閑話③ 水上姫理

 私がダーウィンティーと名乗る前、水上みずかみ姫理ひめりという名の、ただの大学院生だった頃、私の世界はシャーレの中のように狭くて、窮屈だった。

 唯一そのシャーレから出られたのは、同じように別のシャーレから出てきた令奈と遊ぶ時だけ。


 その令奈も、私と同じ血から生まれた、私の分身に近しい存在だ。

 すぐ隣のシャーレで同じ素体から培養されただけの、身内。


 私の世界を広げるには、少し、近すぎた。


 そんな令奈と違ってシャーレの一部なのが他の家族だったけど、皆の事は好きだったから、シャーレの中でも楽しかったと思う。


 唯一、研究をしている時は狭い世界にいるのを忘れられた。

 でも生きていくにはそれだけじゃいけない。

 友達付き合いもしないといけないし、仕事もする必要がある。


 これから私はどう生きて、どう死ぬのかな、なんてぼんやり考えていた時に、世界は変容した。


 何もかもが変わって、新しい何かが始まるんじゃないかって期待して、でも同時に不安になって、結局確かめられたのは、私がシャーレの中にいるという客観的な評価だけだった。


 諦めにも似た思いを抱えたまま半月近くが過ぎた頃、突然、彼女は私の前に現れた。


「種族変更にspを使ったんですか、ね。使ってないよ」


 よくあったライブ配信だな、なんて思いながら見ていた画面の向こうで、真っ白な着流しのハロさんが口を開く。

 ちらっと映った眼差しは画面の向こうのリスナーを見ているようで見ていない、興味関心が一切無いというような色をしていた。


「似てる……」


 思わず呟いていた。


 だって、そっくりだったんだ。

 私や令奈が、多くの人に向けている目と。


 ほんの少しの期待と共にじっと見て、勝手に裏切られて、諦めた、そんな関心のなさ。


 気が付けば私は、人生で初めて、ライブ配信にコメントしていた。


 それからハロさんの配信には毎回行った。

 出来る限り早く、長く。


 今までにない程の期待と、同じくらいの不安を抱えて。

 最初の頃は迷宮に関する検証ばかりだったから、ハロさんの頭の良さは分かりやすく伝わってきて、期待はどんどん大きくなっていった。


 同時に別の不安も生まれた。

 ハロさんにとっての私は、私にとってのシャーレと同じなんじゃないかって不安。


 だってハロさんは、頭がいいだけじゃなくて、強かった。

 とても。誰よりも。


 薄ら芽生えたその不安を自覚したころ、あの事件は起きた。

 ハロさんを待ち伏せした男が魔人になったんだ。


 この時ハロさんが確認した事の意味は分からなかったけど、後日、始祖の話を聞いて、理解した。

 ハロさんが殺した魔人以外にも、魔人になった人がいるんだって。


 もし魔人になる人があんな人ばかりだったら、危険だ。

 家族や令奈が凶手にかかってしまうかもしれない。


 そう思って、魔人への変化条件の研究を始めた。

 もしかしたら単純な知的好奇心の方が大きかったのかもしれないけど。


 それともう一つ、ハロさんの隣に立てるくらい、強くなれるかもしれないって思ったのもあった。


 研究の成果は、思ったよりずっと早く出た。

 いや、早すぎた。


 対策が万全になる前に、アラニア達が生まれてしまった。

 正直、この時の私は焦っていたんだと思う。


 いくら散々ドジだって言われる私でも、危険生物を生み出す実験を出来得る限り万全に対策しないまま始めたりしない。


 初めは彼らも普通の虫の姿を保っていて、よく知った姿のままでアラニアが語り掛けて来た時、やってしまったと思った。

 このまま死ぬかもしれないとも直感した。


 蟲毒のような実験によって生まれた彼女たちは、狡猾だった。


 バクバクとなる心臓の音に思考を邪魔されながら、どうにか打開できないかと必死に観察を続けていた時、ハロさんの配信が始まった。

 迷わず飛びついたのは、打開策が見つかったと思ったからだけじゃなくて、ハロさんと近づくきっかけになるかもしれないって思ったからだった。


 あんな状況なのに実験について細かく語ってしまったのは、我ながらどうかとは思うけど、そんな理由もあった。


「今から十五個分のspを渡すから、一匹に五個ずつ使って契約してみてくれない?」

『十五個って、七百五十万spですか!? ダメですよ!』


 一度否定したのは、少しでもハロさんに近づける可能性を上げるため。

 受け取る以外に生きる選択肢は無いんだから、本当にただのポーズだった。


 その後すぐに送られてきたspで魔石を交換して、アラニア達と契約した。


 この時の私は、本当に運が良かった。

 

 思えば、アラニア達が魔族に変じていたなら、このハロさんとのやり取りの間に殺されていてもおかしくなかったんだ。

 そうならなかったのは、この時のアラニア達がより強い魔族になる為に、変化を遅らせていたからだった。


 戦闘力が十分に上昇していなくて、知能もまだ不完全。

 待つことで不利になるリスクを考えられなかったのだろう。


 これは後から本人たちに聞いた。


 ともあれ、命を助けられたことで、私のハロさんへの思いはより一層強まった。


 それから先は、好奇心の探求以外、殆ど全てがハロさんの隣に立つための動きだった。

 

 ハロさんの隣に立てる強さと寿命が欲しくて種族を変えた。

 ハロさんの隣に立てる財力が欲しくて配信を始めた。

 ハロさんの隣に立てる地位と名声が欲しくて配信を頑張った。


 そしてハロさんの隣に立てるように、ハロさんを観察し続けた。


 頼る事はあっても、縋ってしまっては駄目。

 私がハロさんのシャーレになってしまうから。

 

 そうしている内に、対等な友達が欲しいってだけじゃなくて、ハロさんを独りにしたくないって理由が増えた。


 夜墨さんがいるから、と最初は思ったけど、ハロさんは夜墨さんをもう一人の自分と認識しているようだったから、私が頑張らないとって思った。


 そんな私を令奈は微笑まし気に、そして嬉し気に見ていた。


 色々と割り切ってしまった令奈が一緒に頑張ってくれたのは、私の為なんだと思う。

 私にとって令奈は、ハロさんにとっての夜墨なんだろう。


 ハロさんが掛け替えのない友人なら、令奈は掛け替えのない分身で、家族だ。


 だから、いっそう頑張れた。

 無茶も出来た。


 ハロさん、私たち、頑張りました。

 神の使いに勝てるようになるくらい、頑張りました。

 だから――


「――これで、ハロさんの横に居られますか?」


 

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