたら、戦いづらい。

 私は、私自身には我が儘だから。


 まあ、いつか、その内。


「ウィンテと令奈は、どれくらい強くなってるかな?」


 あの二人も、天照さんの神器を受け継いでいたからね。

 相当に強くなってるはずだよ。


「どうであろうな」


 そうでなくたって、追いついてくるだろう。


 例え、称号の封印が解け、更には[龍神]なんて称号まで得てしまった私相手でも。

 でなかったら、色んなものを夜墨に押しつけた私が、あの二人を受け入れたはずがない。


「とりあえず、今日はいったん帰ろうか。夜風に吹かれたい気分だ」


 迷宮の転移機能を使っても良いんだけど、今は、ね。


「乗れ」


 皆まで言うまでも無く、促してくれる夜墨へ礼を言って、その頭部へ飛び乗る。

 さわり心地の良い、美しい漆黒の鬣に腰を下ろすと、彼は一気に飛び上がった。


 ぐんぐん離れる地上を眺め、新しい我が家の庭に郷愁の念を抱く。

 思い出すのは、ここ百五十年の記憶と、人間として故郷で過ごした二十年弱の記憶。


 長かったような、短かったような。

 将来的には、たった、なんて付けるようになるだろう程度の、ひと瞬きの間に過ぎてしまうような時間。


 その筈なのに、今の私には、凄く長い時間に思える。


「龍神、か」


 月の光を、神秘的なほどに白い髪が跳ね返す。

 その髪が風に靡くのを感じながら、彼方へ視線を向けた。


 色々、考えないといけないね。

 配信のこととか、これからのあり方とか。


「人として有りたいのならば、そう努めれば良い。人として受け入れてくれる友もいよう」

「……そう、だね」


 少なくとも、今は、人として、自由にありたい。

 例え、大半の人間が、私を神と扱ったとしても。


 そして願わくば、いつか完全な世捨て人として――。


◆◆◆

「祖だと……?」


 絢爛豪華な宮殿の中、その内で最も豪華に飾り付けられた一室で、男は問う。

 幅の広い豪奢な椅子に体重を預ける姿は、この世の全ては自分の物なのだと言わんばかりの態度で、彼がどのような立場にあるのかを示していた。


 外見から窺える齢は、三十やそこら。

 髪と同じ黄土色の、華美な文様が縫い込まれた衣を纏っている。

 鋭い眼光を放つ瞳は濃い金色で、縦に一筋の黒が入っていた。


 その目に照らされて、問いかけられた小男は恐る恐る口を開く。

 

「は、はい。先日捉えたが口走っていたようです。羽民うみんの祖たる己に、貴様ら凡兵ごときが勝てるものか、と」


 金眼を細める己が主に、小男はひっと声を漏らした。


「ま、まあ、結局はあなた様の兵達に取り押さえられたようですが。流石でございます。は、はは……」


 小男の努力もむなしく、部屋の主は何の反応も示さない。


「祖……。つまりは、朕より先に、った者が居る可能性があるわけだな?」


 明らかに不機嫌だった。

 小男は、どんどん鮮明になる自身の未来に、滝の如く汗を流す。

 どうにかその未来を回避するすべを探して、視線を彷徨わせるが、前方から感じる圧力プレツシヤーに、思考がまとまらない。


「どうなのだ」

「っ……! は、はい。その可能性が、ござ――」


 直後、小男は血だまりと肉の塊に姿を変えた。


 突然の惨劇にも、声を発するものはいない。

 壁の方に待機していた若く美しい女官達ですら、表情一つ変えない。


「探せ。真なる龍とは、朕より他に無し」


 気配のいくつかが消えたのを確認すると、男は立ち上がり、部屋を去る。

 残ったのは、人であった肉塊と、それを無言のまま片付ける女官達の姿だけだった。

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