第2話 迷宮の底で始まったのは人龍生でした

 手の平から不可思議な熱が伝わり、胸の中心あたりが熱くなる。


【迷宮の攻略を確認しました。初攻略報酬が授与されます。攻略者のパーソナリティを読み取り中。完了。適応します】


 なんだ、そう考えるよりも早く、胸の辺りにあった熱が全身に広がって、骨や筋肉がきしむのを感じる。苦しい。熱い。何か知らないが、早く終わってくれ。


 気絶するほどの片頭痛が来た時よりも辛い。無限にも感じるその時間は、唐突に終わった。蟀谷こめかみを汗が伝うのを感じる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 一体何だったのか。その前に、どれくらい時間が経ったのだろうか。そう思って、腕時計を確認する。逆算してみると、どんなに長くても五分も経っていない。嘘でしょ、と口に出した声がおかしい気がする。いや、それより本当にそんな短かったのか?


 もう一度時間を確認しようとして、気が付いた。腕が、細くなっている。いや、元々細くはあったけれど、更にだ。それだけではない。これは――


「鱗?」


 全体では無く所々だが、魚のような鱗に覆われている。触ってみると、けっこう硬い。触ってみた爪もよくよく見れば鋭くなっているような気がする。

 というか、さっきからズボンが落ちそう。明らかにおかしい。


 ベルト、もっと締めないと。切らないとかな。

 定位置まで持ち上げようとしたけれど、何かが引っ掛かって上がらない。

 とりあえず思いっきり引っ張ってズボンの内側に余った部分を入れ、固定する。

 

 その視界にはらりと垂れる、白がひと房。

 え、髪、伸びてる? ていうか白?


 試しに後ろから前に回してみた髪は、この真っ白な部屋の中にあっても真っ白に見えるような、いっそ神秘的とすら言えるような純白だった。自分の髪なのに、思わず見とれてしまう。

 いや、そんな場合じゃない。さっき聞こえた声も変だった。


「あーあーあー……。やっぱ、高い」


 自分で聞く声は一切の声とは違うと言っても、これはそんな程度じゃない。どう考えても透き通った女声だ。男の声じゃない。


「鏡、鏡……」


 混乱しているのを自覚しながら、この部屋の唯一の出入り口である階段に向かう。歩きづらい。けど、身体は軽い。いや、重い?

 何が起きているのか分からない。


 分からないけど、この階段を昇り切れば……。これが現実逃避だってことは分かっている。分かっているけど、縋らざるを得なかった根拠の無い夢想は、すぐに砕かれた。


「何、ここ」


 階段の上にあったのは、灰色のレンガで作られた広い廊下だった。まるで西洋の城の中のような……。

 

 うん、訳が分からな過ぎて逆に冷静になって来た。とりあえず、さっきの部屋に戻ろう。


 一つ確かなのは、俺が性転換、いわゆるTSをしてしまったって事だ。なんか胸もそこそこ大きいし。

 俺の部屋にあった諸々はどこに行ったのかとか、気になる事はあるけどそれは後だ。あ、本……いや、後ったら後だ! これで消滅していたら泣く。今の世界に残った数少ない娯楽なのに。


 なんか情緒が不安定だな。冷静になったつもりだったけど、まだ混乱しているのかもしれない。

 

 と、さっきの部屋だ。変化は特になし。相変わらず遠近感が狂いそう。


「まあ、座るか。……称号がどうのって言ってたっけ」


 ステータス画面を念じて呼び出す。

 能力値の他にも種族とか年齢とか性別とか、色々書いてあってやはりゲームみたいだ。


「性別、女になってる……。まあ、いいか」


 ぶっちゃけ、そんなに性別に拘りは無い。説明は面倒だけど。


「ん、種族も変わってるな? 人龍?」


 人の龍? 龍人と書いてドラゴニュートは創作物の中じゃよく見る種族だけれど、それとは別なんだろうか?

