第72話 桜島の秘湯
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九州に着いたのは日もずいぶん低くなって、そろそろ夕ご飯の準備をした方が良いかなってくらいの時間だ。
ここでも人間に紛れてこっそり観光しようかなって思ってたんだけど……。
「なんで分かるの?」
「推しへの愛ゆえに」
意味が分からない。
少し後ろを飛びながら、たぶん、キリっとした表情をする竜人の始祖に、ため息が漏れる。
とりあえずと姿を隠したまま桜島の火口あたりに降りて人化しようとしたら、飛んできたんだ。
特別敏感な種族という訳でもないのに、不思議で仕方がない。
この赤鱗の竜人、もうすぐ八十歳って本当だろうか?
寿命が長くなった分精神の成熟も遅くなってるとか?
まあ、現地の案内人が手に入ったと思えば。
「それで、今日はどこを案内してくれるの?」
「今日はもう日も暮れるので、温泉とお夕飯だけ提供させていただきます」
ほう、温泉。
この辺りの温泉といったら霧島温泉とかかな?
「桜島の秘湯ですな。人間には危険ですが、龍である貴女様方には問題ないでしょう」
「ふーん。それは良いね」
うん、ちょっと期待を伝えただけでこうも分かりやすく嬉し気にするのね。
蜥蜴のおじさんから黄色いオーラを向けられても嬉しくは無いんだけど、まあ、害は無いし放置で良いか。
小龍の姿をとった夜墨も、悪い意味での反応はしてないし。
呆れてはいるけど。
「一度宿にご案内するつもりでしたが、先に温泉に立ち寄られますか?」
ん-、そうだなぁ。
夕食を食べるには少し早い。そっちの方が良いかな?
まだ桜島の上にいるし。
「そうだね。それでお願い」
「かしこまりました。ではこちらです」
方向を変えた竜人について、南下する。
後ろから見ていても黄色いオーラは駄々洩れで、犬ならあの尻尾をぶんぶん降ってるんだろうなあなんて思ってしまった。
竜人に案内されたのは、山影にあるほら穴に湧いた硫黄泉だった。
入口は岩棚になっているから、下からも見えない。
上からは、角度によっては見えるかな。
まあ、私が覗き見なんてするやつの気配に気づかないなんてあり得ないから、大丈夫でしょう。
「では、私は食事の準備をしてまいりますので。苦手なものやアレルギーはございますか?」
「アレルギーは大丈夫。光物は皮が少し苦手だけど、食べられはするよ」
「かしこまりました。では、一時間後に迎えに参ります。それ以外で何かあれば、念じてください」
なんか幾つか気になる言い方があったけど、まあいいか。
念じたら気づくっていうのも聞かなかった事にする。
気づくんだろうなぁ……。
遠ざかっていく赤い影を眺めながら、また溜息を吐く。
「諦めるのが良かろう。あれは、我々の理解の外にある生き物だ」
「夜墨でもそう思う?」
「ああ」
そっか……。
「よし、じゃあ気を取り直して、温泉入ろっか」
という訳でちゃちゃっと服を脱いで入浴タイムです。
服は、岩棚の辺りで洗濯しておこう。
中に持って入ったらボロボロになっちゃいそうだし。
「ん、やっぱり。色んなガスが溜まってるね。こりゃ人間はダメだ」
硫黄泉だし、硫化水素も混ざってるだろうね。
そうでなくたって酸素濃度が一定値を下回るだけで人間は息が出来なくなるんだ。
多かったら多かったで毒だし、人間って本当に脆い。
その中でもかなり脆かったのが私だけど。
手を浸けてみた感じ、五十度くらい?
意外と低い。
人間には熱いけど、私にはちょうど良いね。
石鹸、はいいや。
魔法で汚れを落とすだけで済まそう。
さっぱりしたところで適当な量のお湯を浮かせ、かけ湯する。
これだけで気持ちいいね。
いざ、入浴っと。
「ふぅぁ……」
気持ち良い。
非常に、気持ち良い。
血行が良くなって、肌が上気する。
龍でもなるんだ。
私は人の要素が強いからかな?
「ふへぇぇ……」
ダメだ、思考が鈍る。
温泉、良い。
夜墨、頭にタオルを乗せるなんて、どこで知ったのさぁ……。
まあなんでもいいかー。
気持ちいいし。
「あ、夜墨―、お酒飲むー?」
「貰おう」
一度やってみたかったんだよねぇ。
お湯に桶浮かべて飲むの。
「ほい、辛口」
「すまぬな」
夜墨が飲みやすいように大きめの盃を出して、注いでやる。
私も同じので良いか。赤いやつ。
「ふぅ……。お米の感じが強くて良いね」
「この辺りのか?」
「いや、福井」
本当はこの辺のにしようかって思ったんだけどさ、目についちゃったから。
サケサウルスってやつ。
竜は恐竜感あるし、まあ間違ってない気がする。
そういう事にしておこう。
だって温泉、気持ち良いし。
用意したのは四合だけだったけど、温泉でのんびり飲んでたからか、一時間じゃ飲み切れなかった。
けどそろそろ竜人の彼が迎えに来るはずなので上がる事にする。
洗濯は乾燥まで終わってるので、同じ服を着れば良いかな。
余った日本酒は、ラッパで飲み切ろう。
「お迎えに上がりました」
「ん、ありがとう」
丁度来たね。
空きビンは魔法で溶かして、そのまま蒸発させる。
そういえばこの人、名前なんだっけ?
流石に聞いてみよう。
色々してもらってるし。
「私の名前など、恐れ多い。赤蜥蜴でもなんでも、好きに呼んでいただければ」
一周回ってめんどくさいんだけどこの信者。
「せめてステータスネーム」
「それでしたら。
そのまんまだね?
「じゃあ赤竜さん、よろしく」
「さん付けも必要ありませぬ。推しから名前を呼ばれるだけで望外の喜び」
なんでこのテンションでこんな少し拗らせたオタクみたいな言動なんだろうか?
「もう何でも良いから案内よろしく。お腹空いた」
「かしこまりました。こちらです」
温泉から上がったばかりなのに、もう少し気疲れしてるのはこれ如何に。
まあいいや。
気が付けば、辺りはすっかり薄暗くなっている。
太陽の姿は既に見えず、西の地平線の辺りだけ少しばかり明るい。
それでも龍の私の目には地上の様子がよく見える。
この地の人々は元々あった旧時代の建物をそのまま使っているみたいで、見慣れた街並みが広がっていた。
出歩いている人は少ないけど、一応見える。
明りはランタンを主に使っているみたい。
竜人や妖精にはそれで十分なんだろうね。
「夜目が利かない種族はどうしてるの?」
「魔石を使った光量の多いランタンが使われています。吸血鬼の方々が二十年ほど前に発見した技術の応用ですな」
魔石の量には限りがあるので、夜目の利かない種族に優先して回している、と赤竜は続ける。
あー、なんかそんな感じのあったね。
物のやり取りはまだ大変だけど、情報だけなら配信やスレッドのおかげで旧時代に近い速度で交換出来る。
九州の中央部辺りに住んでる小人族たちが作ったんだって。
北部の鬼たちとも交流はあるだろうから、あっちも明り事情は同じかな?
中国地方に精霊が多いせいで、文化が断絶してそうなのが怖い所。
まあ、それならそれで違う文化を作ってるか。
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