第104話 国の境へおつかいへ

104

 ウィンテ達が帰った翌朝、空間歪曲か何かによって窓から差し込む朝日で目を覚ます。

 ……朝日?


 朝日にしては手前までしか差し込んでないような?

 まあいいや。


「おはよう、夜墨」

「おそよう、ロード。もう昼過ぎだ」


 ……ふむ?


「更に言えば、女王と九尾が帰ったのは二日前だ」


 …………ふむ。


「何故もう一度布団を被る?」

「いや、どうせ寝坊するなら二日も三日も変わらないかなって」


 なんならひと月くらい寝てても問題ないと思う。


「戯けたことを言うな。を見に行くのだろう」


 まったく、しょうがないなぁ。


「んっ……ふぅ。うん、おはよう」

「昼過ぎだ」


 起きたその時が朝です。

 細かい事は気にしない。

 

 昔の私、こんな細かくなかったと思うんだけどなぁ。


「細かくないぞ」


 あー、夜墨まで心を読む。

 いや、殆どなんだから夜墨が分かるのはおかしくないか。


 とりあえず洗面台で顔を洗って、口の中は魔法で綺麗にする。

 顔も魔法で済ませて良いんだけど、水の方が気持ちいいから。


 朝ごはんは、オムレツで良いか。

 卵は三つずつ。


 混ぜるのは空中で。

 フライパンにバターを敷いて、魔導コンロの火にかける。


 この百五十年で作られた魔法の道具、魔道具の一つだ。

 スイッチで術式が発動する仕組みに苦労していたみたいだけど、百年前には少しずつ普及し始めていた。


 今では平均して西暦の二千十年代くらいの技術水準になってるかな。

 旧時代末の二千二十年代を超えてる分野もある。


 いやぁ、人間の進歩は目覚ましい。

 生かした甲斐があるってもんです。


 ちなみに、最初は家電に合わせて家魔かまって呼び方が一部の開発者に推奨されてた。

 けど響きがダサいからって旧時代に殆ど一般名詞化してた魔道具が定着したんだよね。


 私も家魔はなんか微妙だと思う。


「うん、いい感じ。やっぱり火が目に見える形式だね」


 IH式も既にあるんだけど、旧時代の頃からどうも好かない。

 火からの距離で瞬時に且つ細かく調節って出来ないし。


 出来上がったオムレツ二つに自家製ケチャップをかけて、いただきます。

 ケチャップもコストガン無視なだけあって、最近出回りだした市販品より美味しいです。


「あー、面倒だなぁ。楽しみだけど、面倒だなぁ。あと十年くらい経ってからでも良いんじゃない?」

「そのまま、どれほど先延ばしにするか」

「三百年くらい?」


 夜墨、そのジトっとした目は主人に向けるものじゃないと思うんだ。


「分かった分かった。それじゃあ、行こうか」


 の通じない従者を伴って、外に出る。

 服は、一応迷宮に潜る時の着物。


 社のようになっている建物から朗らかな日差しの下に出ると、心地よい風が肌を撫でた。

 つい数日前まで残暑が幅を利かせていたのに、時間が経つのは早いものだ。


 高確率で寝てるのもあるけど。


「とりあえず北西くらいを目指してみようか」


 元のサイズに戻りながら昇っていく彼の頭上に座り、日本海上の国境を目指す。


 出るまでは面倒だけど、一旦出てしまえば、気分は遠足。

 気持ちの良い風に、少し頬を緩める。


「前回出たのっていつだっけ? 七年前?」

「五年前だ」


 五年前……。

 ああ、魔導レンジを買いに行ったときか。


 原理は分かってるから自分でも再現できるけど、加減が分からないって買う事にしたんだよね。

 そうだそうだ。


「引き籠りって言われても仕方ないね」


 五年あれば、中学に入学した子が大学受験の勉強を本格的にしているくらいになる。


 なんて実の無い話をしていたら、陸地は彼方に行ってしまった。

 足元の日本海は冬が近づいているだけあってシケ気味。

 潮目の近い辺りだし、大きく波打つあの海面の下には、きっと美味しいお魚が沢山いるんだろう。


「そろそろ境界かな?」

「ああ、もう入るぞ」


 うん?