 

 別種族への変化自体はspの交換物一覧にあったから、まあ、説明には困らない。馬鹿みたいに要求されるポイントが多かったから、そのポイントはどうしたのかって聞かれたら困るけど。


「げ、なにこのsp。一万以上あるじゃん」


 節約したら数か月から半年は何もしなくても生きていける。ログボもあるし。迷宮、ダンジョンを攻略したからか? 迷宮攻略やば。これログとか無いのか? 無いのか。微妙に不親切なのは、まあ客を確保しなきゃいけない訳じゃないからな。


 これだけあるなら鏡と交換してもいい、か。あとで交換しよう。


「あとは、称号だったか。[迷宮の支配者]、[迷宮攻略者]、[始祖龍]ね」


 支配者と攻略者が別な理由は、まあいくつか推論はたてられる。[始祖龍]はこの人龍という種族に俺が初めてなったとか、そんなところか。

 もう一つ、[****]という称号を世界変容の時点から持っているが、情報が何も無いので放置している。ネット上にも称号の話は無かったし。


 しかしこれ、何か効果とか無いのだろうか? フレーバーテキスト的なものなら、それはそれで良いのだが。

 タッチしたら何か出て来たりして。


「やってみるもんだな。支配者がこの迷宮の管理権限の付与。攻略者は一部機能の開放……。一部機能ってなんだ?」


 ここからはこれ以上は分からないか。迷宮に関係することか? そもそも迷宮がどういったモノかも分からないのだから、もしそうなら現状は放置だな。追々検証していけばいい。


 あとは……。


「はい?」


 なんだ、この能力値。


「体力A、魔力SS、知力S、器用S……。やっぱ龍だからか?」


 龍は良くも悪くも特別な存在。物語なら最早常識と言っていいだろう。例に漏れず人龍という種族もそうなのだろうか。能力の上限値がいくつかは知らないが、これで能力値が低いと言うには無理がある様に思える。レベル一に戻ってこれなんだから。


 なんで俺がこんな種族に……?

 そういえば、あの謎の声はパーソナリティがどうのと言っていたな。いつか霊能力があると言っていた人に魂に龍が混ざっているなんて言われたことがあったけれど、まさか本当だった? 十月に日本中の神々が集まるらしい、地元の有名な神社の上空には龍がたくさんいると聞いたことはあったし、当時はそんな事もあるかもねとテキトーに流していた。


 ……これは、もしかしてもしかするのか?


 殆ど現代文明の崩壊した現状で、面倒な人間関係を維持して社会生活を送らなければいけなかった理由は能力的な問題が大きい。一人で生きていくには能力値が低すぎた。

 けど今は、十分すぎる力がある。


「念願の世捨て人生活が、現実になる?」


 思わず口に出た。一人の時間が多くなって増えた独り言とは違う、心からの呟きだ。


 俺は弾かれるように部屋の中央の水晶球に触れる。

 現れたのは、ステータスと同じように空中に投影された画面。


【管理メニューのチュートリアルを開始します】


 またあの声が聞こえた後、言葉通りのチュートリアルが始まる。細かいことは省くが、この水晶球から今いる迷宮の増改築ができるらしい。


 つまりは、この迷宮を俺の家として快適な環境を構築することができる。相応のspは必要だが、衣食住の最後の問題だった隠れひそめて安全快適な『住』が解決した。


 とりあえず、五千ポイントで出来る範囲でこの部屋を快適にしよう。ここは迷宮の最深部で、この上には長大な迷宮が広がっているらしい。任意の地点を行き来できるワープポイントも設定できるようだが、俺は支配者権限で自由に転移できるので必要ない。もし仮に、客を招き入れる事があればその時に考えよう。


 防衛に関しては、俺が迷宮発生に巻き込まれて最深部からスタートになったおかげであらゆる仕掛け、魔物がそのまま残っている。当面は問題ないだろう。

 そもそもこの部屋、コアルームとでも呼ぼうか。コアルームは迷宮の守護者、いわゆるラスボスの部屋から行ける隠し部屋らしいから、仮に守護者を倒されてもここに入られることはまずない。


