第83話 故郷の五十年

83

「ようこそ御出でくださいました、我らが神よ」


 中国地方を山陰と山陽に分ける中国山地の、そのはるか上空。私が半透明な巨大白蛇に声を掛けられたのは、そんな場所だった。

 既に山頂を北側に超え、山の陰となった辺りの空に雲は少ない。眩しい初夏の日差しが、地上の木々を青々と茂らせている。


 夜墨の頭上で両手足を投げ出して、凄く気持ちの良い空の旅、だったんだけども。


「だからさ、なんで来た瞬間が分かるのさ?」

「貴方様への信仰故に」


 デジャブだね?

 全く、これで三人目だよ。眼前の白蛇をにんと数えて良いかの疑問は置いておくにしても。


 しかも三者三様の感情なのが面白い。けど怖い。


 実際は配信の終了から逆算した上で風の精たちに見張らせてたんだってさ。精霊使いが荒いね、この水精霊。


 このミヅチと名乗っている白蛇は水の精霊の始祖であり、実質的に中国地方を治めている長だ。

 ここら一帯の精霊、特に水の精が精霊しようりようと言った方が良いような様子なのは、彼が原因だろう。自然物に宿るという意味では西の方のスピリットと同じで良さそうだけども。


「干渉せぬことも考えたのですが、気が付けばこちらに来ておりました」


 ミヅチは己の魂を宿らせた水の体をくねらせ、さも当然の事のような顔をして言う。

 正直、どう考えてもヤバいやつだ。

 やばいやつなんだけど、今は気分が良いので許してやる。


「で、案内でもしてくれるの?」


 何なら持て成しも受ける。

 これと真面に関わるのは面倒な所があるけど、前から持て成したいという話を聞いていたんだ。


「よろしいので?」

「今回はね」


 釘を刺すのは忘れない。

 あくまで、今は機嫌が良いだけなのだよ。


 ぶっちゃけ、昨日とある事に気が付かなかったら普通にスルーしてた。

 とある事、即ち能力値上昇。

 体力が、ついにSになったのだ!


 あれだけ鬼秀と殴り合ったり神と死闘を繰り広げたりした甲斐があったというものだ。そのお陰かは知らないけど。

 まあ、ぎりぎりのSで龍の水準的にはまだまだ貧弱なのは変わらないけど。


 兎も角、折角持て成してもらうんだ。しっかり楽しもう。


 ミヅチに連れられてやってきたのは、島根県大田市にある龍御前たつのごぜん神社だった。私の地元から暫く西に行ったあたりで、石見神楽が有名と言ったら分かる人もいるだろう。

 地元民には温泉津ゆのつと言った方が通じる気もする。


温泉津ゆのつなんていつ振りだろ」

「いらっしゃった事がおありでしたか」

「一度ね。物心ついてすぐ位かな」


 正直、もうぼんやりとしか覚えていない。けど、こうして見ると、やはり懐かしさは感じる。

 神社の周りは、すっかり開けてしまっているけど。


「神楽もやってるの?」

「いいえ。こちらが迷宮になった際、神楽舞を継承する者が軒並み巻き込まれてしまったようでして……」

「そっか……」


 残念だけど、仕方ない。

 

 神社から視線を外して、見回す。

 人の気配は、あまり無い。

 けどこれは昔からだね。むしろ、動き回れるものが増えた分昔より賑わっているまである。


 見えるのは、精霊たちが主。あとは人間の老人に、竜人が少し。

 家々は殆どが木々に飲まれているけれど、無事なのもあった。


「ご安心を。今は、新しい神楽舞を皆が考案している所です。既に迷宮の支配も終えております。元々攻略済みの場所でしたから」


 新しい石見神楽か。それもまた、良いのかもね。

 迷宮も支配済みなら早々危険も無いだろう。


「最近、銀山も迷宮化し、再び鉱山資源も採掘されるようになりました。また、昔のように賑わう日が来るやもしれません」


 昔と言っても、私が生まれるよりずっと前なんだろうけど。

 まあ、頑張って欲しい。新しい文化が生まれるなら、私は大歓迎だ。


「神楽が完成した暁には、是非ともハロ様もご覧ください。かつての聖戦の折、八首やつくびの龍と相対した貴方様の勇姿を再現して見せます故」

「うん?」


 なんか、おかしな言葉が聞こえた。


「日本書紀のアレコレだよね? スサノオさんの八岐大蛇退治とか」

「そちらもいずれは復活させたいとの声もありますが、まずは、貴方様のご活躍を」


 ふむ……。


「何をしておいでで?」

「八岐大蛇戦のアーカイブを非公開にしてる」

「もう皆、記憶に焼き付けております」


 そか。そっか……。


 無駄な足掻きを中断して、遠くの空を見つめる。

 うん、日本海側の空だ。いい天気だね……。


 私が現実逃避をしていても、夜墨がしっかり動いてくれる。

 いつの間にか海沿いに北上していて、だんだん見慣れた町並みが見えるようになってきた。


湖陵こりようか。じゃあ、あれが神西湖じんざいこ。……この辺りはあまり変わってないんだね」

「元より人の多い地域ではありませんでしたからな。幼い精霊たちの遊び場になっております」


 まあ、確かに島根の人口は少なかったけども。

 人より神の方が多いなんて冗談を言う事もあったくらいには。


「精霊も子ども産むの?」

「いえ。幼いうちに精霊になった者や、いつの間にやら発生していた者たちです。もしかしたら子も作れるやもしれませんが……」


 まだたったの五十年だからね。

 特に私たちみたいな長命種は、私たち自身の事も分からない事が多い。


 長命の中では吸血鬼たちが一番自分の種族を理解しているだろう。あの人たち、躊躇なく自分を実験台にするから……。


 なんて話してる間にも、更に北上していく。

 ここらもすっかり緑が多くなっていたけど、人間種族もまだまだいるみたいで管理された建物が多い。覚えのある物も、多くあった。


「ん、あそこ、私の実家だ」

「立ち寄られますか?」

「……いや、いいよ。進もう」


 人の気配がある。窓からちらっと懐かしい顔も見れた。

 すっかり歳をとっていたけど、自分の両親くらいは分かる。


 人間のままだったんだね。あの人たちなら、嬉々として別の種族になるかと思ってたのに。

 つまりは人間のまま、九十を超えたって事か。こんな時代に。本当に、しぶとい。長生きの家系ではあったけどさ。


 もうなんにも関係のない、他人の話だ。人間、村上竜也むらかみたつやは、五十年も昔に死んだんだ。


「じゃあね、母さん、父さん。恨む事もあったけど、そこまで嫌いじゃなかったよ」


 届くはずはない。古の出雲大社よりずっと上を飛んでいるんだ。仮に姿を現しても、黒い線にしか見えないだろう。

 それなのに、窓の奥で老婆がこちらを見た。はっとしたような顔を、微笑みに変える。


「……ああ、珍しいね。この時期に、こんな雨が降るなんてさ」


 誰も何も言わない。

 それでいい。

 ちょっと、日差しが目に染みただけだから。


 つい見上げた空はどこまでも青く、深く、遠くまで広がっていた。


 その後、ミヅチは私たちを日御碕神社まで案内して、地上に降りた。

 意外な事に、ここに出来た迷宮も既に支配済みらしい。


 夕食は食事を必要としなくなった精霊たちに代わり、この地に住む人間種族の信者たちが用意してくれた。

 日本海の幸をふんだんに使った料理は懐かしい味がして、また、涙を流す私だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る