 夜墨ってそういう人間の常識みたいな部分はあまり知らなかったはず。

 ていうか何でもうすぐ入るって分かったんだろ?


「ねえ夜墨、なん――いや、いいや。もう分かった」


 恐らく日本の排他的経済水域から出た瞬間だろう。

 辺りを満たす魂力の質が、明らかに変わった。


 まるで誰かが支配している魂力の領域に入ったような感覚だ。

 まだ一応普段通りに干渉できる魂力も残ってるんだけど、進むほどに少なくなっていく。


 私と夜墨の二人がかりで周囲の魂力の支配を試みてはいるんだけど、人の力でいわおを押しているようで、ビクともしない。


「落ちるぞ」


 返事をするよりも早く、ガクンっと視点が下がった。

 足場を失ったような浮遊感と共に、海が近づいてくる。


 普段なら海に落ちるくらい焦る必要は無いんだけど、この脱力感。

 身体の表層を守っている筈の魂力まで支配権を失っている。


 鱗やら何やらで普通の人間よりは丈夫だけど、元々貧弱な私の身体だ。

 この高さから海面に落ちては、ただでは済まない。


「魔法つかえる!?」

「多少であれば」


 やっぱり。

 使えるのは、体内に残された魔力のみ。

 その上周囲の魂力に情報が伝播して薄まるから、普段の数十倍の魔力が必要だ。


 それでもやるしかない。


「風! 真後ろ、やや上方へ!」


 私と夜墨の膨大な魔力が放出され、強烈な向かい風が発生する。

 百年以上ぶりに明らかに魔力が減ったのを感じた。

 

 けど、使った魔力の量に対して、生み出された風はあまりに弱い。

 慣性に従って高速で日本から離れる私たちを押し返すには、規模が小さすぎた。


「もう一回!」


 ドンドン近づく海面。

 とうの昔に終端速度に達しており、感覚からして、このまま叩きつけられたら手足の骨くらいは折れそうだ。


 そんな状態で時化た日本海に落とされるなんて、冗談じゃない。


「次!」


 タイミングを見て連続で魔法を行使。

 ようやく横方向の移動を止められた。


 けど私たちの領域は、既に遥か彼方だ。


「まだ!」

「ぐぅっ……」


 く、夜墨はこれが最後か。

 私もあと何回いけるか分からない。

 急激な魔力消費に倦怠感を覚えている。


 このまま風で安全な領域まで行くのは無理か。

 せめて、落下の衝撃だけでも和らげなければならない。


 考えながらも風を起こし続け、少しでも日本へ近づく。


「ロードよ、掴め!」


 魔力の枯渇が見えたその時、夜墨が叫んだ。

 最後の一回を使って自分を夜墨の方へ吹き飛ばす。


「くっ!」


 コントロールの利かない肉体に鞭を打ち、彼の漆黒のたてがみを掴んだ。

 

 直後、衝撃と共に水柱が打ちあがり、海面が波立つ。

 必死にしがみつき、振り落とされそうになるの堪えた。


「はぁ、はぁ、はぁ……。気持ち悪い……」

「だが、生きている」

「そうね……」


 うん、生きてる。

 生きてるね……。


「なんか、宗像三女神むなかたさんじよしんと戦った時ぶりに死を覚悟したよ」


 本当に。


「陸、高波大丈夫かな?」

「対処できる者もいよう」

「それはそうか」


 夜墨の超が付く様な巨体が落ちたから、ちょっと心配になったんだよね。

 それで美味しいものが失われるのは良くない。


 あー、駄目だ、頭回んない。


 とりあえず、日本の海に戻ろう。

 泳いで行くくらいなら問題ないでしょ。


 ヤバい魔物に襲われない限りだけど。


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