「ふぅ、部屋はこんなものかな」


 ちょうど五千ポイントだ。まだまだ簡素。

 部屋数を増やすのに一番小さな部屋でも千ポイント必要だったから、最小のモノ一つだけで我慢した。ユニットバスだ。本当は分けたいけれど、今は仕方ない。

 元々の部屋はフローリングにして、壁紙を貼り、インテリアを揃えた。ソファとベッドは選べる中で一番いいモノ。これだけで二千ポイント飛んで行ったけど、快適さの為にここは妥協できない。


 あとは広くしてみたり、テーブルとか本棚とか必要なものをちょいちょい置いたり。食べ物はspで完成品が交換できるので調理器具や冷蔵庫は無い。

 でもいずれは欲しいな。料理は好きだから。


「そうだ、本!」


 管理メニューで確認したところ、この迷宮内のあちこちに散らばってるみたい。即回収。千冊はあるこれらを本棚へ収める。


「ふぅ。良かった」


 ゲームは電気を使うし、本当に唯一の娯楽なんだ。


 ついでに姿見も回収できたので、部屋の隅において自分を映してみる。


 まず目に映るのは、先ほども見惚れてしまった真っ白な長髪。あの白い部屋の中にあってなお不気味なほどに白く美しかったそれは、色に溢れた世界では猶更で、ゾっとすらしてしまう。

 そこから伸びるのは、同じく白い角。枝分かれした東洋の龍にイメージされるものが、先のやや尖った耳の上あたりから後頭部に向けて生えている。幸い仰向けになっても邪魔にならない角度だ。


 切れ長の目に収まった瞳は、黒。どこまでも深い黒。元々の目は少し色素が薄かったけれど、これなら昼間の信号機が眩しいなんてことは無いだろう。瞳孔が細長い辺りは爬虫類っぽい。

 白磁の肌で鼻筋がすっと通った美人顔だ。頬の、目の下あたりには白い鱗。やはり、人外じみた美しさがある。


 手足はすらっと長く、所々に鱗あり。身長は百六十センチくらいか。

 その高い腰辺りから生えているのが、ズボンを上げられなかった原因。細めだけれど長い、白龍の尾。自在に動かせる。先の方が鋭くなっているから、やろうと思えば岩くらい突き刺せるかも。


 本当に、これが自分なのかと疑いたくなる。元の無難を求めた服装ですら輝いて見えるのだから。この姿ではどの道、目立ちすぎて出歩きたくない。


「これでspを安定して稼ぐ手段さえあれば、世捨て人として好き勝手暮らせるんだけど」


 今のままでは求める快適には程遠い。娯楽の面では大学生の一人暮らしにも劣る。具体的には美味しい食事、特にチョコと、それからもっと本が欲しい。


 何かないか……。


「ん、こんなの無かったよな?」


 ステータス画面と管理画面を交互に睨んでいると、ステータス画面の右下にカメラの様なマークを発見した。

 少し考えて、タッチしてみる。


「配信を開始しますか、か」


 配信。配信、か。これは、もしかするのか?

 仮にこれでspが手に入るとして、個人情報が漏れるリスクもある。余計なしがらみができるかも。

 正直、今の俺の情報はあまり漏らしたくない。ようやく好き勝手生きられるのに、また枷を増やすことになりかねない。

 

 しかしするなら、市場を独占できそうな今が大きなチャンスだ。

 [迷宮攻略者]で解放された機能なのだろうが、つまりは他の者でも配信が出来るようになる可能性があるということだ。配信機能を解放する手段も他にあるかもしれない。ライバルが増えればそれだけ難易度は増すだろう。


 そもそも配信機能を解放していないと視聴できないのならあまり良い手段ではないかもしれないが。


「……するか」


 動かなければ、何も変わらないから。


「目指せ、快適な隠遁生活!」


 これが上手くいくことを願おう。

 高鳴る胸を自覚しながら願った私の瞳が、鏡の中で、金色に光ったように見えた。


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